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2008年3月

2008年3月31日 (月)

「イミテーション・ラブ」-5

 5 オーとの出会い

 アパートに帰ってうとうとしている哲也の部屋に電話がかかってきた。

 電話の音に目覚めた哲也は、一瞬自分が今何処にいるのか思い出せなかった。

 しかし電話の音が日本のマンションの電話の音と違うため、ここがバンコクだということにすぐ気がついた。

 受話器をとると女の声が聞こえてきた。

「いま シゴトおわりました。テツヤはネムリましたか?」

「ああ、オーか。少し眠っていたみたいだ。もう店は終わったの?」

「ハイ。いまおわりましたよ。いまからアパートいきます。いいですか?」

「ああ、勿論いいよ。場所は解る?」

「ダイタイはわかります。チカクに行ったらまたデンワしますね。あと二十プンね」

「わかった。じゃあ待ってるよ」

 時計を見ると夜中の一時を少し過ぎていた。

 店にいる時にオーは今夜仕事が終わったらアパートに行くと約束してくれたので、哲也は佐野にわからないようにこっそりとアパートの場所と電話番号を教えておいたのだ。

 哲也は急いでシャワーを浴び着替えをしてオーの電話を待った。

 ぴったり二十分後に又部屋の電話が鳴った。オーはアパートの前まで来ているという。

 急いでエレベーターで一階まで降り、玄関ホールに行くと、ガラスドアの向こうに笑顔のオーが立っていた。

 哲也が電子錠の内部のボタンを押してやると、ガラス扉は自動的に開きオーはゆっくりと玄関ホールに入ってきた。店とは違いジーンズ姿だ。

 部屋に入ってから、肩にかけていたバッグをゆっくりはずしてベッドの上に置くと、オーは改めて哲也のほうを向き両腕を哲也の肩の上に伸ばしてゆっくりと首に抱きついてきた。

 哲也も両腕をオーの腰と背中に回して強く抱きしめた。そしてそのまま二人はベッドになだれ込んでいった。

 哲也ははやる心を抑えながら、オーの服を脱がそうとすると

「チョッとマッテください。シャワーしてきます。クサイはよくないでしょう?」

 オーはそう言って立ち上がろうとするので

「大丈夫だ、臭くない。いい匂いだよ。俺はこの方が好きだ」

 哲也は止めようとしたが、オーは笑いながら

「ダメダメ、はずかしーいです。ア・ト・デ・ネ」 オーはそう言って聞かない。

「相変わらず焦らしやがるなあ、オーは」

 仕方がないので哲也はオーをシャワーに行かせることにした。

 哲也がオーに初めて出逢ったのは二年前の四月だった。

 毎年恒例の旅行に来たときで、佐野と一緒に《ピカソ》に行き、そこでたまたまチーママが紹介してくれたのがオーだった。

 オーは明るく日本語もまあまあ出来るし、何よりも冗談が多く面白い女だったので、哲也はその時結構気に入ってしまった。

 歳を聞いてみると二十九歳だというのでそれもちょうど良かった。

 哲也はあまり若い娘が好きではない。自分の娘のような若い娘と付き合うのはどうも苦手だ。

 しかしだからと言って自分と歳相応の女ということになると四十歳を越えてしまう。

 女によってはそれくらいの歳でも充分魅力的な女はいるが、一般的には三十歳くらいがちょうど良かった。

 その旅行中に哲也はもう一回その店に行き、その時は哲也が指名した。オーはそれを喜び二人はすっかり親しくなったが、その時はそれだけで哲也は日本に帰ってしまった。

 一年後再び哲也がバンコクに来たとき、哲也はまたその店に行き、もしかしたらもうオーはいないかもしれないと思いながらもチーママにその名前を言ってみたら、まだいるとのことだったので哲也は喜んだ。

 勿論オーも喜んでくれた。

 その時オーがこの店に来る前に働いていたというスクムビットの日本レストランの店の話題になり、一度一緒に行ってみようということになった。

 明くる日の夕方二人はエムポリアムで待ち合わせ、そこのレストランに行った。哲也は勿論その店は初めてだったが、なかなかいい店だった。

 ソイの奥深くにあるので一般的には知られていないが料理も美味しく店の造りも悪くは無かった。哲也は充分満足してその店を出た。

 オーはその日、哲也と同伴でその後《ピカソ》に行くつもりだったらしいが、哲也は今日は店には行かない、ペナルティは払うから今夜は自分と付き合ってくれと無理に頼んだ。

 哲也はその日こそオーをものにしようと言う魂胆があったからだ。

 タニヤの店の場合、月二日か三日休みが取れるが、その日になって急に休んだりするとペナルティを取られる事が多いみたいだ。

 その額は店によって異なるのだろうが、オーの店の場合は二千バーツくらいらしい。オーは仕方なく哲也の要求を呑み、九時ごろ店に休む趣旨を電話して哲也に付き合ってくれた。

 その後二人はトンローにあるジャズ・ライブの店に行き、バーボン・ウイスキーを飲んでいい気分になったところで、哲也は自分のホテルに誘った。

 しかし哲也が思っていたよりオーは堅く、哲也の要求をすんなりとは受け入れてくれず、しかし次は必ず行きますと約束してくれたので、その夜は仕方なく別れた。

 後で気がついたのだが、もしかしたらオーはその日生理だったのかもしれない。

 そして二日後夜遅く哲也はもう一度オーの店に行き、最終近くまで店にいて、一人で店を出た後、近くの居酒屋でオーの仕事が終わるのを待った。

 そこで軽く食事をしてから、約束どおり哲也の泊まっているスクムビットのホテルに行き、ようやく念願を果たしたというわけだ。それが去年の三月だった。

 去年はオーとのそういうこともあって、いつもの年と違って哲也は秋にもう一度バンコクに来た。オーのことを考えると哲也は一年も待っていられなかったのだ。

 その晩オーは哲也のアパートに泊まり、二人はゆっくりと時間をかけて再会の歓びを確認しあった。

 オーは哲也がこれまで出逢ったどの女よりもベッドの上で敏感な女だった。

 それは初めての時に哲也もすぐ気づいた。

 その夜もオーは哲也の愛撫に激しく反応した。それは哲也から見て商売の反応とは思えなかった。

 しかしだからと言ってそれが哲也に対する愛からだと思うほど哲也も自惚れてはいない。

 哲也はこれまでにも何人かのタイ人の女を抱いた事はあるが、彼女らに共通していえるのは、セックスを商売の武器としては使うが、セックスそのものを楽しもうとは決してしない、ということだ。

 これはひょっとしたら宗教的な影響があるのかもしれないが、この傾向はイサンの女に特に強く見られるように思える。

 しかしオーは珍しくそうではなかった。オーはイサン育ちではないからだろうか。

 彼女は普段は明るくて冗談ばかりを言う女なのだが、ベッドの上では何の恥じらいも見せずに哲也も驚くほど大胆になる。

 そのギャップが哲也にはまたたまらない魅力でもあるのだが、哲也自身がもうそれ程若くもないし、またそれほど強いわけでもないので、そこにはおのずから限界はある。

 二人はそんな一夜を過ごし、翌朝昼前までゆっくり寝た。そしてどちらからとも無く起きて、これからどうしようかと言う話になった。

「なんでもイイですよ。あなたにオマカセです」

「じゃあ取りあえず腹へったからエンポリにでも行ってメシでも食うか」

「イイですねえ。それからはどうしますか?」

「そうだねえ、ゆっくりしたいからマッサージなんかどう?」

「それでイイですよ」

 哲也は明日からの仕事のことを思うと、今日はあまり疲れるようなことはしたくなかった。

 オーもマッサージは好きで、前回哲也がバンコクに来た時も一緒にマッサージに行ったことがある。

 そういうわけで二人は昼過ぎにアパートを出て、アパートの前でタクシーを拾いスクムビット通りまで出た。

 そしてエンポリアムに行き、その中の日本レストランで遅い朝食と昼食を兼ねた食事を済ませた。

 そしてその後、今度は散歩がてらにゆっくりと歩いてソイ三十三にある《ポー・マッサージ》に向かった。

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2008年3月30日 (日)

「イミテーション・ラブ」-4

4 哲也の家庭

 哲也には東京の多摩に家族が住んでいるマンションがある。

 家族は三歳年下の妻と大学二年生の娘と高校三年生の息子の四人家族だ。

 妻の久美とは会社に入ってから知り合い、哲也が二十七歳の時に結婚した。結婚と同時に久美は会社をやめ専業主婦になった。

 結婚して一年目に長女の由紀が生まれた。そしてその二年後に長男の信也が生まれた。

 子供が生まれるたびに引越しをして、十四年前哲也が三十五歳の時今のマンションを買った。

 ちょうどバブルが終わった直後くらいで、分譲マンションも一番高かった頃だ。

 その二年前に肺がんで亡くなった哲也の父が残してくれたわずかな遺産と、結婚後こつこつとためたお金に、金融公庫で借りた二千万円を足して買ったものだ。

 その金融公庫のローンがまだ半分くらい残っている。しかしこれから後六年何とか払い続ければローンは払い終わる。

 そして子供たちが二人とも大学を卒業して働き出してくれれば哲也もかなり楽になるはずだ。

 それまでの辛抱だ。哲也と久美はいつもお互いにそう励ましあってこれまで何とか頑張ってきた。

 五年前から久美も子供に手がかからなくなりパートで働くようになったが、その収入はわずかだ。

 それでも子供たちの学費の足しにはなるので、哲也としては助かっている。

 学費といえば息子の信也がこの春大学を受験する。

 私立を滑り止めで何校か受けるが、本命は国立だ。それにうまく受かってくれれば授業料はかなり安くて済む。

 しかし失敗して私立に行くようなことになると大変だ。何とか国立に行って欲しいと哲也は祈るしかない。

 そんな家庭状況の中ででも哲也はフリーになった四年前から毎年、年に一回のペースでタイに遊びに来るようになった。

 会社を退職してからは殆どマンションにいて仕事をするようになったので、会社にいていた頃のように、会社からの帰りに一杯やるというようなことも滅多になくなり、気晴らしが出来なくなった。

 しかしその分小遣いも使わなくなり、使わなくなった小遣いを毎月ためて、一年に一回タイに来てストレスを発散するようになったのだ。

 別にタイでなくてどこでも良かったのだが、昔三ヶ月ほどバンコクに住んでいた経験があるのでその気安さと、佐野がいるということもあって哲也にとっては一番身近な外国だったのかもしれない。

 その上物価も安いし、安全でしかも女性が綺麗とくれば何も言うことはない。

 そんな哲也に対して久美は今まで別に何も言わなかった。しかも今回は単なる遊びではなく条件的にも日本よりいい仕事だ。

 何も文句の言いようはなかった。ただその仕事が長期にわたるのが久美には少し寂しかったが、お金のかかる時期でもあり、長期で安定した収入が得られるならそれに越したことはないと思って、哲也のタイ行きを賛成した。

 というわけで哲也にとってタイは今や第二の故郷になりつつある国だった。(つづく)

