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「イミテーション・ラブ」第一章

2008年4月 3日 (木)

「イミテーション・ラブ」-8

8 オーの事情

 一方アパートに戻ったオーは二時間ほど軽い睡眠をとった。

 昨夜は哲也と一緒だったので、彼のいびきが大きくてあまりよく眠れなかったのだ。

 少し睡眠不足ぎみで頭がボーとしていた。しかしちょっと寝てシャワーをすると頭はかなりすっきりした。

 そろそろ店に行く準備を始める時間だ。店は七時半までに入ればいいことになっているが、生真面目なオーはいつも六時くらいには店に入ることにしている。

 遅刻をするとサラリーカットされるのも嫌だが、それ以上にチーママの心象を悪くするのが嫌だった。

 オーは自分がもうそんなに若くないことは充分知っているので、あまりお客さんから指名がかからない上に、チーママの心象を悪くすると、初めてのお客さんでチーママに任せると言ってくれるお客さんが来たときに、紹介してくれなくなる可能性が高くなる。

 だからできるだけチーママに好かれるために、せめてお店には早く行った方が良いと思っているのだ。

 シャワーを終えて髪の毛をドライヤーで乾かしている最中に携帯電話がなった。

 見ると同じ店で働く友達のゲェからだった。

 ゲェはオーの一番親しい友達で、歳はオーよりひとつ年下の三十歳だが、歳よりも若く見えるし、色も白く日本人好みのする顔立ちのためか結構日本人のお客を持っている。

「ハロー、今何しているの?」

 電話の向こうでゲェが聞いてきた。

「シャワーしたところよ。何?」

「私のお客さんがさっき電話してきて、今日はその人と同伴するんだけど、もう一人日本人の友達がいるので誰か女の子を紹介してくれないかと言ってるの。あなたはどう?昨日のお客さんと逢う約束している?もしそうだったら誰か別の人に当たってみてもいいけど」

「昨日のお客さんてテツヤのこと?彼は今日は店には行かないよ。だから予定はないわ。空いているから紹介して」

「そう?だったら今日来て。お客さんは若い人よ」

「そう、いいねえ。行く行く」

「じゃあ七時に店の前にきてくれる。いい?」

「いいよ。じゃあね」

 電話を切った後、もう少し髪を乾かしてから、オーは時間が少し出来たのでテレビをつけた。そしてベッドに横たわってぼんやりとテレビを見ていた。

 若い人か。どんな人だろう?ハンサムな人かな、それとも優しい人かな?オーはそんなことを考えながら、哲也のことも考えた。

 オーは哲也のことは決して嫌いではない。

 哲也は結婚していて日本に奥さんはいるらしいけど、タイ人の女はいなさそうだから問題ない。

 優しいし、ケチでもない。店に来る一般的なお客さんと比べたら、それほどお金持ちではなさそうだが悪くはない。

 それに適当に助べえなのもいい。あんまり堅い人は私はちょっと苦手だな。

 今回は半年くらいいると言っていたから、しっかりと捕まえた方がいいかな。テレビを見ながらオーはそんなことをぼんやりと考えていた。

 オーはゲェほど日本人のお客さんは持っていない。一年に一回か二回観光で来る人で、今でも時々日本から電話をしてくれる人は何人かいる。でもみんな六十歳を超えたおじいちゃんばかりだ。

 オーは何故かおじいちゃんに好かれる。オーもおじいちゃんは嫌いではない。

 若い人は我侭であまり優しくない。それにすぐセックスをしたがる。

 でもおじいちゃんはあんまりそれを要求しないし、要求しても何とかはぐらかしてすむ場合が多い。

 そういう人たちはバンコクに遊びに来たときにはそれなりにチップも弾んでくれるし、うまく甘えれば結構高い買い物もしてくれるから、それはそれで助かる。

 だからそう言う人は良いお客さんなので大事にしないといけないと思っている。

 でもバンコクで生活しているお客さんが殆どいないので、固定客がつかないのが今の自分の欠点だということも分かっている。

 やっぱり私はこういう仕事をするには少し歳をとりすぎているのかな。

日本人は若い女が好きだからしょうがないかな。

 しかし若くなくてもゲェのようにそれ程好きでもないお客さんとでも簡単に寝たり出来ると、お客さんも増えるのかもしれない。

 でもそれも私には出来ない。ゲェはそのあたりがうまい。何人かの男と同時に付き合っているみたいだ。

 それを上手にこなすから、お客さんは自分だけがゲェの男だと勘違いして簡単に騙されてしまう。

 でも私にはそんな器用なことは出来ない。だから哲也は例え半年でも私にはいい固定客だ。

 いいチャンスだ。このチャンスを大事にしようとオーは思った。可愛い娘のアリサの為にも・・・。(第一章おわり 第二章につづく)

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2008年4月 2日 (水)

