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「イミテーション・ラブ」第二章

2008年4月12日 (土)

「イミテーション・ラブ」-17

9 ゴルフ

 柴田がタイに来た週末、役者がそろったということで、社長の藤川主催でゴルフに行こうと言うことになった。メンバーは藤川と佐野、それに哲也と柴田の四人だ。

 もうすぐしたら暑季に入りゴルフなどとても出来ないような暑さになるので、やるなら今のうちだということもあり、急遽催されることになったのだ。

 佐野は藤川の車に乗り、柴田と哲也は会社専属の運転手が車でアパートまで迎えに来てくれたのでそれで移動した。

 朝の七時過ぎだった。場所は空港の裏のほうだと聞いている。

 バンコク近郊にはたくさんのゴルフ場があり、安いので日本人観光客には人気がある。わざわざそのためだけにバンコクまで来る日本人も多いらしい。

 哲也はつい十年前までゴルフなどした事もなかった。

 日本ではその頃猫も杓子もゴルフをやっていたので、多少天邪鬼な哲也はゴルフだけは絶対にしないでいようと堅く心に決めていた。

 ところが始めてバンコクに来たとき、あまりにも毎日が酒ばかりの生活だったので、さすがに少し健康的なこともしなければいけないと思い、人に誘われるがままに行ってみたら、想像通り面白かったのだ。

 やれば面白いだろうなと言うことは哲也もそれまでに感じていた。ただ天邪鬼な心がそれをさせなかっただけなのだ。

 それからは機会があれば時々行くようになったが、平均すれば一年に一回くらいのものなので全然上達はしない。

 だからゴルフやっていますなどとはとてもおこがましくて言えないほどなのだが、決して嫌いなわけでもない。

 聞いてみると柴田も同じようなものだったので少し安心した。

 藤川の車の方が先にクラブハウスについたらしく、哲也たちが着いた時には藤川と佐野はもうすっかり準備が出来ていて、一階のレストランで待っているということだった。

 哲也たちも急いで準備を済ませ、二人が待っているレストランに行った。

 藤川と佐野は腹ごしらえに天ぷらそばを食べている最中だった。

 哲也たちが行くと藤川はそばを食べている箸を手から放して立ち上がり、

「やあやあ、お先に失礼しています」 そう言って丁寧に挨拶をした。

「いえいえ、どうぞお構いなく。こちらこそ遅くなって申し訳ないです」 哲也もそう挨拶を返した。

 そのあと柴田と哲也も同じものを注文した。朝早く起きたので腹が減っていた。

 食事が来るまでの間哲也は藤川たちと世間話をしながら、窓の外の風景に目を移した。

 ガラス窓の向こうには何処までも続く緑の芝生が窓一杯に拡がっている。それを見ていると自然に爽快な気分になってきた。

 コースは八時半にアウトからからのスタートだった。食事の後四人はそろって芝生に出た。

 まだ暑季には入っていないとはいえ、南国の日差しはやはりきつかった。しかし芝生の中に身を置くとなんとも気持ちがいい。

 暫く歩くとキャディたちがクラブをそろえて待っていてくれた。

 タイでは客一人に対して必ず一人のキャディが付く。人件費が安いからそういうことも可能なのだろう。

 もし客が要求するならパラソルを持つだけに一人、椅子を持つだけに一人雇うことも可能だ。

 実際に一人で三人のキャディを雇って殿様気分で歩いている馬鹿な輩を哲也は何時だったか見かけたこともある。

 それを見たときは、人件費の安い国に来て、いかにも精一杯お金持ち気分を満喫したいという、何かいじましい感じが露骨に感じられて、哲也はあまりいい気分でなかったのを憶えている。

 それをやっていた輩が皆こぞって品のない感じだったので、余計にそう感じてしまったのかもしれないが。

 スタートまで四人はそれぞれ自分のクラブを持って素振りをしたり、パットの練習をしたりして時間をつぶした。

 スタートしたらすぐに一番うまいのはやはり予想通り藤川で、その次が佐野という順番だということが直ぐに分かった。

 ゴルフをやっている年季が違うというのを哲也はまざまざと見せ付けられた感じだった。

 哲也と柴田はどちらも似たようなものだったが、それでも哲也はその日今迄で一番良いスコアーで廻る事が出来、充分満足だった。

 終わったのが午後三時前で、レストランでビールを飲みながら軽く食事を取ってクラブハウスを出たのが四時過ぎだった。

 そのままスリーウォンにある古式マッサージに直行して二時間のマッサージを受けた後、タニヤの《酒の店》で食事をし、その後は藤川の行きつけのクラブに行きその日は終わった。

 おかげで哲也は藤川ともすっかり親しくなれた。(第二章おわり 第三章につづく)

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2008年4月11日 (金)