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2008年3月29日 (土)

「イミテーション・ラブ」-3

3 再会

 哲也と佐野はシーロム通りの屋台がひしめく中をすり抜けてやっとタニヤ通りに入った。

この大通りを歩いていると多くの看板に漢字やカタカナなどが使われているので、あたかも銀座や歌舞伎町などの日本の盛り場を歩いているような錯覚に陥りそうだ。

 初めて哲也がバンコクに来た十年前の一日目、夜シーロム通りにあるシーロム・ビレッジでタイ料理の食事をした後、佐野にパッポンに案内され、かなりのカルチャー・ショックを受けた。

 その為か、二日目に来たこのタニヤは<何だ、日本と変わらないじゃない>くらいの感覚しかなく、タイに来てまでこんなところに来る必要はない、と言うような気持ちだった。

 クラブに入ってもホステスは多少の日本語はしゃべれるものの、ひと通りの挨拶が終わると込み入った日本語がしゃべれるわけでは無いので何も喋ることも無くなり、ただ黙って横に座っているだけで面白くも何とも無かった。

 それに比べるとパッポンは音楽がうるさいので、たとえ話そうとしても聞こえないが、ビール一本で、若い女の子が水着姿で踊っているのが見られるわけだから退屈もしない。

 それにもともと女の裸を見ることが大好きな哲也にはその方が性に合っていた。

 だからその後も酒を飲むならパッポンと言う感じで、哲也は佐野などを連れて毎日パッポンの店を何軒もはしごしたものだった。

 そのときは仕事の都合で約三ヶ月バンコクにいたので、三ヶ月目くらいになるとさすがにパッポンにも飽きてしまい、終わり頃にはタニヤのほうにもたまには足を向けるようになっていた。

 三ヶ月近くいるうちに少しはタイ語もわかるようになり、簡単な会話も出来るようになったのと、タイの女にもなれてきたので、最初ほどタニヤの女を苦手とは思わなくなったのだ。

 という訳で哲也もタニヤの方にたまには脚を向けるようになったわけだ。

 オーの店《ピカソ》はタニヤ通りから少し入ったところにある本格的なクラブで、あまり宣伝もしないし、他の店のように表にホステスが待っているわけでもないので、一般の観光客にはあまり知られていない。そういう所もかえって哲也は気に入っていた。

 店の前まで来ると黒いスーツを着たタイ人の社長とマネージャーが入り口前で迎えてくれ、木製の重々しいドアを開けてくれた。

 中に入ると吹き抜けの高い天井の大きな空間が二人を迎えてくれた。

 そしてすぐ少し歳はいっているが、日本人顔した美人のチー・ママが近寄ってきて席に案内してくれた。

 平日で時間もまだ早いため客は四、五人しかいないようだった。

 席に着くなりチー・ママはお絞りを持って来て哲也に

「オーさんでいいですか?」 と聞いてくれた。

 ちゃんと哲也の好みの女を憶えていてくれたので哲也は悪い気はしなかった。

「ああその娘でいいよ」

 哲也は気分よくそう答えた。チー・ママは次に佐野に向かい

「女の子はどうしますか?」 と聞いた。

 佐野はこの店によく来る割には決まった女を作らないのだ。

「チー・ママに任せるよ」 佐野はいつものようにそう答えた。

 チー・ママはそう聞くとすぐに引き下がった。そしてすぐにオーともう一人の女がやってきた。

 オーは哲也の顔を見るなり、一瞬信じられないといった表情をした。

 チー・ママはオーに客は哲也だとは説明していなかったようだ。

 しかしオーはすぐに満面の笑みを浮かべてソファから立ち上がった哲也に抱きついてきた。

「テツヤ!どうしてダマってきたの。ビックリよ。デモはウレシイです」

 かなり訛りのある日本語でオーはそういって今にも泣き出さんばかりの表情をした。

「君を驚かそうと思って黙ってきた。ごめん」

 哲也はオーが狙い通りの反応を示してくれたのに充分満足した。

 その様子をそばで見ていた佐野はニヤニヤ笑っている。

 四ヶ月前に入れたワイルド・ターキーのボトルがまだ半分くらい残っていたらしく、四人がソファに落ち着つくとすぐボーイがそのボトルと水割りセットを持ってきた。

 哲也も佐野も水割りを注文した。佐野に付いた女が水割りを作り始めた。

 女はオーと比べると少し若そうで、色は少し黒いがグラマーでなかなか魅力的な女だった。

 哲也の向かいに座ったまま水割りを作っているのだが、ミニスカートから大きくはみ出した太ももが妙に色っぽかった。もう少しで奥のパンティーが見えそうなほどミニスカートがめくりあがっている。

 哲也はその光景に吸い込まれそうになったが、かろうじて押しとどまり、

「元気だった?」 とオーの方に顔を向けてたずねた。

「ゲンキでしたよ、テツヤはどうですか?ゲンキでしたか」

 にこにこ笑いながらオーはそう答えた。

 オーは週一回パッポンにある日本語学校に通っていて、正しい日本語を習っているためか、日本人から見ると不自然なほど丁寧な言葉遣いをする。

 しかしそれが哲也から見るとよけいに可愛く聞こえる。日本語の乱れた日本から来るとかえって新鮮にうつるのだ。

「元気だったよ。でもオーに逢いたくて病気になりそうだったけどね」

「ホントウですか?ウソでもウレシイです」

誰に教えてもらったのかそんなことまで言うので四人で大笑いした。

 哲也と佐野はその店に一時間ばかりいて店を出た。

 佐野はもう一軒クラブに行かないかと哲也を誘ったが、酒には目のない哲也も今日ばかりは日本から七時間近くかけてタイに来たので、さすがに疲れたのか珍しく断ってアパートに帰った。(つづく)

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「イミテーション・ラブ」-2

2 パッポンの風

 シーロムについたのが六時半過ぎで、佐野と約束した七時半までにはまだだいぶ時間がある。

 哲也は電話で佐野に言ったように、パッポンのビア・バーに行ってビールを飲んで時間をつぶそうと思い、パッポン・ツーの知っているバーに向かった。

 その店はシーロム通りとスリーウォン通りのほぼ真ん中あたりにあり、哲也がバンコクに来れば必ず顔を見せる店である。

 いわば哲也にとってはバンコクの原点のような店だ。

 近くまで行くと、顔見知りの太ったおばちゃんが目ざとく哲也の姿を見つけ飛んできた。

「テツヤ、サバイ・ディ・マイ(元気ですか)?」

 おばちゃんは満面の笑顔でそう挨拶して、哲也の腕を引っ張るようにして、ビア・バーのカウンターまで連れて行き椅子に座らせた。

 カウンターの中にも顔見知りの女たちが何人かいて、皆笑顔でワイのポーズをして哲也を迎えてくれた。

 その笑顔には商売っけだけとはとても思えないような人懐っこさが感じられる。

 そこにはああやっぱりここに来てよかったと心から感じさせてくれる暖かいものがある。

  <これだ、これ。これでやっとバンコクに来たと言う実感がわいてきたぞ>と哲也は内心そう思った。

 新しい女も二人ほどいた。

 一人はカウンターの中にいて少し年増だ。

 もう一人はUの字をしたカウンターの向かい側にいて、カウンターにひじを突いて哲也の顔見知りの女とさかんになにかを喋っている。若くてなかなか可愛い女だ。

 カウンターには四十歳代のファラン(西洋人)が二人座っていてビールを飲みながら喋っている。

 哲也もハイネッケンの小瓶を一本注文してそれを一口ぐっと飲んだ。冷たいビールが渇いたのどを気持ちよく潤してくれた。

 それで一息ついた後、体と椅子をひねってゆっくりと周りの風景を見渡した。

 そこにはいつもと何も変わらないパッポンの雑踏の風景がある。

 平日の夕方ということもあってか、客はまだ少ないようだが、屋台の準備のため男も女も皆忙しそうに立ち働いている。

 近くのゴーゴー・バーから流れてくる音楽がかなりのボリュームで聞こえてくる。少しうるさいが哲也はこの喧騒がやっぱり好きなのだ。

 そうしているうちに、三十代半ばくらいのやはり前から顔見知りの、ちょっと色っぽい女が哲也の後ろに来て「テツヤ、久しぶりね」みたいなことをタイ語で言いながら肩のマッサージを始めた。

 わずかなチップが欲しいために、こういう店では年配の客が来ると客が頼むわけでも無いのにすぐマッサージをしにくるのが常だ。

 だがもしそれが嫌であれば断ってもいいのだが、哲也は断らず女がそれをするのに任せていた。

 女の名前は前に聞いたことはあるが忘れてしまった。女は肩のマッサージをした後、背中から腰、そして腕まで丁寧に揉んでくれる。気持ちがいい。

「サバイ・ディ・マイ?」

 女はそういっていい気持ちかとたずねてきた。

「サバイ・サバイ」

 哲也がそう答えると予想していた通りコーラを飲ませてくれという。

「いいよ」 と言うと嬉しそうに「コックン・カー」 とワイをしてカウンターの中の女にコーラを注文した。

 カウンターの上部にセットされたテレビではサッカーの中継をやっていた。

 ヨーロッパのどこかのリーグ戦の試合なのだろう。タイ人は結構サッカーが好きみたいだが、その日は誰もそれを見ている者はいなかった。

 ビールがなくなったので哲也はもう一杯同じビールを注文した。

 それを期にカウンターの中の新しい女が私にも一杯コーラを奢ってくれと言ったが、駄目だといって断った。

 可愛そうだが、こういう店でせがまれるがままに奢っていると、きり無くいろんな女からせがまれることになる。断る勇気もある程度は必要なのだ。

 以前はそれが出来なかったので言われるがままに奢っていると、伝票を入れるカップが伝票で一杯になり、自分が飲んだ分は四杯くらいしかないのに、二十杯分くらいの金を要求されたことがある。殆どが店の女のコーラ代だった。

 それでも短期の観光できている時なら、それくらいのお金は日本と比べると安いものなのでたいしたことはないのだが、今回は長期の仕事できているわけだから、観光の時と同じようにしていたら大変なことになる。

 前から知っている女ならしょうがないが、初めての女には断る癖もつけておかないといけないというのが、今回タイに来る前の哲也が自分自身に与えた心構えだった。

 だから早速それを実践の中で実行したわけだ。

 断られた女は、そんなことはもう馴れているのか、ちょっとふくれっ面はしたもののすぐに前の表情に戻って、哲也の注文のビールを持って来てカウンターの上においた。

 マッサージをしている女は二十分くらいでやめて、新しく来た別のファランの客のほうに行った。

 哲也に奢ってもらったコーラは一口飲んだだけで、哲也のウイスキーの横に置いたままだ。

 別にコーラが飲みたくてせがんだのではなく、コーラ代のうちのいくらかが自分の売り上げとしてもらえるので、彼女たちはそれだけが目的なのだ。

 屋外なので少し暑いが、雑踏を通り抜けてくる風が首筋に当たって気持ちがいい。

 二本目のビールを飲み終わった頃、ちょうど佐野がやって来た。

 佐野はメンパンにポロシャツというラフな格好だ。とてもビジネス・マンのようには見えないが、タイでは余程大事なお客さんと会うとき以外はそんな服装で全然問題ない。

「ご無沙汰しております。お元気そうですね。今回は無理言って本当にすみません。どうしても山口さんに手伝ってもらわないと無理な物件だったものですから、急に来てもらうことになってしまいましたが大丈夫でしたか?」

