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「月の女」-11~16

2008年3月20日 (木)

「月の女」-16

【第十五章 ビアガーデン】

 バンコクでの最後の一週間が始まった。

 会社での仕事は月曜日、火曜日の二日間で終わらせ、水、木、金曜日は休みをとり、タイ最後の思い出にどこかに旅行したいとボクは思っていた。

 そして予定通り火曜日の夕方仕事は片付いたので、ボクはまた河島を誘いドゥアンのいる店に行った。

 まだ七時にもなっていなかったので、ドゥアンはノイともう一人の友達のファーと一緒に、店の表のテーブルでソムタムとバッタのような昆虫を食べているところだった。

「ハーイ、シンジ、ユタカ。サワディ・カー。今日は早いわね」

 ノイがいちはやくボクらの姿を見つけて立ち上がり、河島の腕に手を回して自分達が座っていたテーブルに連れて行った。

 ドゥアンは手にもっていたナイフとスプーンをテーブルの上におき、その場でボクらに向かってワイのポーズをして挨拶した。ファーもドゥアンと同じポーズをした。

 ボクらはとりあえずそこに座って、ハイネッケンを二本と彼女達のためにコーラを三杯注文した。

「今日は何処かに飯食いに行かないか?それとももう食ってしまった?」

 河島がそう聞くと

「ソムタムをちょっと食べただけだから、全然マイペンライよ、行こう、行こう」

 ノイは大喜びでもう早速服を着替えに店の奥のほうに入っていった。

「ファーもペイバーしてやるから一緒に行こう」 と河島が言うと

「ワー、ホント?コックン・カー」

 とファーも喜んで河島の頬にキスをして奥に入っていった。

 最後にドゥアンも「じゃあちょっと待っててね」

 と言い残して着替えに行った。ボクらが二人になったところで河島が

「ところで何処に行く?」 と聞いてきたので

「そうだなあ、何処がいいかな・・・、そうだ、ワールド・トレード・センターのビア・ガーデンにでも行かないか?」 とボクは提案した。

「うん、それいいかもしれないね。そうしよう」

 これで行き先はきまった。

 ボクらは女達が皆そろったところで、タクシーに乗ってビア・ガーデンに向かった。

 五人だと日本では二台のタクシーが必要だが、この国ではそんなことはお構いなしだ。

 前の席に河島が座り、後ろの席にボクと女三人が座った。もっともドゥアンはボクのひざの上だったが。

 バンコクではビア・ガーデンは乾季にはいった十一月くらいにオープンする。

 年中夏だから年中オープンしていてもよさそうだが、いくら暑くても雨の多い雨季はお客が集まらないのかもしれない。

 ワールドトレードセンターと伊勢丹百貨店の前にあるビアガーデンはいくつかあるようだったが、ボクらはその中でスクムビット通りに一番近いところを選んで座った。

 かなり離れた前のほうのステージで生バンドがタイのポップスを演奏していた。

 タイのポップスも仕事中にタイ人のオペレーターがCDで流しているためか、知らず知らずのうちに耳に残っていて、結構いい歌があるなあとは前々から思っていた。

 ただそれがなんと言う歌手の、何と言う題名の歌なのかまではボクも知らない。

 ノイがクーポンを買って来るからお金を頂戴と言うので、河島が千バーツ札を二枚ノイに渡すと、三人の女は連れ立って何処かに行ってしまった。

「いよいよもうすぐ日本に帰れるね。どう?帰りたい?」

 女たちがいなくなると河島がそう話し掛けてきた。

「うーん、複雑だなあ。正直言うと、まだもう少しこちらにいたい気もするけど、何時までもいるわけにもいかないしね」

「お前が日本に帰ってしまうとドゥアンが寂しがるよ。それにお前の援助がなくなったら彼女困るんじゃないの。どうするつもりだろ?何かそんな話した?」

「この間ちょっとだけそんな話もしたよ。日本に帰らないでタイで仕事をしたらいいじゃない、とあいつは言ってたけど、未だ踏切りはつかないでいる」

「そうだよ、こっちでだって仕事くらいいくらでも見つかるよ。日本の設計事務所だってあるし、ゼネコンだってある。お前だったら使ってくれる所はいくらでもあるよ。だからそうしたら?」

「おいおいちょっと待ってよ、他人(ひと)のことだと思ってそう簡単に言わないでよ。現地採用だったらこれまでみたいなお金ももらえないみたいだし、そうなるとドゥアンにも今までのような援助はしてやれなくなるだろうから、とりあえず一度日本に帰ってからゆっくり考えるよ」