「イミテーション・ラブ」-7

7 ロビンフッド

 哲也はさっきオーと別れるときフジ・スパーにでも行くかとは言ったものの、今すぐ買い物をする気にもなれなかった。

 それではどうするかと考えたが、すぐ思いつく所もなく、取りあえずスクムビット通りまで出ることにした。

 そしてぶらぶらとエンポリアムの方に向かって歩いていたら、フジの入り口のところに《ロビンフッド》という名のイギリス風のパブが目に付いた。

 中を覘いて見ると営業をしていて、ビールが飲めそうなので入ってみることにした。

 店の中にはファランの客がまばらだが何人かいてビールを飲んでいた。

 中は結構広かった。イギリス風の木造造りで、天井が高く吹き抜けになっていて、少し古い落ち着いた感じにしてはあるが、この店は比較的新しいはずだと哲也は思った。

 二,三年前にはこんな店はなかったのにな、と思いながら哲也は壁側のソファ席に座った。席に着くとすぐウェイトレスがメニューをもって注文を聞きに来た。

「サワディー・カー」

 ウェイトレスはそう挨拶をしてから、持ってきたメニューを哲也に差し出した。色は少し黒いがなかなかの美人だ。

 愛想もよく笑顔が素敵だった。哲也は差し出されたメニューの中から生ビールを注文した。

 ビールを待っている間にタバコに火をつけ改めてゆっくりと室内を見渡した。なかなかいい雰囲気だ、と哲也は思った。

 奥の方にはちょっとしたステージもあり、ドラムセットなども置かれているので、夜になればバンドのライブもあるのだろう。

 今度は夜来てみようとその時哲也は思った。

 ソファ席にはもう一人少し年をとったファランがいて新聞を読んでいた。

 中央のカウンターには三十歳前後の若いファランが、三人ほどでなにやら楽しそうに喋っている。

 その奥の厨房側のカウンターにもファランのアベックが一組いる。

 いずれにしても客はファランだけで日本人らしき客は何処にもいなかった。

 それも哲也は気に入った。

 哲也は何故か街の中で知らない日本人に出会うのが昔からあまり好きではない。

 そのうちさっきのウェイトレスが生ビールを持って哲也のテーブルにやってきた。

「ごゆっくり」 と言うようなタイ語の言葉を哲也に残してウェイトレスは去っていった。

 そして二階に上がる階段の下あたりに戻って、もう一人のウェイトレスと並んで立ち、入り口のあたりに視線を向けていた。

 哲也は結構大きなジョッキを右手で持ち上げビールを口にした。ビールは渇いたのどに気持ちよく入っていった。

〈うまい!〉と哲也は思わず心の中で叫んだ。

 入り口あたりに新しい客の姿が見えたので、さっきのウェイトレスがすばやく飛んでいってドアを開けた。

 ドアマンの男がトイレにでも行っていなかったせいだろう。中年のファランのカップルが中に入ってきた。

 ウェイトレスはその客を空いているソファ席に案内してカウンターに戻る途中、それを見ていた哲也と目が合い、哲也にまた魅力的な笑顔を送ってきた。

 哲也も笑顔で返した。

〈タイ人と言うのは本当に愛想が良いな〉と哲也は思った。日本では考えられないような愛想の良さだ。

 この愛想の良さや明るさがタイの印象をかなりよくしていることは確かだ。

 それに比べて日本人の無表情、あるいは暗い表情は一体何なのだろうと哲也は思わずにはいられない。

 やはり南国だからかな、とも思えるが、もっと違う何かがあるようにも思える。

 タイには日本のような社会保障制度も殆どなく、人々は貧しいためおそらく殆どの人はその日暮らしの生活を余儀なくされていると思うのだが、それにもかかわらず明るい。

 それに比べたら日本など貯蓄は結構あるし、社会保障制度もタイとは比べ物にならないほど充実しているにもかかわらず、人々の表情は暗い。

〈何故だろう〉、と哲也はビールを飲みながらそんなことを考えていた。

 そして哲也にはそのことについてひとつ心当たりがあった。

 それはタイ人たちは貧しいけれども皆で助け合って生きているということだ。

 人と人とのつながりを崩していないことだ。

 それに比べて日本人は家族とのつながり、地域社会とのつながりを殆ど壊してしまい、小さな自分たちだけの世界の中に閉じこもってしまったことだ。

 このことが日本人の表情を暗くしてしまったかなり大きな原因ではないだろうか、と哲也は思った。

 〈タイ人と言うのは本当に気持の良い民族だ〉

 哲也はそんなことを考えながら、ジョッキの中のビールを飲み干してしまい店を出た。

 そしてビールを飲んでいるときに、携帯電話を買わないといけないということに気がついたので、今度はそれを買うために、本当にエンポリアムに向かった。(つづく)

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2008年4月 1日 (火)

「イミテーション・ラブ」-6

6 ポー・マッサージ

 《ポー・マッサージ》はここ何年か哲也がバンコクに来るたびに愛用しているマッサージ屋だ。

 マッサージ師はワット・ポー・マッサージ・スクールを卒業した人しかいないので、どの人に当たってもマッサージのテクニックはあるレベルを超えた人たちばかりで、殆どあたりはずれがないのが哲也には気に入っていた。

 
 平日の昼間ということで、一階の受付の横のフット・マッサージのスペースにも日本人駐在員の妻らしき若い女性が二人いるだけで空いているようだった。

 哲也は二時間の古式マッサージを申し込むとすぐに予約が取れた。

 二人分五百バーツを受付で払い、二人は店の奥にある階段を二階まで上がった。そしてそこにある硬いソファに座りマッサージ嬢を待った。

 間もなく二人のマッサージ嬢(といっても二人とも四十をとっくに過ぎたおばさん達だが)が階段を上がってきて、二人に店専用のゴムぞうりを渡した。

 おばさんたちはその後近くにある洗面場で足を洗う用意を始めた。

 その間に哲也たちはズボンの裾を上げ洗ってもらう用意をした。

 やがて大きな洗面器にお湯を入れておばさんたちが二人の前に来てかがみこみ、小さなタワシのようなものに洗剤を振り掛けてから二人の足を入念に洗い始めた。

 タワシが足の裏の土踏まずの敏感な部分にかかった時、哲也は我慢しきれずに笑ってしまった。

「チャカチイか?」

 おばさんは哲也の顔を見上げて聞いてきた。

「マイ・ペン・ライ」

 哲也は我慢しようとしたが、もう一度同じところをこすられるとやっぱり我慢しきれず、思わず足を引き上げてしまった。

 横でオーが右手を口元に持ってきて面白そうに笑っていた。

 おばさんもしょうがないなと言うような顔をしてその敏感な部分をこするのはさけ、足の表側だけを丁寧に洗って、哲也の足を自分の太ももの上に広げているタオルの上に持ってきて拭いてくれた。