「イミテーション・ラブ」-16

8 ナナの女

 佐野とその日待ち合わせをしたのはトンローの焼肉屋だった。

 勿論日本式の焼肉だ。タレも肉自体も日本の焼肉と殆ど変わらないことは、哲也も一度だけだがそこに行ったことがあるので知っていた。 

          
 哲也と柴田は約束の時間より十分くらい早く店に着いたので、生ビールを頼んで飲んでいたら、すぐに佐野がやって来た。

 佐野と柴田は初対面なので、まず哲也は佐野を柴田に紹介した。佐野と柴田は歳も近いためかすぐに打ち解けた。

 焼肉を食いながらビールを飲んでいるうちに三人とも気持ちよく酔ってきて、佐野の提案でこれからナナ・プラザに行こうという話になった。

 哲也もナナ・プラザには今回まだ一度も行ってなかったので行ってみたくなった。

 よし行こうということになり、店の前でタクシーを拾い三人はナナに向かった。

 スクムビットのソイ四でタクシーを止め三人は降りた。ナナ・プラザの前の通りは人であふれていた。

 大部分はファランだが日本人らしき男もかなりいた。

 柴田はタイに今日着いたばかりな上にバンコクを全く知らないから目をきょろきょろさせている。

 三人はまず一階の中央広場にあるビアバーに腰を落ち着かせた。

「どう?面白そうなところだろう?」

 哲也は柴田にまず感想を聞いてみた。

「何ですか、ここは?」

「まあ、まあ。それはこれからのお楽しみと言うことで」

 哲也はそう言って気を持たせておいた。カウンターの中の女がすぐに、注文したバーボンの水割りを持ってきたので、三人で今日二回目の乾杯をした。

「しかし賑やかな所ですねえ」

 柴田は尚も周囲を好奇心一杯の目で見回した。

「そうでしょう。ここは今バンコクでは一番人気のある盛り場ですかねえ。勿論バンコクにいる外国人の中ではの話ですが」

 今度は佐野が答えた。

「白人の溜まり場ですか、ここは?」

「そうですね。もともとはそうでしたが、今は日本人も多いですよ」

「そういえば日本人の姿もよく見かけますね」

「そうでしょ。これと同じスタイルの盛り場がバンコクには三カ所あるんですよ。前はパッポンという所が一番流行っていたんですが、今はここのほうが流行っていますね。パッポンはお土産を買う所みたいになっちゃいましたからね」

「そうだね。本当にそうかもしれないな。パッポンも昔と比べたらゴーゴー・バーが少なくなったよな」

 哲也も話しに加わった。

「なんですか、そのゴーゴー・バーと言うのは?」

「だからそれはこれからのお楽しみだって。ほらこの周囲に一杯店があるだろう。あれがみんなゴーゴー・バーだよ」

「もう、山口さんは意地悪だなあ」

「はっはっは、じゃあそろそろ行くか」

 佐野がカウンターの中の女にチェック・ビンを頼んだ。

 三人が入った店は日本人に人気のある《プレイスクール》という一階の店だった。

 店は結構混んでいたが、それでも三人が座れるくらいの席は空いていた。

 まだ時間が早いせいかも知れない。さすがに日本人に人気が高いだけあって半分から三分の一くらいは日本人のようにみえた。

 三人は入って左奥のほうの一番壁際の席に座った。哲也を真ん中にして左に柴田が、右に佐野が座った。

 ステージではTバックの水着姿の女が二十人くらい踊っていた。みんなそれなりに若くてきれいだ。

「すごいですね。可愛い子がいるじゃないですか」

 柴田が早速声を上ずらせてそう言った。

「そうだろう。ここは日本人好みの娘をそろえているからな。気に入ったらもって帰ってもいいんだぞ」

「ええ!そんなのありなんですか」

 柴田は目をむいて驚いた。

「そうだよ。バンコクの店は大概そんな店が多いよ」

「マジですか?信じられないですねえ。で、ちなみにいくらくらいするんですか?」

 大音響の中なので二人は顔をくっつけるようにしてそんな会話をした。

「おいおい、もうもって帰る気かよ」

「そんなことは無いですけど、念のために」

「大体スポットで千五百バーツくらいが相場かな。女の子によって二千バーツくらい要求する娘もいるみたいだけどね」

「千五百バーツという、とエーッと四千五百円くらいですか?えー!そんなに安いんですか?!信じられないですねえ」

 柴田はまたしても「信じられない」を連発した。

 そのうちに制服を着た若い娘が三人の飲み物を持ってきた。それを飲みながら暫くの間ステージの女のダンスを見ていた。

 哲也が見ても確かにこの店には可愛い娘が多かった。それに皆スタイルがいい。

 タイ人の女は総じてスリムで足がまっすぐで長いので、こういう所での見栄えはいい。おまけにTバックでハイヒールのブーツなので余計にスタイルが良く見える。

 哲也は以前からこの水着姿を見るのが大好きで、バンコクに来た当初は毎日パッポンに入り浸っていたことは前にも話したが、こうやって久し振りにゴーゴーバーに入ると、当時のことをつい思い出してしまう。

 その営業スタイルは十年前とまるで変わっていない。

 十年変わっていないのだから、これからもそう簡単には変わらないだろう。しかし何時までこういう店はあり続けるのだろうか。哲也は娘たちの水着姿を見ながらそんなことを考えていた。