「そうか、まあゆっくり考えな。来年の四月までは俺もいるだろうし、たまには彼女にもメシくらいは食わしてやるよ」

「ありがとう、それは頼むよ」

「ところでお前、日本の彼女とはどうなったの?まだ付き合ってるのかい?」

 河島にはまだ弘美と別れた話はしていなかったので、彼は何も知らなかった。

「もう別れたよ」

「えーっ!、そうだったの。知らなかったな」

「うん、お前にはまだ何も言ってなかったね。まあいろいろあってね」

「そうか。だったら余計日本になんかもう未練はないじゃん」

そんな話をしているうちに女たちがクーポンを持って戻ってきた。

「ビアーだけは頼んでおいたから」

 ノイはそう言って残りのクーポンを河島に渡した。河島は近くに立っているウェイトレスを呼び適当に料理を注文した。

 その後すぐ別のウェイターが五人分のジョッキと、生ビールのたっぷり入ったピッチャーを持ってきて、それぞれのジョッキに注いでくれたので、改めて皆で乾杯した。

 ボクはそれを一気にぐっと飲み干した。屋外で飲むビールの味は又格別だった。
 
 その晩皆と別れたあと、いつものようにアパートに来たドゥアンに、ボクは旅行の話を持ちかけた。

 ドゥアンはそれを聞くと足でタップを踏むようにして喜んだ。

 何処に行こうかと言う話になって、結局ドゥアンの提案でサメット島に行くことにした。

 サメット島はパタヤからさらに車で一時間くらい走った所にある小さな島だ。

 その夜ドゥアンはボクのアパートに泊まり、翌朝店に帰ったドゥアンは、自分の荷物の中から三日分の着替えなどをバッグに詰めて、又ボクのアパートに戻ってきた。

 その後ボクらはそれぞれの荷物を持ってアパートを出て、スクムビット通りにある日本の旅行代理店にいき、サメット島にあるバンガロータイプの部屋を二泊予約した。

 そしてタクシーと交渉してサメット島に向かった。

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2008年3月19日 (水)

「月の女」-15

【第十四章 ベッドでの会話】

 アパートの部屋についたとき、ドゥアンは何時になく酔っ払っているようだった。

 いつもならシャワーを浴びるのに服を脱ぐ時、なんとなく恥ずかしがって部屋の電気を暗くするのに、今日は電気をつけたまま服を脱ぎ始めた。

 まずTシャツを頭からすっぽりと脱ぎ、ジーンズのパンツを脱ぎ、両手を背中に持っていってブラジャーを外し、最後にパンティーを脚からするすると抜いて、ひと糸纏わぬ裸の状態になっ。

 そしてさっきかけたケニー・ロジャースの音楽に合わせて、踊るようにバスルームの方に歩いて行った。

 ボクは冷蔵庫からハイネッケンを取り出してソファーに座り、それを飲みながら、ドゥアンのそんな後ろ姿を眺めていた。

 お尻の上にあるひし形のエクボのようなくぼみが魅力的だった。

 暫くしてバスタオルを全身に巻いたドゥアンがバスルームから出てきたので、入れ替わりにボクがバスルームに入った。

 そしてシャワーを済ませた後部屋に戻ると、部屋の電気は全て消されていて、ドゥアンはすでにベッドの中に入っていた。

 窓から差し込む月明かりだけが唯一の部屋の明かりだった。

 ボクは静かにドゥアンが横たわっているベッドのシーツをめくり、その横に身を刺し入れた。そのとたんドゥアンは珍しく自分の方からボクに抱きついてきた。

 〈どうしたのだろう?〉と多少戸惑いながらも、ボクはその抱擁にこたえるように彼女の裸の背中を強く抱き返した。

 そしてそのままボクたちはいつもより多少激しく濃厚に愛し合った。ボクの愛撫に対してドゥアンはいつもより激しく反応した。

 ドゥアンだけがそうなのか、それともこの国の女の一般的な習性なのか良くわからないが、今までのドゥアンは愛し合うときいつも、快楽の声を意識的に抑えようとしているようだった。

