「あの白く乾いた季節」-2
第一章 一九七〇年七月
【ジャズ喫茶の片隅で 】
煙草の煙の立ち込める薄暗いジャズ喫茶の片隅で、私は一人の少女と肩を寄せ合って座っていた。
私は二十歳で、少女は十八歳だった。1970年の暑い夏のことだった。
店内は夏だと言うのに冷房の効きすぎで、半袖のTシャツにジーパンの私達には少し寒いくらいだった。
触れている少女の肩から伝わってくる体温の暖かさだけが、私には唯一のぬくもりだった。
私達はガラガラの店の中で震えるようにしてくっつきあい、お互いの肩を決して離そうとはしなかった
店は私達のいる大学の学生街のはずれ辺りにあり、学校の講義がある時には学生達で賑わっていたのだが、夏休みに入って一週間がたったその頃には、もうみんな田舎に帰ってしまったか、どこか旅行にでも出かけてしまったのか、客の数も私達の他にはほんの数人しかいなかった。
少女の名前はメイといった。本名ではなくニック・ネームだ。何故メイなのか以前に一度聞いたことがある。
「五月生まれだから、ただそれだけのことよ。中学生の時からそう呼ばれているので面倒臭いからそれで通しているの。それにこのニック・ネーム、私は結構気に入っているし」 と言うことだったのでそれ以上は聞かなかった。
本名は水嶋慶子という。
私達がその店に入ってかれこれ一時間近くたつが、私達はその間一言も喋らなかった。
別に気まずい雰囲気があったわけではなく言葉が必要でないほど心が落ち着いていたのだ。
好きな音楽と好きな女が私を包んでくれている。それ以上に何が必要と言うのだろう。
音楽がフレディ・ハバードのトランペットから静かなピアノ・ソロに変わった。
「これ、私がリクエストした曲です。聴いたことありますか」 唐突にメイが言った。
メイは何時の間にリクエストをしたのか。そういえば少し前にトイレに行くと席を離れたときに、ついでにリクエストしたのかも知れないと私は思った。
「知らない。誰の曲?」 という私の質問に
「ニーナ・シモンのピアノ・ソロ。私、高校生のときからずっと好きだった曲です」 メイは嬉しそうな表情でそう答えた。
その言葉は田舎者の私にとっては、高校生の時からこんなレコードを聞いていたというメイが、ちょっと自分とは違う環境の中で育ったのだな、という思いを抱かせたものだった。
西側に面した窓の分厚いカーテンの僅かな隙間から入ってくる陽の光が、こころなしか少し弱まったようだった。
私はその光の変化から、夕方ももうかなり遅い時間になっていることを感じた。
その柔らかな弱い日差しが、静かなピアノソロと相俟って、棘々した日頃の私の心をゆっくりと融かし始め、私の心は久しぶりに物哀しいような、穏やかな優しさに包まれ始めているのをはっきりと意識できた。
いつもの訳の分らない苛立ちや焦燥感が次第に薄れ、久しく感じなかった世界に対する優しさのようなものが私の心の中にゆっくりと、しかし確実に戻って来るのを感じた。
左肩にメイの暖かい体温を感じながら・・・。 (つづく)


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