「山口さん、女の子が横に来たんですけど、どうすればいいんですかね?」

 哲也がステージの方に気を取られているうちに、いつの間にか踊っていないダンサーが二人柴田の横に来て座っていた。

 二人ともなかなか可愛い娘だ。感じからすると二人ともまだ二十歳そこそこだろう。

「なかなか可愛いじゃない。そのうち握手を求めてきてコーラを奢ってくれっていうから、一杯くらい奢ってやれば良いよ」

「そうなんですか。しかしよわったなあ」

 柴田がそう言うか言わないうちに案の定一人の娘が柴田に声をかけてきた。

「コンバンワ。アナタハニホンジンデスカ」

 覚えたばかりのような日本語だった。しかしさすがに日本人が多い店だけあって挨拶だけにしろ日本語を喋れる娘がいるんだと、哲也は感心した。

「そうだよ」

「ワタシノナマエハ ビー デス。アナタノナマエハ ナンデスカ?」

「ケンだ」

「ケンサン デスカ。ドウゾヨロシク」

 女はそう言って右手を柴田の方に差し出して握手を求めた。

 柴田は困った顔をして一瞬哲也のほうに救いを求めたが、哲也が頷くと心を決めたように握手をした。

 握手をすると女はぐっと腰を柴田の方に移動した。そして今度はもう一人の女が哲也の方に向かって同じことをしてきたので、哲也は柴田との間にスペースを空けてやりそこに女を入れてやった。

 哲也はあまり若い女が好みではないが、いろんな女に入れ替わり立ち代り来られるより、一人の女に決めておいた方が、いちいちそのたびに同じことを言うよりいいと思ったからだ。

 哲也に付いた女はファーと名乗った。歳を聞いてみると二十一才だという。娘と変わらないな、と一瞬思った。

 哲也は左手をファーの腰に回すと細い腰の肌がじかにふれてひんやりと冷たかった。

 哲也はこの感触が前からずっと好きだった。皮下脂肪の部分が冷房に冷やされてひんやりしているのだろうと思っているが、暑いこの国ではこうやって女の肌に触れているととても気持がいいのだ。

 うまく出来ている。その分女は寒いのだろうが。

 哲也は右側に座っている佐野が気になり振り向いてみると、佐野にもきっちり女が付いていた。何時の間に、と言う感じだった。

 一方柴田の方はさすがに若いせいか乗りがよく、タイ語は全く出来ないにもかかわらず英語などを適当に交えて結構楽しそうに喋っている。

 女にも一杯ずつコーラを奢ってやり、哲也と後の二人ももう一杯ずつ水割りを頼んで飲んでいる所で、ビーとファーは自分たちのダンスの時間になったので席を立った。

「どうする。あの娘を連れて帰るかい?」

 哲也は柴田に聞いてみた。

「いやいや今日はやめときます。又今度にします。今日はちょっと疲れましたから」

「そうかい。それじゃあもうそろそろ帰ろうか。明日からは早速仕事だからね」

 哲也は佐野にも同じことを言った。佐野はあっさりと頷き、制服組のおばさんに清算を頼んだ。(つづく)

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2008年4月10日 (木)

「イミテーション・ラブ」-15

7 風呂で

 柴田も哲也も今日はもう会社に行かなくてもいいようになっているので、取りあえず荷物を置くためにアパートに帰った。

 柴田も哲也と同じアパートだ。

 アパートに着くとドライバーは会社に帰らせた。

 七時半に佐野とも待ち合わせをして、三人で食事をすることになっていたので、柴田とは一階で七時に待ち合わせということにして、二人はそれぞれの部屋で一旦休憩をとることにした。

 時計を見るとまだ六時前だ。一時間以上ある。哲也は部屋に戻ると浴槽にお湯をいれ、風呂に入ることにした。

 風呂につかりながら哲也は昨日のことを思い出していた。

 洗濯機を買ってやった時のオーのうれしそうな表情を思い出していたのだ。

〈あいつの笑顔は本当に最高だな、あの顔が見られるなら俺は何でもしてやりそうだ。

 しかし危ない、危ない。こんな調子で金を使っていたらいくらあっても足りないよ。女房になんて言い訳したらいいかわかんなくなるよ。これからはちょっと締めなきゃいけないな。

 それにしてもあいつは質素な生活をしていたな。やっぱりあいつが言うようにあんまり客はいないのかもしれない。まあその方が俺にとってはいいけど。あいつが他の男に抱かれているのをあまり想像はしたくないからな〉。