 佐野は顔を会わすなり哲也にお礼を言った。

「勿論大丈夫だよ。俺もちょうど今までやっていた仕事に切りをつけたところだったし、日本の仕事にも少々飽きも来ていたところだったから、丁度良かったよ。あなたの誘いがむしろありがたかったくらいさ。それはそうとここでビールでも一杯飲んでいく?それともミズキッチンに行ってから飲む?」

「そうですね、ミズ・キッチンに行ってからにしますかね」

 と佐野が言うのでビアバーはチェック・ビン(勘定)することにした。

 哲也はチェック・ビンした時、挨拶に来たマッサージの女に百バーツのチップを渡すことは勿論忘れなかった。

 《ミズ・キッチン》はビア・バーから歩いてもすぐ傍にあり、屋台のひしめき合う中を摺り抜けるようにして歩いても二分位でついた。

 ドアを開けると正面に二階に上がる木製の階段があり、哲也と佐野は自動的に二階に上がっていった。

 一階にはそこそこの客がいたが、二階のほうはまだ二組くらいの客しかいなかったのでテーブルは結構空いていた。

 二人は空いている奥のほうのテーブルのひとつを選んで腰を落ち着けた。

 《ミズ・キッチン》はいわゆる日本で言う洋食屋で、ステーキが売り物の店だ。

 何故そんな店が日本通りといわれるタニヤにではなく、もともとベトナム戦争の頃、米軍の兵隊の慰安のために造られたらしいここパッポンにあるのか哲也にもわからない。

 十年前哲也が始めてバンコクを訪れたときからこの店はあったから、この店の歴史は相当さかのぼるのかもしれない。

 二人はテイル・スープやビーフ・ステーキなどを注文し、ビールを飲みながらお互いの近況を述べ合った後、明後日からの仕事の段取りの話を佐野が哲也に簡単に説明した。

 明日はもう一日休みを取ることはタイに来る前に佐野の了解を得ていた。

 タイに着いた明くる日からいきなり仕事というのもちょっと辛いので、哲也がそう要望したのだ。

 そうこうしているうちに料理が来たので、二人は仕事の話は打ち切りにして、食事の後は何処に行こうかと言う話になった。

 哲也はつかさずオーのいるクラブの名前を言った。

 哲也はバンコクに来るたびに佐野を呼び出して一緒に行動をしていたので、当然オーのこともオーのいる《ピカソ》のことも良く知っていたので、

「じゃあ今日はそういうことにしますかねえ」

 と言って哲也と行動をともにしてくれることになった。(つづく)

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「イミテーション・ラブ」-1

第一章 バンコクにて
 

1 バンコクの土

  山口哲也はタイのドンムアン空港に今降り立った。懐かしい匂いだ。

 とはいえ一番最近バンコクに来たのは去年の十月だから、まだ四ヵ月しかたってないのだが、もうずいぶん長いこと来ていないような気がする。

 日本は今冬の真最中だと言うのに、ここバンコクではムッと来るような暑さだ。

 タイでは比較的涼しく過ごしやすい乾季ももうそろそろ終わり、一年中で一番暑い暑季に入ろうとしているのだろうか。

 哲也にとってタイはこの十年間で今回が七回目だ。しかし純粋に仕事で来るのは今回が二回目。

 以前仕事できた時は三ヶ月いたこともあるが、観光で来る時はいつも長くて十日間、短いときは一週間位の時もあったが、今回は半年以上の長期滞在になりそうだ。

 今は午後三時半、これからイミグレを出て荷物が出てくるのを待っても、五時までにはバンコクの中心街に着くだろう。

 イミグレはさほど混んでいなかったので、十分足らずで通過でき、階段を下りて荷物が出てくるのを待った。

 しかしイミグレで早く通過できた分、荷物を待つ時間が長くなった。約二十分近く待ってやっとゴルフクラブが出てきて、それからすぐスーツ・ケースも出てきた。

 それらの荷物を持ってたくさんの出迎えの人たちが待っているロビーに出て、とりあえず三万円を約一万バーツに両替してから空港の外に出た。

 出てすぐ、七時間も我慢に我慢を重ねてきた煙草を一本すった。煙草の煙が肺の奥深くに入り込みやっと生き返ったような爽快な気分になった。

 後はタクシーでバンコク市内に出て会社が借りてくれているサービス・アパートに行けばいいだけだ。

 サービス・アパートはバンコクのスクムビット・ソイ三十九のどちらかと言えばペプリ通りよりにあり、二十五階建ての高層アパートだった。

 五時少し前にアパートに着き、一階の受付でちょっとした書類にサインをした後、渡されたキーを手に部屋に入った。

 部屋は二十一階にあって五十へーべくらいの広さだった。一人では充分すぎるくらいの広さだ。

 窓にかかっているレースのカーテンを少し開けて外を見ると部屋は西向きのようで、バンコクで一番高いバイヨーク・タワーがちょうど正面あたりに見える。

 哲也はとりあえず荷物を少し整理した後、明後日からお世話になる会社の佐野に部屋から電話を入れ、今アパートについたことを知らせた。

 佐野は哲也が昔働いていた会社の七歳ほど後輩の営業マンで、十年ほど前にタイ支店に勤務になり、そのときにタイ人の女と知り合い結婚してしまったので、そのままタイに住みついてしまった。

 今ではそのタイ人の女との間に出来た子供が一人いる。

 佐野はその後別の日系設計会社に引き抜かれ、今はその会社の有力な幹部になっている。

 その会社が今回バンコクのある大きな商業施設の内装設計の仕事を請け負い、社内の人間だけでは処理できないため急遽哲也が助っ人として日本から呼ばれることになったのだ。

 一方の哲也は四年前に、それまで二十三年間勤めて来た内装会社が不況の波にのまれて倒産したために,その後は会社勤めがちょっと嫌になり、再就職する気持ちになれなかった。

 それで前々から憧れてはいたものの、なかなか踏ん切りがつかなかったフリーという立場になるには、この際が絶好のチャンスだと判断し、妻にも相談した上で一大決心をしてそうなったのだ。

 そしてこれまでのところはなんとかやってこられたのだが、この大不況の中、日本国内の仕事の質は年々低下し、それでも食べるためにと仕方なくやってきたところもあった。

 しかしそう言う仕事にもいい加減うんざりしていたところだったので、それまでやっていた仕事を切りのいいところで何とかうまく調整し、今回佐野の要請にこたえてタイにやってきたというわけだ。

 前回佐野と一緒に仕事をしたのは、佐野がタイに転勤になった年だからちょうど十年前の阪神淡路大震災があった年で、そのときは同じ会社の先輩と言う立場だった。

 しかし今回は少し違った状況で、佐野のほうが哲也の雇い主のような立場にある。

 しかし佐野はそんな自分の立場を傘に着るような様子は微塵も見せず、昔の先輩と後輩の関係そのままに丁寧な言葉遣いで喋ってくれた。

「お疲れ様でした。どうですか、久しぶりのタイは。お疲れでしょうが、もし良かったら今晩何処かでお会い出来ませんか?」

「いいよ、何処がいい?」

「とりあえず何処かで食事でもしませんか?日本料理がいいですか、それともタイ料理がいいですか?」

「何でもいいよ、あなたに任せる」

「解りました。じゃあパッポンの中にある 《ミズキッチン》 にでも行きますかね?。山口さんはあの店結構気に入っていましたよね。ただし私は今すぐ出ることは出来ないので七時半くらいになりそうですがいいですかねえ」

「ああいいよ、七時半ね。じゃあそれまでパッポンのいつものビアバーでビールでも飲んでいるよ」

「了解です。じゃあよろしくお願いします」

 そういうやり取りをした後、哲也はバスルームに入りお湯のシャワーを浴びて旅の汗を洗い流した。そしてすっきりしたところでまたタクシーに乗りシーロムに向かった。(つづく)

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2008年3月26日 (水)

「月の女」-22

【エピローグ 東京で】

 十二月二十八日の朝成田空港に着いたボクは荷物をいったんアパートまで持って帰り、少し仮眠をとってから昼過ぎに会社に行った。

 会社にとってもその日が御用納めの日だった。

 米倉部長にタイでの出張の簡単な報告をするとき、ボクの心の中は複雑な気持ちだったが、何とか表面上はうまく取り繕う事が出来た。

 米倉部長は何も関係がないような顔をして

「ご苦労さん」 と一言言っただけだった。

〈畜生め!〉 とボクは心の中で叫んだが、その感情を表面に出すことだけは何とか抑えることが出来た。

 その夜、課単位での忘年会があったが、ボクは出張の疲れを理由に断り、アパートに帰って寝た。

 ボクは本当に疲れていた。

 三十日の新幹線でボクは東北地方にある県庁のある都市の実家に帰り、正月の三ヶ日を両親と供に過ごし、又東京に帰ってきた。

 アパートに帰ってパソコンを開くと河島からメールが入っていた。そこには懐かしいタイの匂いがあった。

 河島は年末からノイに誘われて、ノイの田舎のロイエットに行ったと書かれていた。

 すごい田舎で、人々はかなり貧しい生活をしているみたいだが、その割には明るくて人懐っこくて大変な歓迎を受けたと書かれてあった。

 そしてその田舎でドゥアンとその娘に会ったとも記されていた。

 ドゥアンは娘に会えて元気そうだったが、お前と会えない寂しさを俺に切々と訴えていたと書かれていた。

 ボクはそれを読み、今すぐにでもバンコクに行きたい強い誘惑に駆られた。

 それでいながら一方で、ボクはその日から知り合いをあちこちあたって弘美の行き先を探し始めていた。

 しかし誰もそれは知らないようだった。田舎に帰ったかもしれないとボクは思った。

 ボクは弘美が残していった田舎からの手紙とかが何処かにないか部屋中を探してみたが、彼女のものは何一つ残っていなかった。

 改めて彼女のことを考えてみると、彼女はこの広い東京で心の許せる友達らしい友達もいなかったし、親戚もいなかったようだ。

 本当に身ひとつで東京に出てきたのだと言うことがわかり、余計不憫に思われた。

 そして彼女がどれほどボクのことを頼りにしてくれていたか、ボクと別れる決心をした時どれほど悩んだかもなんとなく推測できた。

 恐らくあの時弘美は心のどこかにぽっかりと隙間が出来ていたのだろう。

 仕事が忙しくてボクがあの頃弘美の相手をあまりしてやれなかったのも原因だったのかもしれない。

 この東京と言う街はこんなにいっぱい人がいるくせに、ボクら地方から出てきた人間にとっては、魅力的な街であると同時に、非常に孤独な街でもある。

 人ごみに行けば行くほどボクはそれを余計に感じる時もある。

 又この街はいろんな情報が飛び交う街でもある。

 自分が余程しっかりしていないとその激流に流されてしまいそうな街なのだ。

 そう言う街の中で、弘美はあの時何かをきっかけにして、ちょっとした心の隙間ができたのかもしれない。

 その心の隙間から彼女はたった一度過ちを犯してしまったのだ。

 しかし弘美はそのことにより苦しめられた。そして考えに考えた末、ボクと別れる決心をしたのだ。

 恐らくボクと一緒に暮らしている限りあの過ちを忘れる事が出来ないと思ったのだろう。

 その苦しみから逃れる為に、弘美は自ら決心をしてその道を選んだのだ。だからボクから離れていったのだ。

 ボクはその決心を思うと、中途半端に彼女を探すことはやはり止めたほうがいいのではないかと判断した。

 東京はボクには寒かった。

 夏からいきなり冬になった寒さに、弘美もドゥアンもいない寂しさが加わり、より一層ボクの心を寒くした。

 それでもボクは会社に戻り仕事に打ち込んだ。誰よりも遅くまで仕事をした。出来るだけ二人のことを忘れようとするかのように・・・。

 しかしそれから誰も居ないマンションに帰り、独りになるとボクはどうしても二人のことを考えてしまった。特にドゥアンのことが忘れられなかった。

 仕事を終えて駅からマンションまで帰る途中、夜道をとぼとぼと歩きながらなにげなく夜空を見上げた時、ぼんやりとした空の中でぽっかりと浮かんでいる月を見て、ボクはドゥアンのことを思い出した。