 しかし今日の彼女はそれを抑えきれなくて、その声が隣の部屋に聞こえるのではないかと心配したほど大きかった。

「来週にはユタカは日本に帰るんでしょう?」

 シャワーを済ませてもう一度ベッドに戻ってきたドゥアンは、ボクの胸に頬を乗せ、左手でボクの右胸の乳首をつまみながら(彼女はそれがクセなのだ)そう切り出した。

「そうだよ」

「何故帰ってしまうの?私を愛していないの?私と一緒にいたくないの?」

「勿論愛しているさ、本当に。そしてずっと一緒にいたい。でも仕事が終われば日本に帰らなければいけない」

 ボクはつたないタイ語でなんとかそう言った。

「何故?仕事ならタイでだっていっぱいあるじゃない。タイで仕事は出来ないの?」

 そう言われてしまうとボクも返事のしようがなかった。

 確かにここバンコクにだってボクらがしようとする建築設計の仕事はいっぱいある。

 現に今やっている仕事だってそうだし、不景気な日本よりこれから伸びて行こうとするバンコクの方が寧ろ仕事は多いかもしれない。

 それなのにボクは何故日本に帰ろうとするのか。

 それはボクにだって分からない。何故それほど日本に執着するのか。考えてみればあまり根拠はない。

 ただここは自分にとっては外国であり、いつかは離れる単なる通過点に過ぎないと、勝手に決め付けていただけのことかも知れない。

「ねっ、そうでしょ。帰らないで私と一緒にここで暮らしましょう」

 ドゥアンはそんなボクの態度を見て畳み掛けるようにそう提案してきた。

「君が言っていることは良くわかった。だから少し考えるよ。でもとりあえず今回は一度東京に帰る。いろんなことが整理されてないからね」

 そんなことをタイ語で言ったつもりだったが、どこまでドゥアンに通じたかは自信がなかった。

 しかし大体のことは彼女にもわかったらしく、嬉しそうに頷いた。そして安心したように眠りについたようだった。

 ドゥアンの静かな寝息を側で聞きながら、ボクは眠れなくなってしまった。

 ボクはさっきのドゥアンの言葉に促されて、バンコクあるいはバンコク以外のタイに住み着く可能性について考え始めた。

 確かに今までのボクはこの地を通りすがりの街、一時的に住む街としか考えたことはなかった。

 しかしよく考えてみればこの国の人たちはみんな親切だし、物価も安い。

 日本人が忘れてしまったいいところもいっぱい持っているし、生活するには何の問題もない。ただ日本のように四季がなく一年中暑いということはあるにしても・・・。

 しかしそれも今の季節は乾季に入っていて結構涼しく、実にすごしやすい気候だ。

 それになりよりもここにはドゥアンがいる。

 この娘と別れるのはかなり寂しいことだ。

 この娘が他の知らない男に抱かれることを想像することは、今のボクにとってはかなり辛いことだ。

 ドゥアンは今のところはあなた以外の男に買われることはない、と言い切っているが、ボクがいなくなればそれもどうなることか。

 そんなことを考え始めるとボクはなかなか眠りに入ることが出来なかった。しかし酒の酔いとセックスの疲れからかいつのまにか眠りに堕ちていた。(つづく)

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2008年3月18日 (火)

「月の女」-14

【第十三章 再びソイ・カウボーイで】

 次第にバンコクを離れる日が近づいてきた。と言うことはボクとドゥアンの関係が終わる日も近づいてきたと言うことだ。

 ボクは十二月二十七日の夜中の便で東京に帰る予定だった。

 クリスマスが近づき、街のあちこちでイルミネーションがきれいに飾られて、次第に雰囲気が盛り上がっているようにボクには思えた。

 しかしタイ人の殆どは熱心な仏教徒だから、現実にはクリスマスに対しては日本ほどの盛り上がりは無いのかもしれない。ドゥアンの口からもクリスマスと言う言葉は殆ど聞いたことが無い。