 哲也はそんなことを考えながらお湯につかっていた。

 哲也はオーに子供があることはオーから以前に直接聞かされていた。オーから聞いた話はこうだった。

 オーは十八歳の時に結婚して、十九歳で娘を産んだ。

 その娘は今十二歳だと言う。名前はアリサというらしい。勿論ニックネームだ。前に一度写真を見せてくれたことがある。

 アリサの父親はオーより十歳年上だったらしい。彼はイギリス人の父親とタイ人の母親とのハーフだった。

 そのためかアリサも写真を見た限りでは、少し白人の血が混じっているような結構な美少女だった。

 田舎はバンコクから車で二時間半くらい東北に行ったサラブリという所らしい。

 哲也はまだバンコク以外のタイには行ったことがないので、そこがどういう所なのかは全く想像がつかない。

「何にもないところです。ヤマとヒマワリがあるだけです」

 オーはなんの悪びれもなく自分の田舎をそう説明して笑っていたことがある。

 哲也は何か機会があればそこに一度行ってみたいな、とその時思ったものだった。

 そして昔見た事があるソフィア・ローレン主演の映画「ひまわり」の、あのひまわりが画面いっぱいに広がっていた場面を思い出したものだった。

 オーはそんな田舎で育ち、中学校を卒業した後バンコクに出てきた。

 そしてバンコクで娘の父親と出会ったのだろう。子供が先に出来たのか、結婚してからできたのかは知らないが、とにかく子供が出来た。

 しかし子供が出来る前に男は交通事故で死んだらしい。

 男の死によってオーの人生は一変した。

 オーは子供を田舎の母親に預け自分はバンコクにそのまま残り働いた。

 そしていろんな職業を転々とした後、何年かしてお姉さんの結婚相手が経営している日本レストランに移り、そこで四年ほどウェイトレスをして働いていたそうだ。

 それが哲也と初めて食事をしたスクムビットの店だ。しかしそこも給料が少なく、思うように田舎に送金もできないため、友達の紹介でもう少し実入りのいいタニヤの《ピカソ》に移ったのだという。

 それが二年前の一月だったらしい。だから哲也に出会ったのはそのクラブに移ってまだ三ヵ月しか経っていなかったのだ。

 それにしても今はまだ三十そこそこだから良いとしても、後十年もして店で働けないような歳になったらあいつはどうするつもりなのだろう。

 ママになるなら少々歳を取っても大丈夫だが、オーはそう言うタイプでもなさそうだ。それほどがめつい性格でもないし、野望もなさそうだ。

 もしそんな野望があるような女なら、勿論哲也のような男とは付き合わないだろうが・・・。

 哲也は前からそれが気になっていたので、あるとき一度聞いたことがある。

「そのときはアリサがタニヤではたらいてワタシを食べさせてくれます」

 オーはその時、笑いながら冗談のように言った。

 哲也はその時半分は冗談だろうと思ったが、案外ありえる話かもしれないとも思った。

 アリサも後五年もすれば立派な大人のいい女になるだろう。

 それにしても世の中上手く出来ているものだ。俺が先のことを考えて心配しなくても、世の中は自然に上手く出来ているのだ、と哲也はその時思ったものだった。

「彼女はきれいになりそうだから高く売れるかもしれないぜ」

 哲也も冗談で言い返してやると

「そうですよ。そうなればワタシはヒダリウチワですね」

 と言って笑っていた。

 何処でおぼえたのかそんな言葉までオーは知っている。

 しかしやはりよく考えてみれば、オーのアリサに対する思い入れは相当なものみたいなので、恐らくそんなことはしないだろう。

 勉強も良く出来るみたいだし、何とか大学まで行かせてやろうとしているようだ。

 その証拠にこの四月から娘のアリサはバンコクに出てきて、オーのアパートに一緒に住んでバンコクの中学校に行くらしいのだ。

 オーのあの質素な生活も、もしかしたらアリサのために切り詰めているのかもしれない。

 あいつもああ見えて結構教育ママなのかもしれないな、と哲也は思った。

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2008年4月 9日 (水)

「イミテーション・ラブ」-14

6 柴田登場

 次の週から仕事は本格的に始まった。

 週が始まってすぐの月曜日の朝、哲也は佐野から相談を受けた。

「山口さん、先週資料をひと通り見られたと思うんですがどうですかねえ。山口さん一人でこなせる量だと思いますか」

「実は私も同じことを考えていて、一度あなたに相談しようと思っていたところだった。はっきり言って絶対に無理だと思うね。少しスケールが大きすぎるよ。少なくても後一人か二人日本人の優秀な奴がいないと出来ないと思うよ」

「やっぱりそう思われますか。私もそれを心配していました。だから何人かの知り合いに声もかけていたのですが、なかなかいい返事がもらえなくて困っているんですよ。山口さんの知り合いの方で誰か適当な人いませんかね?」

「そうだねえ、いなくも無いからちょっと当たってみるか」

「そうしていただけるなら助かります」

 哲也はその後条件面などを佐野から聞きだし、何人かの知り合いにメールを出した。そのうち二人はその日のうちに返事が返って来た。

 一人はオーケーでもう一人はダメだった。しかし一番来て欲しいと思っている奴からの返事が無い。哲也はもう一日待つことにした。

 翌日の朝一番にその男からメールが入っていた。答えはオーケーだった。

 よし彼に決めよう、と哲也は思い、佐野に報告したら、人選は山口さんにお任せします、ということなので哲也はすぐにその男に出来るだけ早く来て欲しいというメールを出した。

