「イミテーション・ラブ」-42
最終話 別れの日
いよいよバンコク最後の夜が来た。
日曜日の夕方哲也はいつものようにタニヤ・プラザの前でオーと待ち合わせ、一緒にシーロム通りにあるセントラル・デパートに行った。
オーに買い物をしてやるためだ。
オーはそこでラコステのショルダー・バッグと、サンダル式のハイ・ヒールを買った。
ハイ・ヒールは店で使うもので、バッグは普段使うものだと言った。両方で四千バーツもしなかったが、それでもオーは充分満足そうだった。
その後、パッポン・ツーのシーロムから入ってすぐの所にあるお洒落なシーフードの店に行き食事をした後、九時過ぎに《ピカソ》に入った。
またバンコクには来るにしても、今回はこれで最後だ。哲也は何か感慨深いものを感じた。
《ピカソ》でゆっくり過ごした後、十一時半過ぎに店を出、最後の日くらいは少しましなホテルに泊まろうと予め予約していたスクムビット通りにあるホテルに向かった。
ホテルについてチェック・インを済ませ、一旦部屋に入って荷物をおいた後、そのホテルの地下にあるライブハウスに入った。
この店は以前に二度ほど来た事があり、結構気に入っていた。客は殆どがファランで、たまに日本人らしき人も見かける程度だ。
この日も日本人の姿は見えなかったが、席は結構埋まっていた。
哲也とオーはステージからかなり離れた場所に並んで座った。
注文を聞きに来たウェイトレスにジャック・ダニエルのロックとバカルディを注文したあと、二人はステージの方に注目した。
ステージでは三人の若い女性ボーカルが踊りながら歌っている。バンドも三十歳を少し超えたくらいの若いメンバーの五人編成だ。
ラテン系の音楽の現代版という感じで哲也には聞きなれない音楽だったが、聴いていると結構ノリのある音楽だ。
そのうち飲み物が来たので改めて二人で静かに乾杯した後、二人はまたステージの方に目を向けた。
明日はいよいよ別れだと言う意識が何か二人から言葉を奪ってしまったかのように、このホテルに着いた頃から二人は次第に寡黙になっていくようだった。
オーは哲也の横にいて静かに哲也の手を握っている。哲也もじっとステージの方に視線をやってはいるが、頭は別のことを考えているようだった。
所詮お金で繋がった関係だったとは言え、半年も付き合っているとやはり情も移ってくる。本当の恋愛に近い感情も絡んでくる。
「帰ろうか?」
店に入って三十分ほどたったとき、哲也が言うとオーは素直に頷いた。
部屋に戻っても何か胸にこみ上げてくるものがあり二人ともいつものように陽気にはなれない。
「そのバッグ、気に入った?」
哲也は冷蔵庫から缶ビールを取りながらオーに話しかけた。オーは今、夕方買ったバッグを紙袋から取り出し、改めて見直しているところだった。
「きにいりました。これ前からほしかったです。これを見るたびにテツヤのことをおもいだします」
「本当かな。俺が日本に帰ったらすぐ又何処かの男に新しいのを買ってもらうんじゃあないの?」
「そんなことしませんです。だいじにつかいます」
「そうか。だったらいいけどさ」
哲也はそう言いながら缶ビールを持ってオーが座っているソファに近づいて行った。そしてオーの横に座り、缶ビールを飲みながら何時になく真剣な面持ちで話しかけた。
「オー、これから俺が言う話をよく聞いて欲しいんだけどさ、俺が日本に帰ったら俺に義理立てする必要はもうないからね。もしいい男が現れたら、その男と一緒になってもいいんだよ」
「わたしがほかのオトコにだかれてもテツヤはいいですか?」
「ああ構わない。悲しいけれどその男がオーのことをきちっと愛してくれる男なら構わない。オーもその男を愛せるなら構わない」
「あいしてなくても、おカネのためだけではダメですか?」
オーに聞かれて哲也は言葉につまった。
「それは正直言って俺にはわからない。オーにはそんな事はして欲しくない。でもどうしてもお金が必要なら神様もそれを許してくれるかもしれない。それは俺には何も言えない・・・」
哲也がそこまで言ったとき、オーは哲也のそれ以上の言葉をさいぎるように、哲也の唇に自分の唇を押し付けてきた。
二人はそのままソファの上で抱き合い、むさぼるように長いキスをした。
オーのつむっている目からは大粒の涙があふれ、それが哲也の頬を伝わって下に流れた。
哲也も胸の奥底からこみ上げて来るものに突き動かされて、目の奥に熱いものを感じずに入られなかった。
〈イミテーション・ラブ・ゲームのはずだったのに・・・〉 哲也は唇を重ねながらもそんな思いが頭の中をちょっと掠めた。
明くる朝、二人は七時に起き一階のレストランで朝食を済ませた後、哲也のアパートまで戻り、すでに荷造りを済ませてある荷物を持ってタクシーで空港に向かった。
オーはどうしても空港まで送っていくといって聞かないので哲也もそれを許した。
十一時半出発の飛行機だったので、あまりゆっくりもしていられないため、カウンターで搭乗手続きを済ませると、身を引き裂かれるような気持ちで哲也はオーと別れた。
別れる寸前にオーは一枚の紙切れを哲也に渡した。そして涙を一杯ためた目で哲也の顔を見て
「ナカに入ってから見てください」と言った。そしてオーは逃げるようにして人ごみの中に消えていった。
イミグレを抜け、免税店のある所まで来てそこにあるソファに座ってから、哲也はオーから貰った紙切れをズボンのポケットから取り出して開いて見た。
そこには子供が書いたひらがなのような字で
《いままでありがとう。いつもあなたのことをおもっています。あなたもわたしのことをわすれないでください。さようなら》
と書かれてあった。(完)


長編ドラマありがとう。
タイに長期出向、また既に帰国した仲間たちも、主人公・哲也が体験したドラマに似た「イミテーション・ラブ」の貴重な人生経験を秘めているだろうと連想しながら
読んだ。
哲也にとって、人生の貴重な無形財産だと思う。
投稿 H,Sugiyama | 2008年5月 8日 (木) 05時40分