 二十日の金曜日の夜、ボクはまた河島と伴にソイ・カウボーイの店に行った。

 さすがにこの頃はその店にも少し飽きてきたのか、ボクも河島もここに来るのは一週間ぶりくらいだった。ソイ二十三の奥の居酒屋でそこそこ酒を飲んだ後だった。

 店の前まで行くと例の生バンドが演奏するローリング・ストーンズの〈ブラウン・シュガー〉が通路にまで響き渡っていた。

 いつものように外で客引きをしている制服組のおばさんが笑顔で迎えてくれた。

「シンジ、ユタカ、サバイ・ディ・マイ」

「サバイ、サバイ」

 ボクらはそう言いながら店の中に入っていった。ドゥアンもノイもステージで踊っている最中だった。それでもすぐにボクらの姿を見付けて嬉しそうに合図を送ってきた。

 金曜日の夜だったので店は結構込んでいた。

 相変わらずファランの客の何人かが通路で制服組のおばさんと踊っていた。

 奥のほうに空いている席をなんとか見付けてボクらは座った。その席はライブのステージのすぐ近くでもあるので、演奏をやっている連中たちもボクらに目で挨拶をしてきた。

 彼らとももうすっかり顔見知りになってしまっていたからだ。

 ボクらはいつもの様にジムビーム・ナームケンを飲みながら、音楽にあわして身をくねらせて踊るドゥアンやノイのダンスを眺めていた。

 たくさんの男の視線にさらされているドゥアンの体を見るのは少し辛かった。まるで自分の分身をそこに見るような気がしたからだ。

 しかし当のドゥアンの方は初めて彼女を知った時のような照れはなく、堂々と踊っていた。ドゥアンもこの街にだいぶ慣れてきたのだろう。

 暫くしてノイが踊り終わり河島の横につき、その後ドゥアンがボクの横に来た。そしていつものようにみんなでカンパイした。

 結局ボクはノイの秘密は河島には話さなかった。

 言ったところで川島を嫌な気分にさせるだけで何もいいことは無いと判断したからだ。

 河島だって来年の四月には日本に帰る予定だ。それまで知らなければそれに越したことはない。

 それに彼だってノイには内緒でたまに違う女と浮気をしているのもボクは知っている。そんなにノイにこだわっている風でもなさそうだ。

 ボクの方も四,五日弘美のことで悩みはしたが、今はもう仕方のないことだと思い始めている。日本に帰っても、もう弘美を追うことはすまいという気持ちになっている。

 十分ほどしてボクと河島は御互いの女をペイバーしてその店を出た。

 そして同じ通りにある違うゴーゴーバーに入った。ノイの友達がそこで踊っているので行ってみたいと言う、ノイの要望に答えてだ。

 ボクも河島も違うゴーゴーバーに行きたいのはヤマヤマだったが、狭いこの街で違う店に行き、違う女にコーラを奢ったりすると、何処でどう彼女達に伝わるか解らないため、今までソイ・カウボーイではあそこだけと決めて、よその店には行かなかったのだ。

 しかし女達の方から行こうと言ってくれるのだったら、こんな都合のいいことは無い。我々は喜んで女達の御供をした。

 その店は客で溢れていた。

 最近出来た店で、一階のステージの上の天井がガラス張りになっており、というよりも二階の床がガラス張りになっていて、そこでもほんの少ししか衣服を身にまとっていない女達が踊っており、一階の客席からそれを見上げることが出来るようになっていた。

 中でも一階の中央ステージのかぶりつきの席からは二階が一番良く見えるため、客は競うようにその席を取ろうとしているようだ。

 日本人はちょっと恥ずかしがっているようだが、ファランの男達は何のこだわりも無く、上で踊る踊り子達の股間を真下から眺めて大喜びしていた。

 我々四人は入り口から入って左側の奥の一番後ろの席に座った。

 その席からは二階の踊り子達の脚は見えても、股間まで覗くことは出来ない。しかし贅沢を言えばきりが無い。女達公認でこの店に来られただけでも良しとしなければ。

 我々が座るとすぐに、セーラー服のような制服を着たウェイトレスが注文を聞きにきた。ボクと河島はいつものジムビーム・ナームケンを注文し、ドゥアンとノイはミルクコーヒーのような甘い酒を注文した。

 ステージでは丁度ショータイムに入ったらしく、音楽がスローに変わり、ゴーゴーガールに代わってエジプト風の衣装を身につけた四人の踊り子が出てきてゆっくりと身をくねらせて踊り始めた。

 それに少し遅れて今度は二階から、踊り子達がいつも踊る時につかんでいるスチールバーを伝って逆さまの状態で二人の別の踊り子がゆっくりと回転しながら降りてきた。

 これから何が始まるのだろうと、ボクはうきうきしながら次の展開を待っていた。他の三人も同じ気持ちのようだった。

 ボクは隣の席でボクにぴったりとくっついて座っているドゥアンの手をしっかりと握ったままショーに見入っていた。

 途中でノイの友達だと言うナーと言う名前の女の子が我々の席にやってきたので、その娘にも一杯コーラを奢ってやり、五人並んでショーの成り行きを見つめた。

 しかしそこはタイと言ってしまっていいのかどうか解らないが、大した演出も無く、ただ六人の踊り子が三組になってありきたりのレスビアンショーをやるだけのことだった。

 それでもドゥアンには結構刺激的だったみたいで、酒の酔いも回ってきたのか、目が潤んできてうっとりしている様子だった。

 我々四人はその店に三十分程いて店を出た。そしてソイ二十三の通りまで出て二台のタクシーを拾い、二組に分かれてそれぞれのアパートに帰っていった。(つづき)