 その男は柴田といい、哲也より十二歳くらい年下でまだ独身だ。

 七,八年前にあるプロジェクトで知り合い、なかなか優秀な奴だったので、その後も哲也がまだ会社にいた頃は外注として時々手伝ってもらっていた。

 柴田はその頃からずっとフリーのインテリアデザイナーだった。哲也がフリーになってからは殆ど一緒に仕事はしていないが、個人的な付き合いはずっと途切れずに続けていた。たまに飲みに行く程度ではあったが。

 柴田はその日のうちに来週早々に行きますという返事をくれた。それで哲也も佐野も一安心した。これで何とかなるだろうと哲也は思った。

 次の週の夕方予定通り柴田がタイにやってきた。

 柴田はタイが初めてなので、哲也は空港まで会社の運転手つきの車で迎えに行った。

 飛行機は二十分ほど遅れたが無事ついた。柴田は元気そうだった。

「どうだ、元気そうじゃない。よく来てくれたねえ。助かったよ」

 車が動き出してから哲也は改めて柴田にお礼を言った。

「いえいえ、こちらこそ。ここんとこちょっと暇だったもんですから、三日ほど旅行に行ってたんですよ。だからメール見てなかったんです。あの夜アパートに帰ったら山口さんからメールが入っていたんでびっくりしちゃいましたよ。面白そうな仕事じゃないですか。今時日本ではそんな仕事ないですからねえ。それに一度タイにも来てみたかったし、ちょうど良かったですよ」

「ああそうなの。じゃあよかった。まあとにかくよろしく頼むね。でも君と一緒に仕事をするのは久し振りだね。何年ぶりかなあ」

「そうですね。山口さん独立されてから何年になります?」

「今年の一月で丁度四年たったかな」

「そうですか。もうそんなに経ちますか。じゃあ五年振りくらいかも知れませんね」

「そうだね。それくらいになるのかなあ。早いもんだねえ」

 二人はそんな話をしながら街に向かった。(つづく)

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2008年4月 8日 (火)

「イミテーション・ラブ」-13

5 オーのアパート

 その夜哲也は十二時近くまで店にいて、お客が殆どいなくなったのを見計って、少し早いがオーも一緒に店を出た。

 客がまだ大勢いるような時はそういうことは出来ないが、客が少ない時は特別そういうことも、この店では融通を利かせてくれる。

 オーと一緒に店を出た哲也はルンピニ公園の裏側にある《ブラウン・シュガー》と言うジャズ・ライブをやっている店にオーを誘った。

 まだいつもより時間が早いのと、明日は日曜日と言う開放感もあり、哲也はもう少し飲みたかったのだ。オーもすんなりオーケーした。

 《ブラウン・シュガー》は若い客でにぎわっていた。

 演奏をやっている部屋は客で一杯で空いている席がなかったので、入り口の奥のステージの見えない席に二人は座った。

 それでも演奏は大音響なのでそこまで充分届いた。

 座るとすぐにTシャツを着た色の浅黒いウェイターがやってきて注文を聞いた。哲也はジャック・ダニエルのロックを、オーはバカルディというオレンジのカクテルみたいな飲み物を注文した。

 そしてタイ語でトゥアというピーナッツも一緒に頼んだ。

 演奏はジャズというよりもラテン音楽だった。それでもこの暑い国ではそういう音楽が良く合っているのか、客は乗りに乗っている。

 客の半分以上はファラン(白人)で、残りがタイ人と日本人らしき顔も何人かいた。

 哲也もだんだん演奏に乗ってきて、また酒の酔いも手伝って自然に身体でリズムを取るようになっていた。それを傍で見ていたオーは笑っていた。

 一時間ほどそこにいて二人はその店を出た。

 店を出てすぐ 「もうかえりますか?」 オーが聞いて来たので

「そうだなあ。帰るか?ああそうそう君のアパートに一度行って見たいと前から思ってたんだけどどう。いいか?」

「いいですよ。デモは、せまいですよ。それでもいいですか?」

「もちろんいいよ。じゃあそうしよう」

 二人は《ブラウン・シュガー》の前でタクシーを拾いオーのアパートに向かった。

 車は一度ラマ四通りまで出て、アソーク通りをまっすぐ北に向かい、ペプリ通りを右折して東に向かった。そしてプラカノン通りを今度は北に向かった。二十分くらいでオーのアパートに着いた。