 そしてドゥアンとともに眺めたサメット島の事も同時に思い出した。

 僕はその時、ドゥアンがボクに静かに語りかけてくれているように感じたし、またボクのことを遠くからしっかりと見つめてくれているような気もした。

 今ごろドゥアンはどうしているのだろう、とボクはそのたびにドゥアンのことを考えた。

 相変わらず誰かにコーラを強請っているのだろうか。そしてそれだけでは田舎にも送金ができないので、たまには誰かにペイバーされて、その男とホテルに行ったりしているのだろうか、と考えることは、ボクには身がきられるように絶え切れないほど辛いことだった。

 それから一ヶ月くらいたったときにまた河島からメールが来た。

  その後元気にしていますか。
  こちらは相変わらずバタバタとしています。

  君が帰ったあと暫くして、
  いったん決まったプランが又変更になり、
  その修正で今は大変です。

  君にもう一度バンコクに来てもらえないかと、
  これから部長に交渉しようと思っていますが
  その前に君の都合と気持ちを知りたいので、
  部長に交渉する前に先にメールしました。

  予算の都合もあり、
  依頼どおりの結果になるかどうかは保障できないけれど、
  君の返事次第で部長に依頼しようと思っています。

  出来れば明日中に返事ください。

  勿論ドゥアンも君の来タイを待っています。

 メールはそう言う内容だった。

 ボクはそのメールを読んで河島がボクをバンコクに呼び戻す為に、いろいろ工作しようとしてくれているのを感じた。

 そしてそのバックにはドゥアンの存在があることも強く感じた。

 ボクは一晩考えた末、是非バンコクに呼んでほしいという返事のメールを河島に送った。

 そして今度向こうに行った時には、今の仕事をこなしながらも、向こうで一生できるような仕事を探そうと強く思った。(完)

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2008年3月25日 (火)

「月の女」-21

【第二十章 別れの日】

 最後の朝が来た。

 朝七時過ぎに起きてドアをあけてみると、相変わらず空は雲ひとつない快晴だった。

 庭の大きく張り出した木の枝の間から、朝の陽の光がキラキラと芝生に降り注いでいる。爽やかな朝だ。

 ボクはテラスに出て、そこにある木の椅子に腰をおろして煙草に火をつけた。

 作日と同じように愛想のいい親父が、少し離れた庭の芝生にホースで水をやっているところだった。

 そのうちテラスに出てきたボクに気が付き、いつものワイの挨拶を送ってきた。

 煙草を一本吸い終わるとボクは又部屋に戻っていった。

 部屋に入ると奥のバスルームからドゥアンが使っているシャワーの音が聞こえてきた。ボクはテレビをつけ、ドゥアンのシャワーが終わるのを待った。

 ドゥアンが出てきたのと入れ替わりに今度はボクがシャワーをした。

 ボクがシャワーをして部屋に戻ると,ドゥアンは鏡の前で髪にドライヤーを当てているところだった。

 全ての帰り支度を終えたところで、ボクらは浜辺のほうに出て行き、昨日と同じ朝食をとった。

 朝食を済ませてから又部屋に戻り、暫くゴロッとした後、八時半出発の船で島を出た。

 今度は高速艇ではなく、普通の定期便だ。四十分くらいでラヨーンの港に着いた。

 船着場で暫く待っていると、一昨日約束したタクシーが約束通り迎えに来てくれたので、それに乗り込みバンコクに向かった。

 昼過ぎにバンコクに着いた。

 島から戻ってくるとバンコクの喧騒がいつも以上に鬱陶しく感じられた。

 ボクらはいったんボクのアパートまで戻り荷物を部屋に置いてから、外のレストランで軽く昼食をすませ、ドゥアンに約束した買い物に行く為にエンポリアムに向かった。

 ボクは何か思い出になるアクセサリーのようなものをドゥアンに買ってやりたいと思っていた。

 エンポリアムについた後、一階のアクセサリー売り場を覗きながら、ボクはドゥアンに何でもいいから好きなものを買ってあげると言った。ドゥアンは嬉しそうな表情で

「なんでもいいの?」 と聞いた。

「いいよ、ただし一万バーツまでだよ」 とボクが言うと

「エーッ!一万バーツ?」

 ドゥアンは一万バーツも予想していなかったらしく、かなり驚いた様子だった。

 そして暫く考えた末、ボクの手を引いて何処かに行こうとした。

 何処に行くのかと思いながら手を引かれるがままついていくと、ドゥアンはエンポリアムの外に出、さらに車の往来をうまくすり抜けて道を反対側に渡ってしまった。

 今度はボクが「エーッ?」 という番だった。

「何処に行くの?」 ボクはドゥアンに尋ねた。

 まあまあと言う感じで、ドゥアンはやってきたタクシーを捕まえボクを乗せ、そのあと自分も乗り込んだ。

「パイ・トンロー・カー(トンローまで行ってください)」

 運転手にそう言うと、ドゥアンはニコニコしながらボクの腕に自分の両手を回してぴったりとくっついてきた。

「トンロー?」 ボクは頭をひねりながらそう言った。

 すぐにタクシーは目指すトンローの交差点についた。

 ドゥアンはそこでボクを今度は引っ張るようにタクシーから下ろすと、交差点のある金ショップに入っていった。そこで初めてボクはドゥアンが考えていることを理解した。

 ボクはその時、タイの女はゴールドが好きだと言うことを誰かから聞いたのを思い出した。

 ゴールドならいざと言うときに、買った時と殆ど変わらない値段で売ることが出来るからだ。

 ドゥアンは最初ボクが何か買ってあげようと言ったとき、千バーツくらいのものを想像していたのかもしれないが、一万バーツと聞き、だったら金にしようと考えを変えたのだ。

 ゴールドならいざと言う時にはお金に変えることもできる。

 ゴールドを買うにはエンポリアムではなく、金ショップがあるトンローの方がいいとドゥアンは即座に判断したのだろう。

 ボクはタイ人の生活力の旺盛さを、ドゥアンにも同じように感じた。そしてさすがにしっかりしているな、とも思った。

 ドゥアンはそこで一万三百バーツのネックレスを気に入ったようだった。

 予算より少しオーバーするけれどこれでもいいですか?という感じでボクの目を見た。

 ボクはオーケーと言ってそれをカードで支払った。ドゥアンは大喜びだった。

 ドゥアンが喜ぶ姿を見てボクも当然ながら嬉しくなった。

 金ショップを出てボクらは又ボクのアパートに戻り、ドゥアンの荷物を渡したところで、ボクはドゥアンにここで別れようと言った。

 前からそう言っていたのでドゥアンもある程度覚悟はしていたらしく、しかし力なく頷いた。

 ドゥアンは暫くうつむいた後ようやく顔をあげてボクの眼をじっと見た。

 その目は涙であふれそうになっていた。

 それを見てボクもグッと込みあげて来るものが胸の中にあったが、かろうじてそれをこらえドゥアンをしっかりと抱きしめた。

 そしてその後入り口のドアまで送って行き、そこでボクらは別れた。

 ドゥアンと別れた後、ボクは誰もいない部屋の中で独りベッドに仰向けになって寝た。

 そして両手を頭の後ろで組み、天井の白いボードを何となく眺めながら、ボクはもう自分には何もないと言う喪失感と寂寞感で打ちひしがれていた。

 そしてみぞおちあたりに、あの四角いせつなさの塊のようなものがつっかかっているのをなんとなく感じていた。(つづく)

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2008年3月24日 (月)

「月の女」-20

【第十九章 最後の夜】

 いよいよドゥアンと一緒に過ごせる最後の夜がきた。

 ボクらは昨夜と同じ浜辺にあるシーフードの店に行き、昨夜と同じテーブルで最後の夕食をとった。

 ボクはビールを飲みドゥアンはバカルディを飲んだ。昨夜は海老を食べたので今日は魚を中心に注文した。

 昨夜食べたムール貝がドゥアンはおいしかったらしく今日もまたそれを注文した。

 昨夜と全く同じように空には満天の星と満月の月、海からは波の打ち寄せる音と涼しくさわやかな風。

 テーブル席の両サイドにはかがり火がたかれている。そしてボクの横にはドゥアンがいる。全てが何も変わらない繰り返しだ。

 時間がゆっくり流れているのが感じられる・・・。

 ボクは少し酔った頭で、横にいるドゥアンについて考えていた。

 〈ボクがいまドゥアンに対して感じている感情は愛なのだろうか?それとも憐憫を愛と勘違いしているのではないだろうか?〉と。

 この感情が愛といえるものなのかどうかボクにはまだ判らない。でも彼女を愛しいと感じているのは確かだ。

 彼女はボクなしでも生きていくことは可能かも知れないが、ボクは彼女を守ってあげたいという感情がこの胸の中にいっぱい満ち溢れている。

 ボクはこうしてドゥアンと一緒にいるだけでこんなにも充実してしまっている。

 何も話さなくても、何もしなくてもずっと一緒にいることが出来る。これはもしかしたら愛というものではないだろうか・・・。

 でもだからといってボクらはこのままずっと一緒に暮らすことは出来るだろうか。

 これまで生きてきた環境は御互いに全然違う。宗教も違えば考え方も違う。言葉も満足に通じない。

 だからボクはどれほど彼女の事を理解しているといえるだろうか。ボクのこの少ない語彙でこれから何処までコミュニケーションが取れるのか、それこそ全然自信がなかった。

 そんなことでこれからの長い人生を一緒に暮らしていくことなんか出来るのだろうか。

 それにこれはすごく現実的な話だが、この国では日本人の男がタイ人の女と結婚すると、家族は勿論親戚までふくめた一族郎党皆の面倒まで見なくてはいけなくなるとは、よく聞く話だ。

