「あの白く乾いた季節」-17
五 学園祭の始まる日
十一月も終わりに近づいたある日、私はいつものように午後の二時頃ベッドから身を起こし、タバコを吸いながらFMラジオの音楽にボーッと耳を傾けていた。
音楽の合間に時々ニュースが入るのはいつものことなのだが、その日のニュースは私に異様な驚きを与えた。
ニュースは三島由紀夫の割腹事件を伝えていたのだ。アナウンサーの興奮した口調そのものがその事件の異様さを象徴していた。
私は一瞬自分の耳を疑ったが、何度聴きなおしてもやっぱりそうだった。
あの三島由紀夫が死んだ。それもこんな時代に切腹で。
この作家は私の好きな作家の一人だったので、その事件は私には大きなショックだった。
だが冷静になってよく考えてみて、最近の彼の週刊誌なんかで書いたり発言したりしていた内容などを思い起こせば、死が近づいていることを予感させるような言葉はたくさんあった。
しかしまさか、と言うのがその時の正直な気持ちだった。
その日は大学の学園祭が始まる日で、私はメイといつもの喫茶店で四時半に待ち合わせをしていた。四時半きっちりにその店に行ってみるとメイは先に来ていた。
「ねえ、三島由紀夫が割腹自殺したの知ってる?」
顔を合わすなりメイの方からそう言ってきた。
「そうらしいね。俺もさっきラジオのニュースで聴いたばっかりなんだけど、びっくりしたよ」
「そうそう、大学では今その話で持ちきりよ」
「そうだろうね。学園祭なんかぶっ飛んでしまうようなニュースだ」
「確かにそうね」
私とメイはそれからひとしきり三島由紀夫についていろんな意見を交わしたが、彼女の方はそれほどこの作家についての知識はなかったみたいで、もっぱら私の独壇場に終ってしまった。
その後五時に山本と京子が来ることになっていたのでそれを待って、私達は四人でキャンパスの方に向かった。
キャンパスでは学園祭のいろんな催しをやっていた。
教室では文連に属するいろんな文化サークルが模擬店を出していたし、広場ではロックコンサートをやっていた。我々は模擬店でたこ焼きや焼きソバなどで腹ごしらえをした後、八号館の裏の空き地で六時から開催される「赤テント」の前衛芝居を見ることにした。
芝居は約二時間で終った。それなりに面白くはあったが、前衛的な芝居なので意味がいまいちよく理解できなかった。
意味など解らなくてもいいのかもしれないし、彼等自身があるいは解られることを拒否しているようにも私には思えたが、やはり物足りなさを感じずにはいられなかった。
八時頃四人はそこを出て学生街のはずれにある居酒屋へ向かった。そこでささやかではあるが京子の送別会をやるつもりだった。
その店は予めメイが予約をしておいたので、名前を言うと奥の小部屋に案内された。そこに美加ともう一人の女友達が後で合流する予定だった。
しかし部屋に入ってみると二人はすでに来ていた。もう一人の友達は山岡由紀と言って京子と同じ女子大の同級生らしく、私は始めてみる顔だった。
美加ともかなり親しいらしく京子とも共通の友達らしい。小柄でひょうきんな性格のようでお喋りの好きな感じだった。
京子はもうすでに大学には退学届けを出していたし、就職先も私達の共通の田舎街に決めていた。
後は今いるアパートの整理をして十一月末にこの街を去ることになっていた。そのことは十一月の初めに京子からの電話で私も知らされていた。
新しく加わった由紀のおかげで送別会と言っても湿っぽくはならず、明るい雰囲気で終始した。
終わり近くなって
「滝口、お前高校時代からの友達だろう。京子に一言何かいってやれよ」
山本が突然言いだしたものだから、私は何も考えてなかったが、こう言うときにぐずぐず言うのは潔しとしないので立ち上がり、思いつくことを喋ることにした。
「えーっと、僕と京子はさっきも山本さんが言ったように高校の美術クラブからの付き合いで、かれこれ六年近くなります。でも肉体関係は一切ありません」
そこで皆が笑った。
「キスぐらいしたんじゃないの」
山本がチャチャを入れた。
「神に誓ってそんなことはありません。これは京子の名誉のためにもはっきり言います。
まあそんなことはどうでもいいんですが、その京子が家庭の都合で大学を辞めなければならなくなったのは非常に残念です。
しかし彼女にはこの八月に最初に相談された時にも言いましたが、大学なんてそんなに無理してまで行く程の価値がある所だとも思えないので、辞めて働くという京子の決断は正しかったと今でも思っています。
僕なんかそんな決断をする勇気もなくただ惰性でいるだけですから、京子の決断力には拍手を送りたい気分です。
社会に出れば大学とはまた違った大変なことも一杯あると思いますが、京子ならきっとうまくやっていけると思います。
それとこれで最後になりますが、たとえ社会人になっても僕らのこの関係だけは絶対絶やさないように、たまにはこう言う風に皆で一緒に飲むようにしましょう。
京子頑張ってください。後ろには僕たちが居る事を忘れないで。以上です」
私はそれだけ言って席に着いた。皆から拍手がおこった。
「では最後に京子の御礼の挨拶としますか」
山本が言うと
「その前に山本さんからもひとこと何か言ったらどうでしょうか」
普段はおとなしい美加が珍しくそう言った。その言葉に皆が賛成したので、山本も頭をかきながら仕方なく立ち上がった。
「京子とは肉体関係もある山本です」 と始めたものだから皆が爆笑した。
「バーカ」 京子も少し照れ笑いしながら言った。
「さっき滝口も言ったけど、大学なんて本当にくだらない所だから、さっさと辞めた方が俺もいいと思う。六年もそこにいる俺が言うんだから間違いないよ」
そこでまた笑いが起こった。
「京子がこの街にいなくなるのは正直言って少し寂しいけど、またすぐに新しい女をつくるからさ」
と言ったものだから女達から即座に「エーッ」と言うブーイングの声が上がった。
「と言うのは冗談だけど、まあそんなに遠い所に言ってしまうわけではないので、逢おうと思えばいつだって逢えるわけだから、京子、これからもよろしくお願いします」
山本は冗談なのか本気なのかよくわからないような調子でそう言って椅子に座った。
私には山本の照れと寂しさがよく理解できた。京子もそれは充分理解している風だった。
「では私が最後に挨拶させてもらうわ」 京子は自ら立ち上がってそう始めた。
「今日は皆さん、私のためにこんなことまでしてくれて本当にありがとう。家庭の事情で大学を辞めることにはなったけれど、私は何も後悔していません。
私自身これと言ってしたいこともなかったので、何も考えないで大学に入ってきましたが、大学に入ってからもしたいことは見つかりませんでした。
私の場合はたぶんこのまま四年間いていても何も見つからないと思いますが、たいていの人にとっては、大学と言う所はそう言う自分を見つけるところだとも思います。
私も二年半いて大学がどういうところかもよく判ったし、こうしていろんな人にも出会えたし、もうこれで充分です。
この先社会に入っていく不安がないと言えば嘘になりますが、高校からすぐに就職する人達から比べれば、私なんか恵まれていた方だと思いますし、もう未練はありません。
皆さんと離れなければならないことが未練と言えば未練ですが、山本さんも言ってたように二時間でこの街には来れるわけですから、逢おうと思えば何時でも逢えます。
また何かあれば何時でも呼んでください。お願いします。今日は本当にありがとうございました」
京子はそう言って深々と頭を下げた。そして顔を上げた時にはさすがに少し涙ぐんでいた。(つづく)