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2008年3月17日 (月)

「月の女」-13

【第十二章 真夜中の悪夢】

 激しい喉の渇きでボクは夜中に目を覚ました。

 部屋は電気が付いたままだった。服も着たままだった。腕時計を見ると夜中の三時半を少し回ったところだった。

 何か夢を見ていたような気がする。でもすぐには思い出だせない。

 ボクは取り敢えずドアの近くの冷蔵庫まで行きハイネッケンの缶を取り出し栓を抜いた。そしてそれを一口ぐっと飲んでからソファーに腰を落ち着け、さっき見ていた夢を思い出そうとしていた。

 夢は次第に蘇ってきた。

 それは非常に不愉快な、そしてボクにとってはとても辛い夢だった。弘美と米倉部長の夢だったのだ。

 弘美と米倉部長が何処かの海岸の砂浜を楽しそうに腕を組んで歩いていた。それをボクは何処かから見ている。

 もしかしたら海に面したホテルの部屋のベランダからだったのかもしれない。

 いやそうではない。それはこのアパートだった。このバンコクにあるアパートが何故か海に面しているのだ。そのベランダに立ってボクは二人の様子を見ていた。

 浜辺には二人以外の人影は無く、時刻は明け方のような気もする。まだ太陽が東の空に顔を出す前の、全ての色が白っぽい空気に包まれていた。

 二人は波の打ち寄せる手前でゆっくりと腰を下ろした。弘美が腰を下ろす前に米倉部長は自分のハンカチをそっと弘美のお尻の下に敷いてやることを忘れなかった。

 弘美は薄いブルーのワンピースのスカート部分の後ろを左手で抑えながら米倉部長の左側に寄り添うように腰を下ろした。

 米倉部長は弘美の肩にそっと左手を回して何か一生懸命に弘美に喋っている。恐らく弘美を口説いているのだろう。

 でもその声はボクには聞こえてこない。弘美は頭を米倉部長の首の辺りに預けている。

 そのうち米倉部長の右手が弘美の左頬に廻り、弘美の唇に口付けをしようとした。弘美は何も言わず静かに目を閉じ米倉部長にされるがままに身を任せている。

 ボクはそれを眺めながら

「駄目だ!身を離せ!」

 と必死で叫ぼうとするのだが何故か声が出ない。

 そのうち米倉部長の右手は弘美の胸に行き、その手が次第に下に延びてスカートの下まで行った。そしてスカートをたくし上げながら下腹部に近づいていく。

 朱美の白くて肉付きのいい太腿があらわになっていく。

「やめろ!やめてくれ!お前は米倉部長とは一回限りだったと言っていたのではなかったのか」

 ボクは必死で叫ぼうとするが、やっぱり声が出ない。

 米倉部長の手はボクの必死の思いなど無視して、弘美のスカートをお腹の辺りまでたくし上げると、今度は真っ白な下着の中に手を入れようとしている。

 それでも弘美は何の抵抗もしようとしない。それどころかうっとりとした表情になり、唇が少し快楽で緩んできてさえいる。

 米倉部長の手が弘美の中心部を刺激し始めると弘美は次第に喘ぎ声を出し始めた。

「何てことだ!お前はやっぱり米倉部長が好きだったんだ。俺なんか最初から遊びに過ぎなかったんだ。バカヤロウ!」

 ボクは出ない声を必死で出そうとした。

 するとその声が弘美に届いたのだろうか。

 弘美は快楽に表情を歪めながらもうっすらと目を開け、ほんの一瞬だけだったがボクの方を向き悲しそうな表情をして見せた。

 それはボクに対して本当は好きでこんなことをしているのではない、と言う風な訴えのように感じられた。

 しかし一瞬後弘美はまた目を瞑り快楽に身を委ねる表情に戻った。

「わかった。わかったからもうやめてくれ!」

 ボクがそう叫んだとき目が覚めた。

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2008年3月16日 (日)