 オーのアパートは大通りから少し入ったところにあった。

 入り口に十段足らずの石の階段があり、それを上がったところの右側にガードマン・ボックスがあった。

 ガードマンはちらっと哲也をみたが、オーと一緒だったためか何も言わなかった。

 オーは玄関を中に入ってエレベーターホールまで行き、エレベーターのスイッチを押し、扉が開くと中に入った。そして八階のスイッチを押した。

 オーの部屋は八階にあった。部屋の扉にはキーとは別に南京錠がかかっていて、オーはバッグからその鍵を取り出してあけた。

 中は八畳くらいの部屋で確かに狭かったが、一応きれいに整頓はされていた。

 哲也はゆっくりと部屋を見渡してみた。

 部屋の中には木製のシングルベッドと安物の洋服ダンスがひとつ。二十五インチくらいのテレビと冷蔵庫。それにこれも安っぽい合板のドレッサーがひとつあるくらいだった。

 天井には作りつけの大きなシーリング・ファンが付いてはいたがエアコンはなかった。

 部屋を突っ切った窓の向こうに少し広いベランダが張り出しているので、哲也はガラスの引き戸を開けそこにも出てみた。

 ベランダには洗濯機置き場もあったが洗濯機はなかった。その代わりそこにはプロパンガスのボンベの上に直接コンロが置かれていた。

 哲也が誰かから聞いた話では、バンコクの殆どのアパートには日本で言うシステム・キッチンのようなものはないらしい。

 バンコクでは屋台が街の隅々にまで入り込んでいるので、安くて旨いものがいくらでも食べられるため、人々は料理を家ではあまり作らないで、屋台で買ってきて食べるというのが一般的らしいのだ。

 だからアパートにキッチンなどは要らないのだ。

 そのためだろうか。オーの部屋にもキッチンらしきものはない。その代わりに簡単なものを作るための物としてガスボンベとコンロがこのように置いてあるのだろう。

 その横には洗濯スペースなので当然水道の蛇口があり、その下のバケツに食器が少し水につけてあった。

 又ベランダの片側にはトイレとシャワーが一緒になった、所謂タイ語でホム・ナームといわれる水の部屋があった。

 哲也はそれらすべてをひと通り見て、華やかなタニヤの店に勤めている女の住まいにしてはあまりにも質素なのにかなり驚いた。

 そしてそんな質素な生活をしているオーに対して、ある種の愛おしさのようなものを感じずにはいられなかった。

「洗濯機はないの?」 哲也は思わずそんなことを聞いてしまった。

「ないです」 オーはなんの悪びれも無く哲也の質問に答えた。

「じゃあ洗濯はどうしているの?クリーニングに出しているの?」

「ちがいます。手で洗っています」

「ええ、そうなの?それじゃあ大変じゃない」

「そうですよ。たいへんです。アイロンがけもゼンブ自分でします。しょうがないですネ。お金たりないです。それともテツヤ、かってくれますか?」

「ああ、本当に買ってやるよ。そうだ、明日買いに行くか」

 哲也は自然にそういう言葉が口から出てしまった。そう言った瞬間、〈しまった〉と言う気持も少しは頭を掠めたがその時はもう遅かった。

「ホントウですか?うれしい!テツヤはやさしいですネ」

 オーは大喜びで哲也に抱きついてきた。哲也は泣き笑いの顔でそれをしっかりと受け止めた。

 一方のオーは、今日哲也にサラリーの話を持ちかけ、それに成功した上に、明日また洗濯機まで買ってもらう約束を取り付けたので大満足だった。

 これでアリサがバンコクに出てこられる下地が整ったと思った。(つづく)

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2008年4月 7日 (月)

「イミテーション・ラブ」-12

4 サラリー

 九時を少し過ぎた頃二人は《バナナ》を出た。そして又シーロムの雑踏をすり抜けて《ピカソ》に行った。

 この前は佐野と一緒だったので一時間足らずしかいなかったが、今日はゆっくりしようと哲也は思っていた。

 いつものように店の前にチーママとマネージャーがいて二人を出迎えてくれた。

 哲也はチーママに案内されて二人用の狭い席に座った。オーはそのまま服を着替えに奥に入っていった。

 チーママは一旦カウンターの方に行き、すぐにお絞りと灰皿を持って戻ってきた。

 そしてそのお絞りを哲也に渡した。哲也はそれを受け取ると顔と手をそれで入念に拭いてチーママに返した。

 ちょうどその時ボーイが水割りセットを持ってきたので、チーママがそれで哲也の水割りを作ってくれた。

 作り終えたところで「それではごゆっくり」と言ってどこかに消えていった。哲也はオーが着替えて来るまでの時間タバコをすいながら待った。

 店内を見渡すとお客はまだ五人くらいしか入っていない。

 土曜日の夜は金曜日の夜よりは客が少ないかもしれないが、それにしても少ない。

 この店には四十人くらいの客は充分に入れる広さだ。タニヤ自体がさびれて来ている上に、こういう純然たるクラブは流行らなくなって来ているのだろう。

 接待費が思うように使えなくなった今、何回も通って女を口説かなければならないこんな店よりは、気に入った女がいればすぐに連れ出せる今風の店の方を客は好むようになってきているのだろう。