 ボクにはそこまでの覚悟が出来ているだろうか?とそこまで考えたところで  

「ユタカには何かオバケが見えるの?」

 横でドゥアンが心配そうな顔をしてボクの顔を覗き込みそう聞いてきた。

「えっ、どういうこと?」

「さっきからじっと海を見ているから」

 その言葉でやっとドゥアンが言おうとしている意味をボクは理解した。

 タイ人は何か考え事をしていると、「オバケを見ている」という表現の仕方をする、というのを以前に誰かから聞いた事があるのをボクはその時思い出したのだ。

「何でもない。この貝おいしいね」

  ボクはそう言って適当に話を誤魔化した。

「そう?ユタカはこの貝が好きみたいね。今度タイにきたら私が料理してあげる」

「ありがとう。楽しみにしているよ」

「今度はタイに何時来る?」

「わからない。でもすぐ来ると思うよ。ドゥアンに逢いたいから」

「本当?うそついたら駄目よ。約束して」

 ドゥアンはそう言って右手の小指をボクのほうに突き出してきた。ボクはそれにボクの小指を絡ませて何回も上下に振った。

「明日私空港まで送っていってもいい?」

「来たら駄目。涙が出たら困るから。それに君の方が心配だから」

「そう?でも行きたいなあ。行ったら駄目?」

「来なくていい。その方がいい」

 ボクは頑なにそれを拒否した。本当に来てほしくなかったのだ。

 だからその言葉はボクの本当の気持ちだった。その迫力に負けたのか、ドゥアンは少し悲しそうな表情をしながらも渋々納得した風だった。

 昨日と同じ十時くらいまでボクらはそこにいて部屋に帰った。

 部屋のドアを閉めるなり、ボクは内から出てくる強い感情を抑え切れず、ドゥアンを立ったまま強く抱きしめた。

 ドゥアンはそんな突然のボクの様子に少し驚いた様子だったが、ボクと同じほどの激しさでその抱擁に答えてくれた。

 ボクらはむさぼるような激しいディープキスをして、そのままベッドになだれ込むように倒れた。

 シャワーも浴びないままボクはドゥアンの服を脱がせ、体中のありとあらゆる所を手と舌でいとおしむように愛撫した。まるで手と舌にドゥアンの体を染み込ませるかのように・・・。

 そんなボクの愛撫に対してドゥアンも激しく答えて反応した。

 ボクらは一心同体なのだ、ということをこれでもか、これでもか、というほど確認しあった後で、ボクは次にゆっくりと静かに手のひらと指でドゥアンの全身を再確認するように撫ぜた。

 頬から首、肩、わきの下、腕、胸から臍の周りにかけての柔らかな起伏、腰から下腹部にかけての曲線、太ももから足首、そして背中からお尻にかけてのなだらかにカーブする起伏。

 全てがボクには愛おしく失い難いものだった。

 こいつを失いたくない、失いたくないとボクは何度も心の中で叫んだ。

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2008年3月23日 (日)

「月の女」-19

【第十八章 島巡り】

 シャワーを済ませた後、ボクらは朝食をとりに又浜辺のほうに出ていった。

 しかし今度は屋外ではなく、浜辺の手前のオープンではあるが屋根付のテラスという感じのレストランに行き、海に一番近いテーブルについた。

 ファランの客が何組か先に食事をとっていた。

 注文を聞きにきた店員からメニューを受け取り、その中からボクはコーヒーとトーストとスクランブルエッグとサラミソーセージのセットを注文した。

 そしてドゥアンはボクと同じだが、コーヒーをオレンジジュースに代えたものを注文した。

 ボクは食事が運ばれてくるまでの間タバコを吸いながら、二時間ほど前に散歩したあたりを何気なくなく眺めていた。

 何か胸がキュッと痛むのを感じた。ドゥアンはそんなボクの心の中はわからない様子で、テーブルの上に頬杖をついて静かに真ん前の海を眺めていた。

 朝食の後ボクらは又浜辺を少し散歩した。昨日とは逆の、今朝早くボクが一人で歩いたコースだ。

 もうすでに海に入っている人も何人かいる。ビーチパラソルの下で日光浴を楽しんでいる人達も結構いる。

 それは早朝の風景とはかなり違っていて、何故かドゥアンに対しての罪の意識が薄まった感じで少し安心した。

 散歩を終えた後又部屋に戻り、暫くベッドに横たわりテレビで洋画を見た。

 十一時過ぎにボクらは又浜辺に出て、島巡りの船を待った。

 暫くしてその船に乗るための筏のようなものが用意され、ボクらを含めて十人くらいの客がそれに乗り込み、少し沖に留めてある高速艇に運ばれた。

 客はファランのカップルが二組と、日本人ファミリー(といっても子供三人は皆成人していたが)が五人とボクらの十一人だった。

 もう一隻ファランばかりを乗せた高速艇も一緒だった。

 ファランばかりをのせた高速艇が先に発進していき、その後にボクらの船が続いた。

 ボクとドゥアンは客室の一番前に並んですわり、船の進んでいく方向を眺めていた。

 船は白い水しぶきをあげて真っ青な海の上を滑るように猛スピードで進んでいく。

 島は大した大きさではないのでたちまち島の南端の岬が近づいてきた。

 その手前で船は速度を落としやがてエンジンを止めた。先に出発していたもう一隻の船もすでに近くでエンジンを止めて海の上に浮かんでいる。

 タイ人の運転手(船長?)が用意してくれたゴーグルとライフジャケットを身に着けて、皆は船の後方から海の中に入っていった。

 ボクはドゥアンに一緒に海に入ろうと誘ったが、ドゥアンは昨日と同じでどうしても入らないというので仕方なくボクだけが入った。

 水は浜辺よりは少し冷たかったが、熱帯のきつい日差しの中では気持ちが良かった。

 ボクはゴーグルで海の中を覗いたり泳いだりしながら暫く海の上に浮かんでいた。

 ドゥアンはそんなボクを船の上から楽しそうに眺めたり、写真をとったりしていた。

 十五分くらいして皆船に戻り始めたので、ボクも仕方なくそれに従った。

 皆が船に戻ったところで、船は又出発した。舟は南の岬を回って西側に出て、今度は北に方向を変えた。

 ボクらが泊まっている東側の海岸と違い、西側の海岸は低い山が海にせまっていて浜辺はなかった。山のところどころに別荘風の建物が樹木の中に見え隠れしていた。

 かなり北のほうに行ったところで船はもう一度とまり、さっきと同じことをさせてくれた。

 その後船は北の岬を回り、今度は東に旋回した。

 暫く行ったところで今度は海岸から少しはなれて海の中に浮かんでいる魚の養殖場のようなところで船は止まった。ボクらはそこで又船を降りた。

 海亀の養殖場だった。今度はドゥアンも一緒だ。

 三十メートル四方くらいを九つのブロックに区切った中に、様々な大きさの亀が養殖されており、ボクらはそれをゆっくり眺めて歩いた。

 近くにいるタイ人から五十バーツの小さな魚の餌を買いそれを亀に与えたりしながら。

 船はその後少し南に方向を変えて少し行ったところにある、水上レストランにボクらを連れて行った。

 そこは海岸から百メートルくらい離れた海の中に建っている木だけで作られたタイ風のオープンな建物だった。

 天板がガラスのテーブルで、その下の床がくり貫いてあるので、テーブルの上からでも下にある海面が見える仕組みになっていた。

 海の中を小さな魚が泳いでいるのを見ながら、ボクらはそこで少し遅い昼食をとった。勿論シーフフードだ。

 出発して二時間位で予定通りもとのビーチに帰ってきた。二人とも少し疲れたので一度バンガローに帰り昼寝をとることにした。

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2008年3月22日 (土)

「月の女」-18

【十七章 奇妙な浜辺の風景】

 翌朝六時過ぎに目を覚ましたボクは、まだ眠っているドゥアンを無理やり起こして散歩に行こうと誘った。

 カーテン越しに窓の方を見ると、ちょうど夜が明けかけていたので、今ならちょうど朝日が昇るのを見る事が出来るかもしれないと思ったのだ。

 折角ここまできたのだから、朝日が登るのを見てみたいと思ったからだ。この海岸は東向きなので丁度いいとボクは思った。

 しかしドゥアンはまだ眠そうで起きたくない様子だったので、仕方なくボクは一人で出かけることにした。

 勿論部屋を出て行く時ドアの鍵をしっかり閉めることは忘れなかった。

 部屋の外は思っていた通り陽はまだ出ていなかったが、日の出前の白々とした状態だった。

 部屋を出てから浜辺の方に向かって歩き、そこから昨日とは逆に左の方角に歩いてみようとボクは思った。

 ボクは浜辺とそれに続く朝の静かな海の景色を見ながら、二、三分ゆっくりと歩いた。

 浜辺にはほとんど人の姿はなかった。一組だけ中年のファランのカップルがボクの五十メートルほど先を歩いているだけだった。

 そんな中でボクの頭はさっきからある奇妙な想念に捕らえられていた。

 それは何故かわからないが、今目の前にある景色を以前どこかで見たことがあると思える、いわゆる既視感と呼ばれる現象だった。

 何処で見たのだろう? 

 ボクがこの島に来たのは勿論昨日が初めてだし、昨日はこちらとは逆の方向に行ったのだから、この風景はボクにとっては勿論、今日初めてみる風景であることは百パーセント間違いないはずだ。

 なのにボクはつい最近、これと全く同じ風景を何処かで見た記憶があるような気がする・・・。

 そんなはずはないと思うのだが、どうしてもその想念が付きまとって離れようとしない。

 どうしてだろう?・・・。

 そんなことを考えながらぼんやり歩いていると、ちょうど東の空から太陽が昇り始めた。

 その瞬間、それまではしらじんで平面的だった周りの風景が、太陽の光により急に陰影を持ち始め、それぞれがその存在を強く主張しはじめた。

 砂浜も海も樹木も建物もボクを取り囲む全てが・・・。

 その時 〈アッ!〉 とボクは叫んだ。突然思い出したのだ。

 この風景はまさしく弘美が米倉部長に犯されていた、あの夢に出てきた浜辺の風景だと。

 ボクは愕然となり、その場にそのまま立ち尽くした。

〈エーッ、何故だ!。何故それまで一回もみたこともないこの風景が、何日も前の夢の中に出てきたのだ!〉

 ボクは少し気味が悪くなり、もう一度周りの景色を見渡してみた。

 白い砂浜とその先に続く青い海。砂浜はずっと先に行くと右のほうにせり出して岬になっている。

 その岬にはたくさんの樹木と岩場がある。それはどう見てもあの夢に出てきた風景と全く同じなのだ。

〈これは弘美のボクに対する復讐かもしれない〉 とボクはまず思った。

 もともとは弘美の浮気が原因でボクらは別れたのだが、ボクだけがその後ものうのうと暮らしてきて、おまけにこんなにも幸せでいることに対する、弘美の激しい嫉妬が生んだ現象かもしれない。