「月の女」-12

【第十一章 弘美の手紙】

 十二月の半ば過ぎボクのアパートに一通の手紙が届いた。それは弘美からのものだった。ボクは恐る恐る封筒を切り中身を読み始めた。

 あなたがバンコクで元気に暮らしているのは、あなたからの一週間に一度の電話でよく分かっています。

 あなたはその街が合っているみたいなので私としても安心しています。

 あなたは後半月くらいで日本に帰ってくるそうですね。

 私はその日をずっと心待ちにしていました。どれほど待っていたかはあなたには想像がつかないでしょうが。

 でも一方ではあなたがバンコクに行く前のような生活がまた始まるのかと思うと、胸が締め付けられるように息苦しくもあります。

 この際やっぱりはっきりさせておいたほうがいいと思い、長い間悩んだ末この手紙を書くことにしました。

 手紙の方が私の気持ちをはっきり現せるのではないかと思ったからです。

 あなたが何故ある時から変わってしまったのか、私はいろいろ考え悩みました。そして恐らくあのことではないだろうかと言う結論らしきものに達したのです。

 あなたは多分、私が今年の冬の夜中に米倉部長に送られて帰ってきたのを見ていたのではないでしょうか。

 でもあなたは何も問いたださなかったし、私も何も言いませんでした。まさかあなたが見ていたとは思わなかったので、わざわざ言う必要も無いと思いあの時は黙っていました。

 でもそれがあなたをそれほどまでに苦しめることになるとは思っても見なかったのです。

 何日かたってあなたの態度があの日を境に変わったのに気がつきました。

 でもまさか、という気もして話を切り出すこともできず、あなたはもっと別のことで悩んでいるのではないだろうかとも思い、またそうであってほしいと言うこちらの勝手な思いもあって、そうこうしているうちに今になってしまったのです。

 でもあなたがいなくなって考えれば考えるほど、あなたの態度が変わったのはあの時のこと以外には考えられないと思い、いよいよやっぱりそうだという確信を強めていったのです。

 本当はこのままずっとあなたをだまし続けることも出来たかもしれません。

 でもいくらあなたをだませても自分の心までだますことはできません。私は一生あなたの顔をまともに見ることができないでしょう。だから正直に告白することにしました。

 あの日私は取引先の人たち数人と打ち合わせが終わった後食事に行き、その勢いで新宿のバーに行きました。

 暫くそこで飲んでいたら米倉部長が偶然独りで現れたのです。取引先の人たちも米倉部長とは顔見知りだったので、みんなで一緒に飲むことにしました。

 その場は結構盛り上がって長引き、十一時くらいになって米倉部長が同じ方向だからというので私をタクシーで送ってくれました。

 そしてその途中でもう一件誘われるままにバーに寄り、その後ホテルに誘われ一度だけ過ちを犯してしまったのです。

 あまり詳しいことはこの際言わないでおきます。そんなことはあなたも聞きたくないでしょうから。

 でも何故そんなことになってしまったのか、自分でも説明することはできません。

 米倉部長と私は、あなたも知っているように私があなたと出会う前からある人を通じて知っていましたが、それまでは別に何の関係もありませんでした。

 確かに素敵な人ですが、そんなことを求めてくるような人ではなかったし、私から見ても恋愛の対象なんかではなかったです。

 それは信じてください。

 でもあの日の私は何処かがおかしかったのです。仕事のことで少し悩んでいたことも事実ですが、やっぱり魔がさしていたとしか言いようがありません。

 お酒の酔いもあったことは事実ですが、それだけのせいにもしたくはありません。全て私の責任です。

 米倉部長とはその後なにもありません。でもあなたを一度裏切った事実は一生消えません。

 米倉部長はあなたの上司ですから、あなたが感情的になるのが私には一番心配です。ある意味ではあなたの一生を左右するようなことを私はやってしまったのです。

 だからどんなに謝っても済む問題でないことは百も承知していますが、どうか自棄だけは起こさないで下さい。あなたには将来があるのですから。

 もっと早くこんなことは話すべきだったと今では思っていますが、あなたを失うことがどうしても怖くて、ここまで引きずってしまったことを今では深く後悔しています。

 でもあなたに本当のことを言ってしまった今は、なぜか心が軽くなりました。

 半月後にはあなたは東京に帰ってきます。その時私はもうここにはいません。

 あなたにこんなことを喋ってしまった以上、あなたとまともに顔を合わすことはできません。

 明日私はこのマンションを出ることにしました。携帯電話の番号も変えます。

 私はもう一度一から出直すことにします。どうか私を探さないで下さい。

 私は悪い女でしたが、本当にあなたのことは愛していました。これだけは本当です。

 あなたと一緒に暮らした二年間は本当に楽しかったです。

 それを与えてくれたあなたに心から感謝の気持ちで一杯です。どうか幸せになってください。さようなら。
                          十二月十二日   弘美