 十分位で化粧をして背中と胸が大きく開いたロングドレスに着替えたオーが戻ってきた。それに化粧も少し濃くなっている。

 さっきまでのオーとは又違う雰囲気だ。すっかりプロのホステスになりきっている。

「セクシーだねえ。そんな姿を見せられるとやりたくなっちゃうよ」

「バーカ。ア・ト・デ」

 オーはそれでも嬉しそうだった。そして哲也の傍にもたれかかるようにして座った。ほんのりと香水のいい香りがした。

「お客さん少ないね」

「そうです。いつも少ないです。だから毎日コーラないです。ツマラナイです」

「そうなの?そんなに少ないんだ。今の時期は日本人が少ないのかな」

 もうこういう店は流行らなくなってきているんだ、と言えばオーも傷つくかもしれないので哲也もそこまでは言わなかった。

「ワカラナイです。デモは、三月になればオキャクサンはふえるとシャチョウはこのまえ言っていました」

「そうかい。そうだといいけどね」

 前のステージではフィリピン人の中年ピアノトリオと女性歌手がスタンダードなジャズの曲を歌っていた。

 このバンドはレギュラーでいつも同じメンバーだ。もう十年以上ここで歌っているということだ。

「いつもオナジ曲ばかりなのですこしアキました」 とオーが笑いながら前にそう言っていたのを哲也は聞いた事がある。

「ウエにオンナいっぱいいます。みんなシゴトないです。コーラないです。カワイソウでしょう」

 この店は大部分が吹き抜けの高い天井になっていて、奥の一部に二階があり、そこにもお客さんは行くことは出来るが、殆どの客は一階にいて、二階は待ちの女のスペースになっている。

 哲也はオーの大きく露出した背中を掌で撫ぜながら、女達がいるという二階のあたりを改めて見た。

 しかしそこには女達の姿は見えず吹き抜けに面してクラシックな木のクリ棒のある手すりと、その向こうにあるこれも装飾の施された天井と間接照明の淡い光が見えるだけだ。

 手のひらにオーの背中の柔らかな肌の感触が心地よい。こうやってオーの背中を撫ぜていると哲也の中から何か強いパワーが沸き起こってくるような感じがして、哲也はそうするのが前から好きだった。

「ほんとだね。ずっと二階にいてても面白くないだろうね。そんな時はみんなどうしてるの」

「おしゃべりしているだけです。ツマラナイです。オーはお店かわろうかなとおもっています」

「ええ?そうなの。何時?」

「まだわからないです。デモはすぐではないですヨ。いまさがしています」

「どんな所?連れ出しオーケーの店はダメだよ」

「そんなおミセでもいいかな、とおもっています」 オーは笑いながらそう言った。

「ダメダメ、そんな店は止めた方がいいよ」

「ジョウダンです。そんなおミセには行きません。だったらテツヤはサラリーくれますか?」

 話が意外な方向に進展し始めた。

「サラリー?どういうこと?」

「マイツキ二万バーツ、オーにくれますか。そうしたらそんなおミセには行きません」

 オーは話をうまくそちらの方向に持っていった。

 哲也が今回長期の滞在になりそうなのを知って、月契約でお金を安定させたいという気持ちになったのだろうか。

 これまで哲也はオーと寝るたびに二千バーツか三千バーツをオーに渡してきた。

 オーは別に売春を商売にしているわけではないので、最初の時お金を渡していいのかどうか哲也は少し迷ったが、思い切って渡してみるとすんなり受け取ったので、その後はいつも渡すようにしていた。

 しかしオーにしてもその度ごとにお金をもらうのは、売春婦のようで余り気持ちは良くないのかもしれない。

 だから長期であれば月単位でもらった方が気持ち的にもしっくり来ると考えたのかもしれない。

「そういうことか。しかし二万バーツね。それはちょっときついな。一万五千バーツではどう?」

 哲也は急にけち臭いことを口にしてしまった。しかしそれが哲也の本音でもあった。

 二万バーツは日本円に換算すれば五万五千円くらいだから、それくらいの金で女を一人囲えるなら決して高い買い物とはいえない。

 しかし為替はそうだがタイの感覚からいえば二万バーツは二十万円くらいの値打ちはある。

 それにそれ以外にも女と付き合っていれば買い物や、食事、それにこの店に来るお金だって必要になってくるので、固定経費は出来るだけ抑えたいと言うのが哲也の考えだ。

「フツウ、タニヤはツキ三万バーツか四万バーツです。だから二万バーツは安いです。デモはテツヤがそういうならそれでもいいですヨ」

「ありがとう。それじゃあそうするよ」

 なぜありがとうと言わなければならないのかなあ、などと哲也は頭のどこかで考えながらもそう言ってしまった。

 オーは嬉しそうな表情で

「じゃあヤクソクね」

 そう言って自分の小指を哲也の小指に絡めてきた。

 哲也はその時、タイの女のしたたかさというものを改めて思い知らされたような気がして心の中で苦笑いした。(つづく)

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2008年4月 6日 (日)

「イミテーション・ラブ」-11

3 バナナ・レストラン

 オーとの約束の土曜日が来た。

 哲也はその日休みではなく夕方の六時まで仕事をして、タクシーでアパートまで帰り、一旦荷物を置いて、軽くシャワーをしてから服を着替え、オーと待ち合わせをしているタニヤプラザの前に行った。