 ボクはそう思った。

 しかし弘美はそんなに嫉妬深い女ではなかったはずだが・・・。

 ボクはとりあえずなんとか気を取り直してバンガローのほうに歩き始めた。

 バンガローの前まで来ると、昨日部屋まで案内してくれた愛想のいい男が庭の掃除をしていて、ボクの姿を見つけると両手でワイをして笑顔で 

「サワディ・カップ」 と挨拶をしてくれた。

 ボクも何とか笑顔を作りおじぎをして挨拶をかえした。

 部屋に戻っても、ドゥアンはまだベッドの中で眠っていた。ボクはそっとその横にもぐりこみドゥアンの横でもう一度眠ろうとした。

 しかしさっきの奇妙な体験が頭に残って眠れない。

〈何故だろう?。なぜ夢の中にあんな風景が出てきたのだろう?〉 ボクは又そんなことを考え始めた。

 そして一応出した結論は、浜辺の風景なんて何処も似たり寄ったりで、たまたまよく似ていただけなんだということだった。

 しかしそれにしてもあんなにも細部まで似た景色なんてあるものだろうか、という疑問までは打ち消すことは出来なかった。

 それからあの後、弘美は一体何処に行ってしまったのか、そして今何をしているのだろうと考えずにはいられなかった。

 ボクはドゥアンの寝ているすぐ横でそんなことを考え、弘美に対してある種の愛おしさを感じていた。

 そして弘美は私を探さないで、と言ってはいたが、日本に帰ったらやはり弘美を探してみようと思った。

 そんなボクに何かを感じたのか、横で眠っているはずのドゥアンが突然寝返りを打ち、突然両腕をボクの首に巻きつけてきた。

 ボクはそれに答えて、裸のドゥアンのよく引き締まった腰を強く抱きしめた。そしていつものように、いやいつもよりすこし激しくボクらは愛し合った。(つづき)

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2008年3月21日 (金)

「月の女」-17

【第十六章 サメットへ】

 サメット島に行く船が出ているラヨーンの船着場には、バンコクから約二時間あまりで着いた。思っていたよりも早かった。午後一時を少し過ぎたころだった。

 二日後の朝十時に迎えに来てくれるようタクシーの運転手にお願いした後、ボクらはそのタクシーを降りた。

 運転手に教えてもらった船の切符売り場のようなところに行って、ドゥアンが赤い花柄のワンピースを着たおばさんと話してみると、船はもう出てしまって、今日はないと言う。

 その代わり千五百バーツ出せば二十分で目的地に着ける高速艇があるがどうか、ときいてきた。

 ボクはあらかじめ読んできた「地球の歩き方」に、そういうことをいう人がいるが、船は毎日一時間に一本あるから、だまされないように注意してくださいと書かれていたのを思い出したが、二十分というのに惹かれてそれを頼むことにした。

 二人だけで貸しきるのだから千五百バーツと言うのもそんなに高くはないと思ったのだ。それよりも早く島に着いてゆっくりしたかった。

 ドゥアンは何故そんな高いお金を払うの、と言うような顔をしたが、あえて反対はしなかった。

 サメット島は南北に細長い島で、われわれが目指すのは真ん中より少し南にあるウォン・ドゥアン・ビーチと言うところだった。

 高速艇はおばさんが言った通り二十分くらいでそのウォン・ドゥアン・ビーチに着いた。

 船は砂浜の二十メートルほど手前でエンジンを切り、あらかじめ待っていた色の黒い、愛想のいい中年の男が、一人水の中をひざまでつかりながら船までやってきて、ボクらを乗せたまま船を砂浜の近くまで手で引っ張っていった。

 砂浜の五メートルほど手前でボクとドゥアンは靴を脱ぎ裸足になって船を降り、靴を手に持って水の中を砂浜まで歩いた。

 荷物は船を引っ張ってくれた男が持ってくれた。

 水は熱帯の灼熱の太陽の光をおもいきり吸収していて生暖かく、砂は真っ白でパウダーのように細かく、裸足の足に優しく絡み付いてきた。

 平日のせいか砂浜には人はそれほど多くはなかったが、寂しいと言うほどでもない。

 ボクらは荷物を持ってくれている男の後をついて砂浜を歩いた。

 砂浜を三十メートルほど歩いたところに、バンガローの受付のようなカウンターがあり、そこでチェックインをして鍵をもらい、又男の後について暫く歩いた。

 熱帯の樹木が生い茂る広いガーデンを五十メートルほど歩いたところに、ボクらが泊まるバンガローがあった。

 表がテラスになっている一軒屋で、玄関が左右対称形に二つあった。そのうちの左側がボクらの部屋だった。同じような建物がガーデンの両サイドにいくつか建っている。

 ボクはさっきもらった鍵で入り口のドアを開け、部屋の中に入っていった。その後にドゥアンと荷物を持った男も入ってきた。

 部屋はボクのアパートと同じくらいの広さだったが、真四角なのでちょっと雰囲気は違っていた。

 部屋の真ん中に大きなダブルベッドがデンとすえつけられており、奥にはシャワールームとトイレがあった。内装の趣味も悪くはない。

 荷物を持ってきてくれた愛想のいい男が、その荷物を部屋に置いた後、ドゥアンにチケットのようなものを見せて何か説明をし始めた。

 横で聞いていると、明日昼頃高速艇で島めぐりが出来、二時間で八百バーツだがどうか、と誘っているみたいだった。

 ドゥアンはボクにどうすると言う表情で聞いてきたのでオーケーだと答え、八百バーツをその男に渡した。

 男はそれと引き換えにチケットをドゥアンに渡し、それではごゆっくりと言うようなことを言って部屋を出て行った。

 ボクらはとりあえず着替えを済ませた後砂浜に出て行き、そこに出ている何軒かの店のうちの一軒を選んで、木陰の下のテーブルに座り遅い昼食をとることにした。

 ドゥアンは短パンにTシャツと言うスタイルだ。

 テーブルに座って浜辺のほうを見渡すと、歳をとってお腹の出たファランのカップルが多かった。

 中にはいかにもタニヤのクラブから連れてきたと思えるような、若いタイ人の女性と日本人らしき中年のおっさんのカップルもいる。

 後はタイ人の金持ちのファミリーらしき人たちも何組か見受けられる。

 注文を聞きにきた上半身裸の若い男にボクはビールとスパゲティを、ドゥアンは鶏肉をいためた料理とコーラを注文した。

 それにしてもタイに来て始めてバンコク以外の土地に来たわけだが、同じタイとは思えないほどのんびりした気分になれる。

 ボクは改めてここに来てよかったと思った。ドゥアンもすっかりくつろいでいる。

 ゆっくり時間をかけて食事を済ませた後、ボクはTシャツを脱ぎ水着だけになって海の中に入り少し泳いだ。

 ドゥアンも誘ってみたが笑顔で首を横に振りいやだと断った。どうもタイ人は海で泳ぐと言うのは苦手なようだ。他のタイ人も泳いでいる人はいない。

 ドゥアンはテーブルに残りボクが泳ぐのを嬉しそうに見ているだけだった。

 少し疲れるとボクもドゥアンのいるテーブルに戻り又ビールを飲んだ。

 そんなことを二、三回繰り返した後、ボクはドゥアンに浜辺を散歩しないかと誘った。今度はあっさりと同意した。

 ボクらは客達が浜辺で寝そべっている波打ち際を、白い砂の感触を足の裏で感じながら手をつないでゆっくり歩いた。

 時々波が押し寄せてきて、ボクらの足を洗った。太陽は少し西に傾き、日差しは幾分弱まった感じになってきた。

 二十分ほど歩くと岩場があった。そこで真っ黒に日焼けしたタイ人の中年の男が二人釣りをしていた。

 ボクらはそこを通り越して更に進んだところの岩場に腰を下ろし、暫く海を眺めていた。

 周りには誰もいない。ちょうどボクらが船を降りたあたりに一隻の船がやってきて、十数人の客が乗り込もうとしているのが見える。帰りの客なのだろう。

 ボクは岩場で立ち上がり、持ってきたアナログカメラでドゥアンの写真を何枚か撮った。

 ドゥアンはファインダーの中でポーズをとる。時間がゆっくり流れているのをボクは全身で感じる。

 ボクらはそこに暫くいた後、来た道を又戻った。

 砂浜の奥のほうにある熱帯の樹木の間に、来るときには気づかなかったバンガローが点在してあるのに気がついた。

 人がいる浜辺まで戻ってきたところで砂浜に敷物を敷いてファランの若いカップルが一組マッサージを受けていた。 

 ボクらがその横を通り過ぎようとすると、小錦を少し小さくしたみたいなおばさんがあなたたちもやらないかと誘ってきた。

 ボクはどうすると言う顔でドゥアンのほうを向くと、彼女はやりたいと顔で返事をした。

「タウライ(いくら)?」 とボクがそのおばさんに聞くと

「ヌンチョモン、シーロイバーツ(一時間四百バーツ)」 とおばさんは答えた。

 ボクは少し高いと思ったが、こんな所だからしょうがないかと思い直しやってもらうことにした。

 二人は砂浜に敷いたビニールシート並んで仰向けに寝てマッサージを受けた。

 ボクはマッサージはそれほどやるほうではないが、バンコクでは、特にスクムビットでは日本人向けのマッサージ屋がいたるところにあるので、それまでに何回かしたことはあるが、屋外でマッサージをしてもらうのは今回が初めてだ。

 結構気持ちのいいものだが、マッサージ自体はお世辞にもうまいとはいえなかった。

 それでも気がつくと何時の間にか寝てしまっていたのだろう。目がさめたらあたりはもうすっかり暗くなりかけていた。

 マッサージを終えるとボクらはとりあえずバンガローに帰り、シャワーを浴び、服を着替えてから暫くテレビなどを見て時間をつぶした後、今度は夕食をとるために又浜辺に出て行った。

 ドゥアンは今度は黄色い花柄のアロハシャツに薄いブルーのパンツだった。

 ボクらは水際に近いシーフードのある一軒の店を選んで、海を眺められる側に並んで座った。

 そしてエビやらムール貝などのシーフードを肴にビールを飲んだ。

 ドゥアンもバカルディを飲んだ。月の光で海が黒く照らし出され、波の音がすぐ近くで聞こえた。

 空には星が信じられないほどたくさんあった。

 そしてそれらの星達の真ん中に、まん丸な月(ドゥアン)が驚くほどの存在感でくっきりと浮かんでいた。

 それはボクらをなんともロマンチックな気分にさせてくれた。ボクはその時、日本に帰ってからも月を見るたびにドゥアンのことを思い出すに違いないと思った。

 気持ちよく酔ってきたところで、ボクらはこの気持ちよさを二人だけでは持ちきれないような気分になり、河島に携帯で電話をしてみようということになった。

「もしもし、河島、俺だよ」

「おお、お前か。どうだ、サメットは?」

 ボクはここに来る前に一応河島にだけは行き先を教えていたので、河島はその事を知っていた。

「すごくいいよ、お前も一緒にくればよかったな。最高だ。波の音聞こえるか?」

 ボクはそう言って携帯を海のほうに向けて、河島にその音を聞かせてやった。

「聞こえる、聞こえる。畜生、羨ましいな。ドゥアンも一緒だろ?」

「勿論だよ、ちょっと話してみるか?」

 ボクはドゥアンに携帯を渡した。ドゥアンはそれをニコニコしながら受け取った。

「ハロー、シンジ。サワディ・カー」

 といった後タイ語で喋り始めた。ドゥアンはひとしきり喋った後で又ボクに携帯を渡した。

「ところでお前は今何してるの?」

「お前がいないから望月と二人で居酒屋でメシ食ってるよ。ああそうそう。明後日六時からお前の送別会を兼ねた忘年会をやることに決まったからから、五時半くらいまでに会社に戻ってきてくれ。大丈夫だろ?」