 足を洗ってもらった後、二人はもう一階上の三階に登り、大部屋をカーテンで仕切っただけの大部屋に連れて行かれた。

 同じ部屋に他の客はいなかった。おばさんたちはそこで二人にマッサージ用の服を渡し、カーテンを閉めて廊下に出た。

 哲也とオーはそこで着てきた服を脱ぎマッサージ用の服に着替えた。

 オーがパンティーとブラジャー姿になった時、哲也はちょっとふざけたくなって、手をブラジャーからこぼれそうなオーの胸に持っていったら、

「ダメよ」

 オーは笑いながら小さな声で言って、その手を払いのけた。

 二人が着替え終わった頃を見計らっておばさんたちはカーテンを開けて中に入ってきた。

 その時には哲也とオーはおとなしく二人並んで横になっていた。オーはバスタオルを全身にすっぽりかぶっていた。

 二時間のマッサージを終えてすっきりした二人が店を出たのは午後三時過ぎだった。

 ジリジリとした熱帯の強い日差しが容赦なく二人に降り注いでくる。暑い!。

 オーはその日も店に行かねばならず、一度アパートに帰って服を着替えるというので、二人はそこで別れることにした。

 オーのアパートはそこから車で十五分くらいのラムカムヘンにあるらしいが、哲也はまだ行ったことがない。

「テツヤはこの後どうしますか?」

「そうだねえ、どうしようか。フジにでも行って少し買い物をしてからアパートに帰るよ」

「そうですか。コンバンはミセにイキますか」

 オーは来ますか、というのを間違えてそう聞いてきた。

 どうも日本語の行くと来るがゴッチャになっているようで、オーの会話には良くこの間違いが出てくる。

 しかし意味は分かるので哲也はいちいち訂正したりはしなかった。

「いや、今日は行かないつもりだ。明日から仕事だからね」

「そうですか。さみしいですねえ。デモはあしたは行きますか?」

「ははは、明日もダメだよ。明後日、土曜日の夜行くよ」

「そうですか。じゃあヨルまたデンワしてくださいね」

 オーはその時ちょうど来た黄色のタクシーに乗り込んだ。

 それを見送った後哲也はスクムビット通りに向かって歩き始めた。(つづく)

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2008年3月31日 (月)

「イミテーション・ラブ」-5

 5 オーとの出会い

 アパートに帰ってうとうとしている哲也の部屋に電話がかかってきた。

 電話の音に目覚めた哲也は、一瞬自分が今何処にいるのか思い出せなかった。

 しかし電話の音が日本のマンションの電話の音と違うため、ここがバンコクだということにすぐ気がついた。

 受話器をとると女の声が聞こえてきた。

「いま シゴトおわりました。テツヤはネムリましたか?」

「ああ、オーか。少し眠っていたみたいだ。もう店は終わったの?」

「ハイ。いまおわりましたよ。いまからアパートいきます。いいですか?」

「ああ、勿論いいよ。場所は解る?」

「ダイタイはわかります。チカクに行ったらまたデンワしますね。あと二十プンね」

「わかった。じゃあ待ってるよ」

 時計を見ると夜中の一時を少し過ぎていた。

 店にいる時にオーは今夜仕事が終わったらアパートに行くと約束してくれたので、哲也は佐野にわからないようにこっそりとアパートの場所と電話番号を教えておいたのだ。

 哲也は急いでシャワーを浴び着替えをしてオーの電話を待った。

 ぴったり二十分後に又部屋の電話が鳴った。オーはアパートの前まで来ているという。

 急いでエレベーターで一階まで降り、玄関ホールに行くと、ガラスドアの向こうに笑顔のオーが立っていた。

 哲也が電子錠の内部のボタンを押してやると、ガラス扉は自動的に開きオーはゆっくりと玄関ホールに入ってきた。店とは違いジーンズ姿だ。

 部屋に入ってから、肩にかけていたバッグをゆっくりはずしてベッドの上に置くと、オーは改めて哲也のほうを向き両腕を哲也の肩の上に伸ばしてゆっくりと首に抱きついてきた。