 ボクはその手紙を読むとすぐに弘美の携帯に電話をかけてみたが、やはり手紙に書いてあった通り携帯電話はもう使えない状態になっていた。

 念のためと思いアパートの電話にも電話を入れてみたが、呼び出し音がいつまでもむなしく鳴り響くだけだった。

 ボクの心は混乱していた。やっぱりそうだったのか、という弘美と米倉部長に対する許せない憤りと、こんなことを正直に告白してくれた弘美に対する愛おしさのような感情が複雑に入り乱れていた。

 弘美は本当のことを告白するまでにどれほど苦しんだことだろう。それを思うともう充分に弘美は罰せられたのではないかとも思える。

 それに比べてボクのほうはどうだろう。ドゥアンとこんな関係になっていながら、弘美に対して罪の意識などこれまで殆ど感じたことも無かったではないか。

 しかしドゥアンはお金で買われる女だ。弘美が犯した罪とはそもそも質が違う。

 こともあろうにボクの直接の上司に抱かれるとは・・・。

 ここまで考えたところでボクの心はもうどう考えたらいいのか解らなくなっていた。ボクはいつの間にかベッドの上で眠りに堕ちていた。(つづく)

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2008年3月15日 (土)

「月の女」-11

【第十章 ドゥアンの笑顔】

 ボクはその夜なかなか寝付けなくて、夜中の二時前にドゥアンの携帯に電話を入れた。

 ドゥアンは店にいた。店が終わったらボクのアパートに来ないかとボクは彼女を誘った。ドゥアンは明るく「ダーイ」と答えた。

 ドゥアンが来るまでの間、ボクはノイのことを河島に話すべきかどうか迷っていた。そして次第に何も言わない方がいいのではないかと思え始めてきた。

 河島にしたって本気でノイと付き合っているわけではないだろうし、暫く付き合っていると情も移るから恋愛に似た感情も起きてくるだろうが、所詮は春を売ることを生業にしている女に本気で惚れているとは思えない。

 まして結婚など考えているわけでもないだろうから、こんなことは知らないに越したことはないだろう、と思え始めてきたのだ。

 三十分くらいでドゥアンはアパートにやって来た。今回は河島の誕生会以来なので五日振りだった。

 「サバイ・ディ・マイ(元気ですか)?」

 ドゥアンはドアを開けるなり満面の笑顔でそう挨拶をしながら部屋に入ってきた。

「サバーイ、サバーイ(元気だよ)」

 ボクはそう答えながらドゥアンを部屋に入れた。ドアを閉めるなりドゥアンはボクに抱きついてきた。ボクもしっかり抱きしめた。

 今日のドゥアンは珍しくジーンズのミニスカートだった。スカートから出ている生脚がとても魅力的だ。

 店からの帰りなので、それなりに化粧もしているためか、休日に逢うドゥアンより大人っぽく見えた。

「今日はとてもセクシーだね」 とボクが思わずそういうと

「コックン・カー」 ドゥアンは素直に喜んだ。

 暫くしてソファーに座ってハイネッケンの缶ビールを飲みながら、ノイはまだ田舎から帰ってこないの、と聞くとまだ帰ってこないと言う。

 電話も無いの、と聞くと何日か前にあったけど、お母さんはそれほど心配はいらないと言っていた、という。その答え方から推測すると、どうもドゥアンはノイの嘘を知らないようだった。

 と言うことは、あの翌日からずっとノイはあの白人と一緒にいて、店には帰っていないと言うことなのだろうか。まあそうとしか考えられない。

 それにしても昔からの友達のドゥアンにまで嘘をつくとは、手の込んだことをするものだ。

 ボクはさらにノイについて、彼女には決まった男がいるのではないの、と聞いてみたが、ドゥアンの答えはノーだった。

 ノイもドゥアンと同じように五年前にタイ人との間にできた子供が一人いるが、男は子供が生まれた後やはり何処かに行ってしまったので、子供の世話は田舎のお母さんがしていると言うことだった。

 それにしてもなぜタイの男たちはそんなにも簡単に子供と妻を捨ててしまうのか。

 もしかしたらドゥアンもノイも結婚せずに子供だけ作ってしまったのかもしれないが、ボクのタイ語能力ではそこまで聞きただすことはできない。

 ドゥアンはボクがノイのことばかり聞くので少し不審そうな表情をしたが、なんでもないよというとそれ以上は追求してこなかった。

 その夜もボクはドゥアンと激しく愛し合った。何と言ってもドゥアンは一夜だけの女とは違い、何度も夜を伴にした女の体は、やはりしっくりと噛み合ってボクを十分満足させてくれた。