「ああわかった、大丈夫だ。ありがとう。じゃあな」

 ボクはそう言って電話を切った。

 十時くらいまでボクらはそこでゆっくり食事をして、その後ちょっと砂浜を散歩した後バンガローに帰った。(つづく)

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2008年3月20日 (木)

「月の女」-16

【第十五章 ビアガーデン】

 バンコクでの最後の一週間が始まった。

 会社での仕事は月曜日、火曜日の二日間で終わらせ、水、木、金曜日は休みをとり、タイ最後の思い出にどこかに旅行したいとボクは思っていた。

 そして予定通り火曜日の夕方仕事は片付いたので、ボクはまた河島を誘いドゥアンのいる店に行った。

 まだ七時にもなっていなかったので、ドゥアンはノイともう一人の友達のファーと一緒に、店の表のテーブルでソムタムとバッタのような昆虫を食べているところだった。

「ハーイ、シンジ、ユタカ。サワディ・カー。今日は早いわね」

 ノイがいちはやくボクらの姿を見つけて立ち上がり、河島の腕に手を回して自分達が座っていたテーブルに連れて行った。

 ドゥアンは手にもっていたナイフとスプーンをテーブルの上におき、その場でボクらに向かってワイのポーズをして挨拶した。ファーもドゥアンと同じポーズをした。

 ボクらはとりあえずそこに座って、ハイネッケンを二本と彼女達のためにコーラを三杯注文した。

「今日は何処かに飯食いに行かないか?それとももう食ってしまった?」

 河島がそう聞くと

「ソムタムをちょっと食べただけだから、全然マイペンライよ、行こう、行こう」

 ノイは大喜びでもう早速服を着替えに店の奥のほうに入っていった。

「ファーもペイバーしてやるから一緒に行こう」 と河島が言うと

「ワー、ホント?コックン・カー」

 とファーも喜んで河島の頬にキスをして奥に入っていった。

 最後にドゥアンも「じゃあちょっと待っててね」

 と言い残して着替えに行った。ボクらが二人になったところで河島が

「ところで何処に行く?」 と聞いてきたので

「そうだなあ、何処がいいかな・・・、そうだ、ワールド・トレード・センターのビア・ガーデンにでも行かないか?」 とボクは提案した。

「うん、それいいかもしれないね。そうしよう」

 これで行き先はきまった。

 ボクらは女達が皆そろったところで、タクシーに乗ってビア・ガーデンに向かった。

 五人だと日本では二台のタクシーが必要だが、この国ではそんなことはお構いなしだ。

 前の席に河島が座り、後ろの席にボクと女三人が座った。もっともドゥアンはボクのひざの上だったが。

 バンコクではビア・ガーデンは乾季にはいった十一月くらいにオープンする。

 年中夏だから年中オープンしていてもよさそうだが、いくら暑くても雨の多い雨季はお客が集まらないのかもしれない。

 ワールドトレードセンターと伊勢丹百貨店の前にあるビアガーデンはいくつかあるようだったが、ボクらはその中でスクムビット通りに一番近いところを選んで座った。

 かなり離れた前のほうのステージで生バンドがタイのポップスを演奏していた。

 タイのポップスも仕事中にタイ人のオペレーターがCDで流しているためか、知らず知らずのうちに耳に残っていて、結構いい歌があるなあとは前々から思っていた。

 ただそれがなんと言う歌手の、何と言う題名の歌なのかまではボクも知らない。

 ノイがクーポンを買って来るからお金を頂戴と言うので、河島が千バーツ札を二枚ノイに渡すと、三人の女は連れ立って何処かに行ってしまった。

「いよいよもうすぐ日本に帰れるね。どう?帰りたい?」

 女たちがいなくなると河島がそう話し掛けてきた。

「うーん、複雑だなあ。正直言うと、まだもう少しこちらにいたい気もするけど、何時までもいるわけにもいかないしね」

「お前が日本に帰ってしまうとドゥアンが寂しがるよ。それにお前の援助がなくなったら彼女困るんじゃないの。どうするつもりだろ?何かそんな話した?」

「この間ちょっとだけそんな話もしたよ。日本に帰らないでタイで仕事をしたらいいじゃない、とあいつは言ってたけど、未だ踏切りはつかないでいる」

「そうだよ、こっちでだって仕事くらいいくらでも見つかるよ。日本の設計事務所だってあるし、ゼネコンだってある。お前だったら使ってくれる所はいくらでもあるよ。だからそうしたら?」

「おいおいちょっと待ってよ、他人(ひと)のことだと思ってそう簡単に言わないでよ。現地採用だったらこれまでみたいなお金ももらえないみたいだし、そうなるとドゥアンにも今までのような援助はしてやれなくなるだろうから、とりあえず一度日本に帰ってからゆっくり考えるよ」

「そうか、まあゆっくり考えな。来年の四月までは俺もいるだろうし、たまには彼女にもメシくらいは食わしてやるよ」

「ありがとう、それは頼むよ」

「ところでお前、日本の彼女とはどうなったの?まだ付き合ってるのかい?」

 河島にはまだ弘美と別れた話はしていなかったので、彼は何も知らなかった。

「もう別れたよ」

「えーっ!、そうだったの。知らなかったな」

「うん、お前にはまだ何も言ってなかったね。まあいろいろあってね」

「そうか。だったら余計日本になんかもう未練はないじゃん」

そんな話をしているうちに女たちがクーポンを持って戻ってきた。

「ビアーだけは頼んでおいたから」

 ノイはそう言って残りのクーポンを河島に渡した。河島は近くに立っているウェイトレスを呼び適当に料理を注文した。

 その後すぐ別のウェイターが五人分のジョッキと、生ビールのたっぷり入ったピッチャーを持ってきて、それぞれのジョッキに注いでくれたので、改めて皆で乾杯した。

 ボクはそれを一気にぐっと飲み干した。屋外で飲むビールの味は又格別だった。
 
 その晩皆と別れたあと、いつものようにアパートに来たドゥアンに、ボクは旅行の話を持ちかけた。

 ドゥアンはそれを聞くと足でタップを踏むようにして喜んだ。

 何処に行こうかと言う話になって、結局ドゥアンの提案でサメット島に行くことにした。

 サメット島はパタヤからさらに車で一時間くらい走った所にある小さな島だ。

 その夜ドゥアンはボクのアパートに泊まり、翌朝店に帰ったドゥアンは、自分の荷物の中から三日分の着替えなどをバッグに詰めて、又ボクのアパートに戻ってきた。

 その後ボクらはそれぞれの荷物を持ってアパートを出て、スクムビット通りにある日本の旅行代理店にいき、サメット島にあるバンガロータイプの部屋を二泊予約した。

 そしてタクシーと交渉してサメット島に向かった。

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2008年3月19日 (水)

「月の女」-15

【第十四章 ベッドでの会話】

 アパートの部屋についたとき、ドゥアンは何時になく酔っ払っているようだった。

 いつもならシャワーを浴びるのに服を脱ぐ時、なんとなく恥ずかしがって部屋の電気を暗くするのに、今日は電気をつけたまま服を脱ぎ始めた。

 まずTシャツを頭からすっぽりと脱ぎ、ジーンズのパンツを脱ぎ、両手を背中に持っていってブラジャーを外し、最後にパンティーを脚からするすると抜いて、ひと糸纏わぬ裸の状態になっ。

 そしてさっきかけたケニー・ロジャースの音楽に合わせて、踊るようにバスルームの方に歩いて行った。

 ボクは冷蔵庫からハイネッケンを取り出してソファーに座り、それを飲みながら、ドゥアンのそんな後ろ姿を眺めていた。

 お尻の上にあるひし形のエクボのようなくぼみが魅力的だった。

 暫くしてバスタオルを全身に巻いたドゥアンがバスルームから出てきたので、入れ替わりにボクがバスルームに入った。

 そしてシャワーを済ませた後部屋に戻ると、部屋の電気は全て消されていて、ドゥアンはすでにベッドの中に入っていた。

 窓から差し込む月明かりだけが唯一の部屋の明かりだった。

 ボクは静かにドゥアンが横たわっているベッドのシーツをめくり、その横に身を刺し入れた。そのとたんドゥアンは珍しく自分の方からボクに抱きついてきた。

 〈どうしたのだろう?〉と多少戸惑いながらも、ボクはその抱擁にこたえるように彼女の裸の背中を強く抱き返した。

 そしてそのままボクたちはいつもより多少激しく濃厚に愛し合った。ボクの愛撫に対してドゥアンはいつもより激しく反応した。

 ドゥアンだけがそうなのか、それともこの国の女の一般的な習性なのか良くわからないが、今までのドゥアンは愛し合うときいつも、快楽の声を意識的に抑えようとしているようだった。