 哲也も両腕をオーの腰と背中に回して強く抱きしめた。そしてそのまま二人はベッドになだれ込んでいった。

 哲也ははやる心を抑えながら、オーの服を脱がそうとすると

「チョッとマッテください。シャワーしてきます。クサイはよくないでしょう?」

 オーはそう言って立ち上がろうとするので

「大丈夫だ、臭くない。いい匂いだよ。俺はこの方が好きだ」

 哲也は止めようとしたが、オーは笑いながら

「ダメダメ、はずかしーいです。ア・ト・デ・ネ」 オーはそう言って聞かない。

「相変わらず焦らしやがるなあ、オーは」

 仕方がないので哲也はオーをシャワーに行かせることにした。

 哲也がオーに初めて出逢ったのは二年前の四月だった。

 毎年恒例の旅行に来たときで、佐野と一緒に《ピカソ》に行き、そこでたまたまチーママが紹介してくれたのがオーだった。

 オーは明るく日本語もまあまあ出来るし、何よりも冗談が多く面白い女だったので、哲也はその時結構気に入ってしまった。

 歳を聞いてみると二十九歳だというのでそれもちょうど良かった。

 哲也はあまり若い娘が好きではない。自分の娘のような若い娘と付き合うのはどうも苦手だ。

 しかしだからと言って自分と歳相応の女ということになると四十歳を越えてしまう。

 女によってはそれくらいの歳でも充分魅力的な女はいるが、一般的には三十歳くらいがちょうど良かった。

 その旅行中に哲也はもう一回その店に行き、その時は哲也が指名した。オーはそれを喜び二人はすっかり親しくなったが、その時はそれだけで哲也は日本に帰ってしまった。

 一年後再び哲也がバンコクに来たとき、哲也はまたその店に行き、もしかしたらもうオーはいないかもしれないと思いながらもチーママにその名前を言ってみたら、まだいるとのことだったので哲也は喜んだ。

 勿論オーも喜んでくれた。

 その時オーがこの店に来る前に働いていたというスクムビットの日本レストランの店の話題になり、一度一緒に行ってみようということになった。

 明くる日の夕方二人はエムポリアムで待ち合わせ、そこのレストランに行った。哲也は勿論その店は初めてだったが、なかなかいい店だった。

 ソイの奥深くにあるので一般的には知られていないが料理も美味しく店の造りも悪くは無かった。哲也は充分満足してその店を出た。

 オーはその日、哲也と同伴でその後《ピカソ》に行くつもりだったらしいが、哲也は今日は店には行かない、ペナルティは払うから今夜は自分と付き合ってくれと無理に頼んだ。

 哲也はその日こそオーをものにしようと言う魂胆があったからだ。

 タニヤの店の場合、月二日か三日休みが取れるが、その日になって急に休んだりするとペナルティを取られる事が多いみたいだ。

 その額は店によって異なるのだろうが、オーの店の場合は二千バーツくらいらしい。オーは仕方なく哲也の要求を呑み、九時ごろ店に休む趣旨を電話して哲也に付き合ってくれた。

 その後二人はトンローにあるジャズ・ライブの店に行き、バーボン・ウイスキーを飲んでいい気分になったところで、哲也は自分のホテルに誘った。

 しかし哲也が思っていたよりオーは堅く、哲也の要求をすんなりとは受け入れてくれず、しかし次は必ず行きますと約束してくれたので、その夜は仕方なく別れた。

 後で気がついたのだが、もしかしたらオーはその日生理だったのかもしれない。

 そして二日後夜遅く哲也はもう一度オーの店に行き、最終近くまで店にいて、一人で店を出た後、近くの居酒屋でオーの仕事が終わるのを待った。

 そこで軽く食事をしてから、約束どおり哲也の泊まっているスクムビットのホテルに行き、ようやく念願を果たしたというわけだ。それが去年の三月だった。

 去年はオーとのそういうこともあって、いつもの年と違って哲也は秋にもう一度バンコクに来た。オーのことを考えると哲也は一年も待っていられなかったのだ。

 その晩オーは哲也のアパートに泊まり、二人はゆっくりと時間をかけて再会の歓びを確認しあった。

 オーは哲也がこれまで出逢ったどの女よりもベッドの上で敏感な女だった。

 それは初めての時に哲也もすぐ気づいた。

 その夜もオーは哲也の愛撫に激しく反応した。それは哲也から見て商売の反応とは思えなかった。

 しかしだからと言ってそれが哲也に対する愛からだと思うほど哲也も自惚れてはいない。

 哲也はこれまでにも何人かのタイ人の女を抱いた事はあるが、彼女らに共通していえるのは、セックスを商売の武器としては使うが、セックスそのものを楽しもうとは決してしない、ということだ。

 これはひょっとしたら宗教的な影響があるのかもしれないが、この傾向はイサンの女に特に強く見られるように思える。

 しかしオーは珍しくそうではなかった。オーはイサン育ちではないからだろうか。

 彼女は普段は明るくて冗談ばかりを言う女なのだが、ベッドの上では何の恥じらいも見せずに哲也も驚くほど大胆になる。

 そのギャップが哲也にはまたたまらない魅力でもあるのだが、哲也自身がもうそれ程若くもないし、またそれほど強いわけでもないので、そこにはおのずから限界はある。

 二人はそんな一夜を過ごし、翌朝昼前までゆっくり寝た。そしてどちらからとも無く起きて、これからどうしようかと言う話になった。

「なんでもイイですよ。あなたにオマカセです」

「じゃあ取りあえず腹へったからエンポリにでも行ってメシでも食うか」

「イイですねえ。それからはどうしますか?」

「そうだねえ、ゆっくりしたいからマッサージなんかどう?」

「それでイイですよ」

 哲也は明日からの仕事のことを思うと、今日はあまり疲れるようなことはしたくなかった。

 オーもマッサージは好きで、前回哲也がバンコクに来た時も一緒にマッサージに行ったことがある。

 そういうわけで二人は昼過ぎにアパートを出て、アパートの前でタクシーを拾いスクムビット通りまで出た。

 そしてエンポリアムに行き、その中の日本レストランで遅い朝食と昼食を兼ねた食事を済ませた。

 そしてその後、今度は散歩がてらにゆっくりと歩いてソイ三十三にある《ポー・マッサージ》に向かった。

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2008年3月30日 (日)