 ボクはドゥアンの体が何故か最初からすごく好きだった。柔らかさとか滑らかさとか体温とか、何か他の女には感じられないピッタリした感覚がある。

 セックスが終わったあとでも、普通なら男はもう女は要らないみたいな感覚に一時的にしろ陥ったりするものだが、ドゥアンの場合は精液を放出した後でも、何故かずっと抱いていたい気持ちが続く。

 小柄なのでボクの体の中にすっぽりと収まるのもなぜか気持ちがいい。これが相性と言うものなのだろうか。ボクには不思議な感覚だった。 

 背中を向けて寝ている裸のドゥアンのひんやりしたお尻に、ボクの下腹をぴったりとおしつけて寝るのがボクはとても好きだ。

 あるいはボクの腕と胸の間にドアンが頭を乗せて抱きながら寝るのも好きだ。

 正直言ってボクの左腕は暫くすると痺れてくるが、それでも気持ちが落ち着いてよく眠れるのだ。

 ドゥアンは寝相がいいので、一度何らかの形を作るとそれほど寝返りはしない。

 よく考えてみるとボクはセックスそのものより、こうして一緒に抱き合って眠ることの方を望んでいるような気もする。

 ドゥアンはまた表情がとても豊かだ。

 嬉しい時は本当にうれしそうな顔をするし、お母さんや友達などと携帯で話をしていて何か腹が立つことなどがあると、こちらの視線などまったく気にしないで表情を険しくして身振り手振りを加えて、えらい剣幕で喧嘩をする。

 そしてその後は可哀想になるほど落ち込んでしまったりすることもある。

 お母さんや友達と話すときのドゥアンの言葉は完全にイサン訛りみたいで、普通のタイ語すら殆ど理解できないボクなんかにはそれこそ全く理解できないので、何について喧嘩しているのかまでは全然分からない。

 ドゥアンもそんなボクにはどうせ分からないだろうと思っているのか、後で説明もしてくれない。

 勿論タイ語で説明してくれても多分ボクなんかには理解できないのだが・・・。

 そういう時ボクは本当に言葉の壁にぶつかってしまい、言葉もできないくせに外国人の女の子と一人前に付き合うこと自体が間違っているのかもしれないと改めて思い、情けなくなってしまう。

 落ち込んでいる彼女を慰める言葉すらボクは持っていないのだから・・・。

 勿論ボクはドゥアンの嬉しそうな表情を見るのが好きなので、できるだけドゥアンが喜びそうなことばかりを考えて行動するようにしている。

 ドゥアンの好きな食べ物を食べさせてやったり、ドゥアンが欲しがる物を買ってやったりだ。

 勿論ボクにもお金が無尽蔵にあるわけではないし、そのことはドゥアンだってよく解かっているようなので、そんなに高価なものを要求するわけではない。

 ある時これも河島の提案で、ラマ九通りにあるビラカフェという、食事をしながら、吉本新喜劇のようなベタベタのお笑いをする演芸場に四人で行ったことがある。

 言葉の分からないボクらにでもそのベタベタの笑いはなんとなく理解でき楽しかったのだが、その時のドゥアンのうれしがる表情を見ていたらボクまで嬉しくなったのをよく覚えている。

 ドゥアンは本当に心の底から嬉しそうに笑っていた。ボクはその時、この娘が喜ぶ事なら何だってしてやりたいと心の底から思った。それほどドゥアンの笑顔は素敵だった。

 ドゥアンはまた料理を作るのが得意だし好きみたいだ。

 ボクのアパートに泊まるようになって何回目かの朝、たまたまその日は休日だったのだが、ボクが目を覚ますとベッドの横にドゥアンはいなかった。どうしたのだろう、シャワーを浴びている気配も無い。

 帰ったのかな、と思っていると、暫くして買い物袋を提げてドゥアンはニコニコしながら上機嫌で帰ってきた。

 聞いてみるとモーターサイ(バイクタクシー)で近くのスーパーまで出かけて買い物をしてきたと言う。そしてこれから雑炊を作ってあげるという。キッチンの方を見るとすでに電気炊飯器でご飯は炊けていた。

 ドゥアンは手際よく野菜やミンチなどを処理して、あっという間にイサン風の雑炊を作ってくれた。それがまた絶妙の味付けだった。ボクはその時改めてドゥアンを見直した。

 その後も休日の朝や夜などはドゥアンの料理を食べるのが慣例のようになった。(つづく)

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2008年7月
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