 しかし今日の彼女はそれを抑えきれなくて、その声が隣の部屋に聞こえるのではないかと心配したほど大きかった。

「来週にはユタカは日本に帰るんでしょう?」

 シャワーを済ませてもう一度ベッドに戻ってきたドゥアンは、ボクの胸に頬を乗せ、左手でボクの右胸の乳首をつまみながら(彼女はそれがクセなのだ)そう切り出した。

「そうだよ」

「何故帰ってしまうの?私を愛していないの?私と一緒にいたくないの?」

「勿論愛しているさ、本当に。そしてずっと一緒にいたい。でも仕事が終われば日本に帰らなければいけない」

 ボクはつたないタイ語でなんとかそう言った。

「何故?仕事ならタイでだっていっぱいあるじゃない。タイで仕事は出来ないの?」

 そう言われてしまうとボクも返事のしようがなかった。

 確かにここバンコクにだってボクらがしようとする建築設計の仕事はいっぱいある。

 現に今やっている仕事だってそうだし、不景気な日本よりこれから伸びて行こうとするバンコクの方が寧ろ仕事は多いかもしれない。

 それなのにボクは何故日本に帰ろうとするのか。

 それはボクにだって分からない。何故それほど日本に執着するのか。考えてみればあまり根拠はない。

 ただここは自分にとっては外国であり、いつかは離れる単なる通過点に過ぎないと、勝手に決め付けていただけのことかも知れない。

「ねっ、そうでしょ。帰らないで私と一緒にここで暮らしましょう」

 ドゥアンはそんなボクの態度を見て畳み掛けるようにそう提案してきた。

「君が言っていることは良くわかった。だから少し考えるよ。でもとりあえず今回は一度東京に帰る。いろんなことが整理されてないからね」

 そんなことをタイ語で言ったつもりだったが、どこまでドゥアンに通じたかは自信がなかった。

 しかし大体のことは彼女にもわかったらしく、嬉しそうに頷いた。そして安心したように眠りについたようだった。

 ドゥアンの静かな寝息を側で聞きながら、ボクは眠れなくなってしまった。

 ボクはさっきのドゥアンの言葉に促されて、バンコクあるいはバンコク以外のタイに住み着く可能性について考え始めた。

 確かに今までのボクはこの地を通りすがりの街、一時的に住む街としか考えたことはなかった。

 しかしよく考えてみればこの国の人たちはみんな親切だし、物価も安い。

 日本人が忘れてしまったいいところもいっぱい持っているし、生活するには何の問題もない。ただ日本のように四季がなく一年中暑いということはあるにしても・・・。

 しかしそれも今の季節は乾季に入っていて結構涼しく、実にすごしやすい気候だ。

 それになりよりもここにはドゥアンがいる。

 この娘と別れるのはかなり寂しいことだ。

 この娘が他の知らない男に抱かれることを想像することは、今のボクにとってはかなり辛いことだ。

 ドゥアンは今のところはあなた以外の男に買われることはない、と言い切っているが、ボクがいなくなればそれもどうなることか。

 そんなことを考え始めるとボクはなかなか眠りに入ることが出来なかった。しかし酒の酔いとセックスの疲れからかいつのまにか眠りに堕ちていた。(つづく)

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2008年3月18日 (火)

「月の女」-14

【第十三章 再びソイ・カウボーイで】

 次第にバンコクを離れる日が近づいてきた。と言うことはボクとドゥアンの関係が終わる日も近づいてきたと言うことだ。

 ボクは十二月二十七日の夜中の便で東京に帰る予定だった。

 クリスマスが近づき、街のあちこちでイルミネーションがきれいに飾られて、次第に雰囲気が盛り上がっているようにボクには思えた。

 しかしタイ人の殆どは熱心な仏教徒だから、現実にはクリスマスに対しては日本ほどの盛り上がりは無いのかもしれない。ドゥアンの口からもクリスマスと言う言葉は殆ど聞いたことが無い。

 二十日の金曜日の夜、ボクはまた河島と伴にソイ・カウボーイの店に行った。

 さすがにこの頃はその店にも少し飽きてきたのか、ボクも河島もここに来るのは一週間ぶりくらいだった。ソイ二十三の奥の居酒屋でそこそこ酒を飲んだ後だった。

 店の前まで行くと例の生バンドが演奏するローリング・ストーンズの〈ブラウン・シュガー〉が通路にまで響き渡っていた。

 いつものように外で客引きをしている制服組のおばさんが笑顔で迎えてくれた。

「シンジ、ユタカ、サバイ・ディ・マイ」

「サバイ、サバイ」

 ボクらはそう言いながら店の中に入っていった。ドゥアンもノイもステージで踊っている最中だった。それでもすぐにボクらの姿を見付けて嬉しそうに合図を送ってきた。

 金曜日の夜だったので店は結構込んでいた。

 相変わらずファランの客の何人かが通路で制服組のおばさんと踊っていた。

 奥のほうに空いている席をなんとか見付けてボクらは座った。その席はライブのステージのすぐ近くでもあるので、演奏をやっている連中たちもボクらに目で挨拶をしてきた。

 彼らとももうすっかり顔見知りになってしまっていたからだ。

 ボクらはいつもの様にジムビーム・ナームケンを飲みながら、音楽にあわして身をくねらせて踊るドゥアンやノイのダンスを眺めていた。

 たくさんの男の視線にさらされているドゥアンの体を見るのは少し辛かった。まるで自分の分身をそこに見るような気がしたからだ。

 しかし当のドゥアンの方は初めて彼女を知った時のような照れはなく、堂々と踊っていた。ドゥアンもこの街にだいぶ慣れてきたのだろう。

 暫くしてノイが踊り終わり河島の横につき、その後ドゥアンがボクの横に来た。そしていつものようにみんなでカンパイした。

 結局ボクはノイの秘密は河島には話さなかった。

 言ったところで川島を嫌な気分にさせるだけで何もいいことは無いと判断したからだ。

 河島だって来年の四月には日本に帰る予定だ。それまで知らなければそれに越したことはない。

 それに彼だってノイには内緒でたまに違う女と浮気をしているのもボクは知っている。そんなにノイにこだわっている風でもなさそうだ。

 ボクの方も四,五日弘美のことで悩みはしたが、今はもう仕方のないことだと思い始めている。日本に帰っても、もう弘美を追うことはすまいという気持ちになっている。

 十分ほどしてボクと河島は御互いの女をペイバーしてその店を出た。

 そして同じ通りにある違うゴーゴーバーに入った。ノイの友達がそこで踊っているので行ってみたいと言う、ノイの要望に答えてだ。

 ボクも河島も違うゴーゴーバーに行きたいのはヤマヤマだったが、狭いこの街で違う店に行き、違う女にコーラを奢ったりすると、何処でどう彼女達に伝わるか解らないため、今までソイ・カウボーイではあそこだけと決めて、よその店には行かなかったのだ。

 しかし女達の方から行こうと言ってくれるのだったら、こんな都合のいいことは無い。我々は喜んで女達の御供をした。

 その店は客で溢れていた。

 最近出来た店で、一階のステージの上の天井がガラス張りになっており、というよりも二階の床がガラス張りになっていて、そこでもほんの少ししか衣服を身にまとっていない女達が踊っており、一階の客席からそれを見上げることが出来るようになっていた。

 中でも一階の中央ステージのかぶりつきの席からは二階が一番良く見えるため、客は競うようにその席を取ろうとしているようだ。

 日本人はちょっと恥ずかしがっているようだが、ファランの男達は何のこだわりも無く、上で踊る踊り子達の股間を真下から眺めて大喜びしていた。

 我々四人は入り口から入って左側の奥の一番後ろの席に座った。

 その席からは二階の踊り子達の脚は見えても、股間まで覗くことは出来ない。しかし贅沢を言えばきりが無い。女達公認でこの店に来られただけでも良しとしなければ。

 我々が座るとすぐに、セーラー服のような制服を着たウェイトレスが注文を聞きにきた。ボクと河島はいつものジムビーム・ナームケンを注文し、ドゥアンとノイはミルクコーヒーのような甘い酒を注文した。

 ステージでは丁度ショータイムに入ったらしく、音楽がスローに変わり、ゴーゴーガールに代わってエジプト風の衣装を身につけた四人の踊り子が出てきてゆっくりと身をくねらせて踊り始めた。

 それに少し遅れて今度は二階から、踊り子達がいつも踊る時につかんでいるスチールバーを伝って逆さまの状態で二人の別の踊り子がゆっくりと回転しながら降りてきた。

 これから何が始まるのだろうと、ボクはうきうきしながら次の展開を待っていた。他の三人も同じ気持ちのようだった。

 ボクは隣の席でボクにぴったりとくっついて座っているドゥアンの手をしっかりと握ったままショーに見入っていた。

 途中でノイの友達だと言うナーと言う名前の女の子が我々の席にやってきたので、その娘にも一杯コーラを奢ってやり、五人並んでショーの成り行きを見つめた。

 しかしそこはタイと言ってしまっていいのかどうか解らないが、大した演出も無く、ただ六人の踊り子が三組になってありきたりのレスビアンショーをやるだけのことだった。

 それでもドゥアンには結構刺激的だったみたいで、酒の酔いも回ってきたのか、目が潤んできてうっとりしている様子だった。

 我々四人はその店に三十分程いて店を出た。そしてソイ二十三の通りまで出て二台のタクシーを拾い、二組に分かれてそれぞれのアパートに帰っていった。(つづき)

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2008年3月17日 (月)

「月の女」-13

【第十二章 真夜中の悪夢】

 激しい喉の渇きでボクは夜中に目を覚ました。

 部屋は電気が付いたままだった。服も着たままだった。腕時計を見ると夜中の三時半を少し回ったところだった。

 何か夢を見ていたような気がする。でもすぐには思い出だせない。

 ボクは取り敢えずドアの近くの冷蔵庫まで行きハイネッケンの缶を取り出し栓を抜いた。そしてそれを一口ぐっと飲んでからソファーに腰を落ち着け、さっき見ていた夢を思い出そうとしていた。

 夢は次第に蘇ってきた。

 それは非常に不愉快な、そしてボクにとってはとても辛い夢だった。弘美と米倉部長の夢だったのだ。

 弘美と米倉部長が何処かの海岸の砂浜を楽しそうに腕を組んで歩いていた。それをボクは何処かから見ている。

 もしかしたら海に面したホテルの部屋のベランダからだったのかもしれない。

 いやそうではない。それはこのアパートだった。このバンコクにあるアパートが何故か海に面しているのだ。そのベランダに立ってボクは二人の様子を見ていた。

 浜辺には二人以外の人影は無く、時刻は明け方のような気もする。まだ太陽が東の空に顔を出す前の、全ての色が白っぽい空気に包まれていた。

 二人は波の打ち寄せる手前でゆっくりと腰を下ろした。弘美が腰を下ろす前に米倉部長は自分のハンカチをそっと弘美のお尻の下に敷いてやることを忘れなかった。

 弘美は薄いブルーのワンピースのスカート部分の後ろを左手で抑えながら米倉部長の左側に寄り添うように腰を下ろした。

 米倉部長は弘美の肩にそっと左手を回して何か一生懸命に弘美に喋っている。恐らく弘美を口説いているのだろう。

 でもその声はボクには聞こえてこない。弘美は頭を米倉部長の首の辺りに預けている。

 そのうち米倉部長の右手が弘美の左頬に廻り、弘美の唇に口付けをしようとした。弘美は何も言わず静かに目を閉じ米倉部長にされるがままに身を任せている。

 ボクはそれを眺めながら

「駄目だ!身を離せ!」

 と必死で叫ぼうとするのだが何故か声が出ない。

 そのうち米倉部長の右手は弘美の胸に行き、その手が次第に下に延びてスカートの下まで行った。そしてスカートをたくし上げながら下腹部に近づいていく。

 朱美の白くて肉付きのいい太腿があらわになっていく。

「やめろ!やめてくれ!お前は米倉部長とは一回限りだったと言っていたのではなかったのか」

 ボクは必死で叫ぼうとするが、やっぱり声が出ない。

 米倉部長の手はボクの必死の思いなど無視して、弘美のスカートをお腹の辺りまでたくし上げると、今度は真っ白な下着の中に手を入れようとしている。

 それでも弘美は何の抵抗もしようとしない。それどころかうっとりとした表情になり、唇が少し快楽で緩んできてさえいる。

 米倉部長の