「イミテーション・ラブ」-4

4 哲也の家庭

 哲也には東京の多摩に家族が住んでいるマンションがある。

 家族は三歳年下の妻と大学二年生の娘と高校三年生の息子の四人家族だ。

 妻の久美とは会社に入ってから知り合い、哲也が二十七歳の時に結婚した。結婚と同時に久美は会社をやめ専業主婦になった。

 結婚して一年目に長女の由紀が生まれた。そしてその二年後に長男の信也が生まれた。

 子供が生まれるたびに引越しをして、十四年前哲也が三十五歳の時今のマンションを買った。

 ちょうどバブルが終わった直後くらいで、分譲マンションも一番高かった頃だ。

 その二年前に肺がんで亡くなった哲也の父が残してくれたわずかな遺産と、結婚後こつこつとためたお金に、金融公庫で借りた二千万円を足して買ったものだ。

 その金融公庫のローンがまだ半分くらい残っている。しかしこれから後六年何とか払い続ければローンは払い終わる。

 そして子供たちが二人とも大学を卒業して働き出してくれれば哲也もかなり楽になるはずだ。

 それまでの辛抱だ。哲也と久美はいつもお互いにそう励ましあってこれまで何とか頑張ってきた。

 五年前から久美も子供に手がかからなくなりパートで働くようになったが、その収入はわずかだ。

 それでも子供たちの学費の足しにはなるので、哲也としては助かっている。

 学費といえば息子の信也がこの春大学を受験する。

 私立を滑り止めで何校か受けるが、本命は国立だ。それにうまく受かってくれれば授業料はかなり安くて済む。

 しかし失敗して私立に行くようなことになると大変だ。何とか国立に行って欲しいと哲也は祈るしかない。

 そんな家庭状況の中ででも哲也はフリーになった四年前から毎年、年に一回のペースでタイに遊びに来るようになった。

 会社を退職してからは殆どマンションにいて仕事をするようになったので、会社にいていた頃のように、会社からの帰りに一杯やるというようなことも滅多になくなり、気晴らしが出来なくなった。

 しかしその分小遣いも使わなくなり、使わなくなった小遣いを毎月ためて、一年に一回タイに来てストレスを発散するようになったのだ。

 別にタイでなくてどこでも良かったのだが、昔三ヶ月ほどバンコクに住んでいた経験があるのでその気安さと、佐野がいるということもあって哲也にとっては一番身近な外国だったのかもしれない。

 その上物価も安いし、安全でしかも女性が綺麗とくれば何も言うことはない。

 そんな哲也に対して久美は今まで別に何も言わなかった。しかも今回は単なる遊びではなく条件的にも日本よりいい仕事だ。

 何も文句の言いようはなかった。ただその仕事が長期にわたるのが久美には少し寂しかったが、お金のかかる時期でもあり、長期で安定した収入が得られるならそれに越したことはないと思って、哲也のタイ行きを賛成した。

 というわけで哲也にとってタイは今や第二の故郷になりつつある国だった。(つづく)

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2008年3月29日 (土)

「イミテーション・ラブ」-3

3 再会

 哲也と佐野はシーロム通りの屋台がひしめく中をすり抜けてやっとタニヤ通りに入った。

この大通りを歩いていると多くの看板に漢字やカタカナなどが使われているので、あたかも銀座や歌舞伎町などの日本の盛り場を歩いているような錯覚に陥りそうだ。

 初めて哲也がバンコクに来た十年前の一日目、夜シーロム通りにあるシーロム・ビレッジでタイ料理の食事をした後、佐野にパッポンに案内され、かなりのカルチャー・ショックを受けた。

 その為か、二日目に来たこのタニヤは<何だ、日本と変わらないじゃない>くらいの感覚しかなく、タイに来てまでこんなところに来る必要はない、と言うような気持ちだった。

 クラブに入ってもホステスは多少の日本語はしゃべれるものの、ひと通りの挨拶が終わると込み入った日本語がしゃべれるわけでは無いので何も喋ることも無くなり、ただ黙って横に座っているだけで面白くも何とも無かった。

 それに比べるとパッポンは音楽がうるさいので、たとえ話そうとしても聞こえないが、ビール一本で、若い女の子が水着姿で踊っているのが見られるわけだから退屈もしない。

 それにもともと女の裸を見ることが大好きな哲也にはその方が性に合っていた。

 だからその後も酒を飲むならパッポンと言う感じで、哲也は佐野などを連れて毎日パッポンの店を何軒もはしごしたものだった。

 そのときは仕事の都合で約三ヶ月バンコクにいたので、三ヶ月目くらいになるとさすがにパッポンにも飽きてしまい、終わり頃にはタニヤのほうにもたまには足を向けるようになっていた。

 三ヶ月近くいるうちに少しはタイ語もわかるようになり、簡単な会話も出来るようになったのと、タイの女にもなれてきたので、最初ほどタニヤの女を苦手とは思わなくなったのだ。

 という訳で哲也もタニヤの方にたまには脚を向けるようになったわけだ。

 オーの店《ピカソ》はタニヤ通りから少し入ったところにある本格的なクラブで、あまり宣伝もしないし、他の店のように表にホステスが待っているわけでもないので、一般の観光客にはあまり知られていない。そういう所もかえって哲也は気に入っていた。

 店の前まで来ると黒いスーツを着たタイ人の社長とマネージャーが入り口前で迎えてくれ、木製の重々しいドアを開けてくれた。

 中に入ると吹き抜けの高い天井の大きな空間が二人を迎えてくれた。

 そしてすぐ少し歳はいっているが、日本人顔した美人のチー・ママが近寄ってきて席に案内してくれた。

 平日で時間もまだ早いため客は四、五人しかいないようだった。

 席に着くなりチー・ママはお絞りを持って来て哲也に

「オーさんでいいですか?」 と聞いてくれた。

 ちゃんと哲也の好みの女を憶えていてくれたので哲也は悪い気はしなかった。

「ああその娘でいいよ」

 哲也は気分よくそう答えた。チー・ママは次に佐野に向かい

「女の子はどうしますか?」 と聞いた。

 佐野はこの店によく来る割には決まった女を作らないのだ。

「チー・ママに任せるよ」 佐野はいつものようにそう答えた。

 チー・ママはそう聞くとすぐに引き下がった。そしてすぐにオーともう一人の女がやってきた。

 オーは哲也の顔を見るなり、一瞬信じられないといった表情をした。

 チー・ママはオーに客は哲也だとは説明していなかったようだ。

 しかしオーはすぐに満面の笑みを浮かべてソファから立ち上がった哲也に抱きついてきた。

「テツヤ!どうしてダマってきたの。ビックリよ。デモはウレシイです」

 かなり訛りのある日本語でオーはそういって今にも泣き出さんばかりの表情をした。

「君を驚かそうと思って黙ってきた。ごめん」

 哲也はオーが狙い通りの反応を示してくれたのに充分満足した。

 その様子をそばで見ていた佐野はニヤニヤ笑っている。

 四ヶ月前に入れたワイルド・ターキーのボトルがまだ半分くらい残っていたらしく、四人がソファに落ち着つくとすぐボーイがそのボトルと水割りセットを持ってきた。

 哲也も佐野も水割りを注文した。佐野に付いた女が水割りを作り始めた。

 女はオーと比べると少し若そうで、色は少し黒いがグラマーでなかなか魅力的な女だった。

 哲也の向かいに座ったまま水割りを作っているのだが、ミニスカートから大きくはみ出した太ももが妙に色っぽかった。もう少しで奥のパンティーが見えそうなほどミニスカートがめくりあがっている。

 哲也はその光景に吸い込まれそうになったが、かろうじて押しとどまり、

「元気だった?」 とオーの方に顔を向けてたずねた。

「ゲンキでしたよ、テツヤはどうですか?ゲンキでしたか」

 にこにこ笑いながらオーはそう答えた。

 オーは週一回パッポンにある日本語学校に通っていて、正しい日本語を習っているためか、日本人から見ると不自然なほど丁寧な言葉遣いをする。

 しかしそれが哲也から見るとよけいに可愛く聞こえる。日本語の乱れた日本から来るとかえって新鮮にうつるのだ。

「元気だったよ。でもオーに逢いたくて病気になりそうだったけどね」

「ホントウですか?ウソでもウレシイです」

誰に教えてもらったのかそんなことまで言うので四人で大笑いした。

 哲也と佐野はその店に一時間ばかりいて店を出た。

 佐野はもう一軒クラブに行かないかと哲也を誘ったが、酒には目のない哲也も今日ばかりは日本から七時間近くかけてタイに来たので、さすがに疲れたのか珍しく断ってアパートに帰った。(つづく)

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「イミテーション・ラブ」-2

2 パッポンの風

 シーロムについたのが六時半過ぎで、佐野と約束した七時半までにはまだだいぶ時間がある。

 哲也は電話で佐野に言ったように、パッポンのビア・バーに行ってビールを飲んで時間をつぶそうと思い、パッポン・ツーの知っているバーに向かった。

 その店はシーロム通りとスリーウォン通りのほぼ真ん中あたりにあり、哲也がバンコクに来れば必ず顔を見せる店である。

 いわば哲也にとってはバンコクの原点のような店だ。

 近くまで行くと、顔見知りの太ったおばちゃんが目ざとく哲也の姿を見つけ飛んできた。

「テツヤ、サバイ・ディ・マイ(元気ですか)?」

 おばちゃんは満面の笑顔でそう挨拶して、哲也の腕を引っ張るようにして、ビア・バーのカウンターまで連れて行き椅子に座らせた。

 カウンターの中にも顔見知りの女たちが何人かいて、皆笑顔でワイのポーズをして哲也を迎えてくれた。

 その笑顔には商売っけだけとはとても思えないような人懐っこさが感じられる。

 そこにはああやっぱりここに来てよかったと心から感じさせてくれる暖かいものがある。

  <これだ、これ。これでやっとバンコクに来たと言う実感がわいてきたぞ>と哲也は内心そう思った。

 新しい女も二人ほどいた。

 一人はカウンターの中にいて少し年増だ。

 もう一人はUの字をしたカウンターの向かい側にいて、カウンターにひじを突いて哲也の顔見知りの女とさかんになにかを喋っている。若くてなかなか可愛い女だ。

 カウンターには四十歳代のファラン(西洋人)が二人座っていてビールを飲みながら喋っている。

 哲也もハイネッケンの小瓶を一本注文してそれを一口ぐっと飲んだ。冷たいビールが渇いたのどを気持ちよく潤してくれた。

 それで一息ついた後、体と椅子をひねってゆっくりと周りの風景を見渡した。

 そこにはいつもと何も変わらないパッポンの雑踏の風景がある。

 平日の夕方ということもあってか、客はまだ少ないようだが、屋台の準備のため男も女も皆忙しそうに立ち働いている。

 近くのゴーゴー・バーから流れてくる音楽がかなりのボリュームで聞こえてくる。少しうるさいが哲也はこの喧騒がやっぱり好きなのだ。

 そうしているうちに、三十代半ばくらいのやはり前から顔見知りの、ちょっと色っぽい女が哲也の後ろに来て「テツヤ、久しぶりね」みたいなことをタイ語で言いながら肩のマッサージを始めた。

 わずかなチップが欲しいために、こういう店では年配の客が来ると客が頼むわけでも無いのにすぐマッサージをしにくるのが常だ。

 だがもしそれが嫌であれば断ってもいいのだが、哲也は断らず女がそれをするのに任せていた。

 女の名前は前に聞いたことはあるが忘れてしまった。女は肩のマッサージをした後、背中から腰、そして腕まで丁寧に揉んでくれる。気持ちがいい。

「サバイ・ディ・マイ?」

 女はそういっていい気持ちかとたずねてきた。

「サバイ・サバイ」

 哲也がそう答えると予想していた通りコーラを飲ませてくれという。

「いいよ」 と言うと嬉しそうに「コックン・カー」 とワイをしてカウンターの中の女にコーラを注文した。

 カウンターの上部にセットされたテレビではサッカーの中継をやっていた。

 ヨーロッパのどこかのリーグ戦の試合なのだろう。タイ人は結構サッカーが好きみたいだが、その日は誰もそれを見ている者はいなかった。

 ビールがなくなったので哲也はもう一杯同じビールを注文した。

 それを期にカウンターの中の新しい女が私にも一杯コーラを奢ってくれと言ったが、駄目だといって断った。

 可愛そうだが、こういう店でせがまれるがままに奢っていると、きり無くいろんな女からせがまれることになる。断る勇気もある程度は必要なのだ。

 以前はそれが出来なかったので言われるがままに奢っていると、伝票を入れるカップが伝票で一杯になり、自分が飲んだ分は四杯くらいしかないのに、二十杯分くらいの金を要求されたことがある。殆どが店の女のコーラ代だった。

 それでも短期の観光できている時なら、それくらいのお金は日本と比べると安いものなのでたいしたことはないのだが、今回は長期の仕事できているわけだから、観光の時と同じようにしていたら大変なことになる。

 前から知っている女ならしょうがないが、初めての女には断る癖もつけておかないといけないというのが、今回タイに来る前の哲也が自分自身に与えた心構えだった。

 だから早速それを実践の中で実行したわけだ。

 断られた女は、そんなことはもう馴れているのか、ちょっとふくれっ面はしたもののすぐに前の表情に戻って、哲也の注文のビールを持って来てカウンターの上においた。

 マッサージをしている女は二十分くらいでやめて、新しく来た別のファランの客のほうに行った。

 哲也に奢ってもらったコーラは一口飲んだだけで、哲也のウイスキーの横に置いたままだ。

 別にコーラが飲みたくてせがんだのではなく、コーラ代のうちのいくらかが自分の売り上げとしてもらえるので、彼女たちはそれだけが目的なのだ。

 屋外なので少し暑いが、雑踏を通り抜けてくる風が首筋に当たって気持ちがいい。

 二本目のビールを飲み終わった頃、ちょうど佐野がやって来た。

 佐野はメンパンにポロシャツというラフな格好だ。とてもビジネス・マンのようには見えないが、タイでは余程大事なお客さんと会うとき以外はそんな服装で全然問題ない。

「ご無沙汰しております。お元気そうですね。今回は無理言って本当にすみません。どうしても山口さんに手伝ってもらわないと無理な物件だったものですから、急に来てもらうことになってしまいましたが大丈夫でしたか?」

 佐野は顔を会わすなり哲也にお礼を言った。

「勿論大丈夫だよ。俺もちょうど今までやっていた仕事に切りをつけたところだったし、日本の仕事にも少々飽きも来ていたところだったから、丁度良かったよ。あなたの誘いがむしろありがたかったくらいさ。それはそうとここでビールでも一杯飲んでいく?それともミズキッチンに行ってから飲む?」

「そうですね、ミズ・キッチンに行ってからにしますかね」

 と佐野が言うのでビアバーはチェック・ビン(勘定)することにした。

 哲也はチェック・ビンした時、挨拶に来たマッサージの女に百バーツのチップを渡すことは勿論忘れなかった。

 《ミズ・キッチン》はビア・バーから歩いてもすぐ傍にあり、屋台のひしめき合う中を摺り抜けるようにして歩いても二分位でついた。

 ドアを開けると正面に二階に上がる木製の階段があり、哲也と佐野は自動的に二階に上がっていった。

 一階にはそこそこの客がいたが、二階のほうはまだ二組くらいの客しかいなかったのでテーブルは結構空いていた。

 二人は空いている奥のほうのテーブルのひとつを選んで腰を落ち着けた。

 《ミズ・キッチン》はいわゆる日本で言う洋食屋で、ステーキが売り物の店だ。

 何故そんな店が日本通りといわれるタニヤにではなく、もともとベトナム戦争の頃、米軍の兵隊の慰安のために造られたらしいここパッポンにあるのか哲也にもわからない。

 十年前哲也が始めてバンコクを訪れたときからこの店はあったから、この店の歴史は相当さかのぼるのかもしれない。

 二人はテイル・スープやビーフ・ステーキなどを注文し、ビールを飲みながらお互いの近況を述べ合った後、明後日からの仕事の段取りの話を佐野が哲也に簡単に説明した。

 明日はもう一日休みを取ることはタイに来る前に佐野の了解を得ていた。

 タイに着いた明くる日からいきなり仕事というのもちょっと辛いので、哲也がそう要望したのだ。

 そうこうしているうちに料理が来たので、二人は仕事の話は打ち切りにして、食事の後は何処に行こうかと言う話になった。

 哲也はつかさずオーのいるクラブの名前を言った。

 哲也はバンコクに来るたびに佐野を呼び出して一緒に行動をしていたので、当然オーのこともオーのいる《ピカソ》のことも良く知っていたので、

「じゃあ今日はそういうことにしますかねえ」

 と言って哲也と行動をともにしてくれることになった。(つづく)

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「イミテーション・ラブ」-1

第一章 バンコクにて
 

1 バンコクの土

  山口哲也はタイのドンムアン空港に今降り立った。懐かしい匂いだ。

 とはいえ一番最近バンコクに来たのは去年の十月だから、まだ四ヵ月しかたってないのだが、もうずいぶん長いこと来ていないような気がする。

 日本は今冬の真最中だと言うのに、ここバンコクではムッと来るような暑さだ。

 タイでは比較的涼しく過ごしやすい乾季ももうそろそろ終わり、一年中で一番暑い暑季に入ろうとしているのだろうか。

 哲也にとってタイはこの十年間で今回が七回目だ。しかし純粋に仕事で来るのは今回が二回目。

 以前仕事できた時は三ヶ月いたこともあるが、観光で来る時はいつも長くて十日間、短いときは一週間位の時もあったが、今回は半年以上の長期滞在になりそうだ。

 今は午後三時半、これからイミグレを出て荷物が出てくるのを待っても、五時までにはバンコクの中心街に着くだろう。

 イミグレはさほど混んでいなかったので、十分足らずで通過でき、階段を下りて荷物が出てくるのを待った。

 しかしイミグレで早く通過できた分、荷物を待つ時間が長くなった。約二十分近く待ってやっとゴルフクラブが出てきて、それからすぐスーツ・ケースも出てきた。

 それらの荷物を持ってたくさんの出迎えの人たちが待っているロビーに出て、とりあえず三万円を約一万バーツに両替してから空港の外に出た。

 出てすぐ、七時間も我慢に我慢を重ねてきた煙草を一本すった。煙草の煙が肺の奥深くに入り込みやっと生き返ったような爽快な気分になった。

 後はタクシーでバンコク市内に出て会社が借りてくれているサービス・アパートに行けばいいだけだ。

 サービス・アパートはバンコクのスクムビット・ソイ三十九のどちらかと言えばペプリ通りよりにあり、二十五階建ての高層アパートだった。

 五時少し前にアパートに着き、一階の受付でちょっとした書類にサインをした後、渡されたキーを手に部屋に入った。

 部屋は二十一階にあって五十へーべくらいの広さだった。一人では充分すぎるくらいの広さだ。

 窓にかかっているレースのカーテンを少し開けて外を見ると部屋は西向きのようで、バンコクで一番高いバイヨーク・タワーがちょうど正面あたりに見える。

 哲也はとりあえず荷物を少し整理した後、明後日からお世話になる会社の佐野に部屋から電話を入れ、今アパートについたことを知らせた。

 佐野は哲也が昔働いていた会社の七歳ほど後輩の営業マンで、十年ほど前にタイ支店に勤務になり、そのときにタイ人の女と知り合い結婚してしまったので、そのままタイに住みついてしまった。

 今ではそのタイ人の女との間に出来た子供が一人いる。

 佐野はその後別の日系設計会社に引き抜かれ、今はその会社の有力な幹部になっている。

 その会社が今回バンコクのある大きな商業施設の内装設計の仕事を請け負い、社内の人間だけでは処理できないため急遽哲也が助っ人として日本から呼ばれることになったのだ。

 一方の哲也は四年前に、それまで二十三年間勤めて来た内装会社が不況の波にのまれて倒産したために,その後は会社勤めがちょっと嫌になり、再就職する気持ちになれなかった。

 それで前々から憧れてはいたものの、なかなか踏ん切りがつかなかったフリーという立場になるには、この際が絶好のチャンスだと判断し、妻にも相談した上で一大決心をしてそうなったのだ。

 そしてこれまでのところはなんとかやってこられたのだが、この大不況の中、日本国内の仕事の質は年々低下し、それでも食べるためにと仕方なくやってきたところもあった。

 しかしそう言う仕事にもいい加減うんざりしていたところだったので、それまでやっていた仕事を切りのいいところで何とかうまく調整し、今回佐野の要請にこたえてタイにやってきたというわけだ。

 前回佐野と一緒に仕事をしたのは、佐野がタイに転勤になった年だからちょうど十年前の阪神淡路大震災があった年で、そのときは同じ会社の先輩と言う立場だった。

 しかし今回は少し違った状況で、佐野のほうが哲也の雇い主のような立場にある。

 しかし佐野はそんな自分の立場を傘に着るような様子は微塵も見せず、昔の先輩と後輩の関係そのままに丁寧な言葉遣いで喋ってくれた。

「お疲れ様でした。どうですか、久しぶりのタイは。お疲れでしょうが、もし良かったら今晩何処かでお会い出来ませんか?」

「いいよ、何処がいい?」

「とりあえず何処かで食事でもしませんか?日本料理がいいですか、それともタイ料理がいいですか?」

「何でもいいよ、あなたに任せる」

「解りました。じゃあパッポンの中にある 《ミズキッチン》 にでも行きますかね?。山口さんはあの店結構気に入っていましたよね。ただし私は今すぐ出ることは出来ないので七時半くらいになりそうですがいいですかねえ」

「ああいいよ、七時半ね。じゃあそれまでパッポンのいつものビアバーでビールでも飲んでいるよ」

「了解です。じゃあよろしくお願いします」

 そういうやり取りをした後、哲也はバスルームに入りお湯のシャワーを浴びて旅の汗を洗い流した。そしてすっきりしたところでまたタクシーに乗りシーロムに向かった。(つづく)

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2008年7月
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