 オーは先に来てすでに待っていた。

 タイ人というのは待ち合わせをしても、大概約束の時間には来ないものだというのが哲也の頭にはあったが、オーはいつも約束の時間より早く来る。

 こういう所も哲也はオーに惹かれるところだ。

 オーは哲也を見つけると少し離れたところからワイをして挨拶をした。

 今日はジーンズではなく薄いオレンジ色のミニ・スカートだった。スカートからすんなりと伸びた形のいい脚がなかなか魅力的だ。

「オヒサシブリですネ」

 オーはそういいながら早速嬉しそうに哲也の腕に自分の腕を絡めてきた。

 哲也はこういう所で腕組みをするのはあまり好きな方ではないが、オーのすることをあえて拒否はしなかった。

 街なかやBTSなどでいかにもタニヤの女という感じの若い女と、日本人の中年のカップルが親しそうに一緒にいるのをよく見かけるが、哲也はどうもそういうのがどうも好きではない。

 自分も他人からはああいう風に見られているのかと思うと、できるだけ腕組みなどして歩くのは避けたい気持ちはある。

 しかしこの場合は変にそうするのも不自然だ。

「何がひさしぶりだよ。二日逢わなかっただけじゃない」

「でもオヒサシブリです。わたしコイシカッタです」

「そうかい、でもそういわれると嘘でもうれしいな」

 哲也もそういわれると悪い気がしないのでこの間のお返しのように言った。

「ところで食事は何処にする」

「タイのショクジがしたいですネ」

「そう?だったら何処がいい。君の知っているところに連れて行ってくれる?」

「そうですネ。じゃああそこに行きましょう。《バナナ》おぼえていますか?」

「《バナナ?》何処だったかなあ。よく憶えてないな」

「キョネンきたとき行ったことありますよ。パッポンに行くトチュウにあります。おぼえていませんか?」

「パッポンに行く途中?憶えてないなあ。まあいい。とにかくそこに行こう」

 二人はシーロム通りの方に腕を組んで歩いていった。

 シーロム通りではいつものように屋台が準備し始めている時間帯で、狭い歩道に所狭しと屋台が並び、おまけに土曜日ということもあってか観光客も多く、二人は腕を組んで歩けるような状態ではないので自然に前と後に別れて歩くことになった。

 途中で若い男が軽く腕をつかんで 「シャチョウ、セクシーVCD、ドウデスカ」 と日本語で声をかけてくる。

 日本人はよほどセクシーVCDをよく買うのだろうか。

 哲也は軽く腕を引き離して「マイ・アウ(いらない)」 と言って断り前に進んだ。

「ソコです。《バナナ》はソコの二階です」

 後ろからオーにそういわれて哲也はそこで立ち止まった。

 前に立ってみると確かに見覚えのある店だった。二人は二階に上がっていった。

 店の中に入りテーブル席に座ると二人はシーロム通りの混雑から抜け出られてほっとした。

「ココおぼえてナイですか?」

「憶えてる、憶えてる。去年確かにここに来たことあったね。思い出したよ」

「そうですか。ヨーカッタです。ナニのみますか?ビールでいいですか?ハイネッケン、それともビアシンですか?」

「ビアシンでいいよ」

 オーは注文を聞きに来たウェイトレスにまずシンハー・ビールの大ビンを一本注文した。

「ナニかたべたいものアリマスカ?」

「料理の名前が解らないから君に任せる」

「そうですか」

 哲也はタイの料理は決して嫌いなわけではなかったが、言葉と同じで料理の名前がなかなか覚えられないので、一人のときはまずタイレストランに来ることはない。

 オーはメニューを見ながら二,三品名前のわからない料理をウェイトレスに注文したみたいだった。

「キョウはガッコウに行きました」

 オーはそう言って手に持っていた大学ノートを開き、

「これ今日ベンキョウしたところです」 と言ってそのノートを哲也に見せた。

 哲也が見てみると、ノートには鉛筆で小さな文字がびっしりと書かれていた。

 よく見るとひらがなとローマ字とタイ語の三種類の文字がかかれている。

 オーは日本語の勉強をするのがすごく好きみたいで、毎週学校に行くのをいつも楽しみにしているようだ。

 昔勉強をしたかったのだが、家が貧乏だったので大学はおろか高校にもいけなかったと残念そうに哲也に話していたことがある。

 だからかどうかわからないが、三十を過ぎた今、学校に行って勉強ができることが嬉しくてしょうがないと言う感じなのだ。

 そして日本語を話すこと自体も楽しくてしょうがないといった感じだ。

 哲也と話す時も殆どタイ語は使わないで、日本語で通そうとしている。

 そしていつもそのノートを持ち歩いていて、わからない日本語を哲也が使ったりするとその意味を聞き、すぐにノートにメモするほど勉強熱心だ。

 オーはその日本語学校に月二千バーツ払っているらしい。

 本当は週二回のコースに行きたいのだがそれでは月四千バーツになるのでちょっと無理だからと週一回コースで我慢していると以前に聞いたことがある。

「日本語の勉強は楽しいか?」

「はい、たのしいです。オーはキンベンですよ」

 今時の日本人が使わないような「勤勉」などと言う言葉まで知っている。

「あっはっは、勤勉か。そうだね、オーはすごく勤勉かもしれないな」

 オーはその後哲也からノートを取り上げ、少しページをめくってまた哲也に見せた。

 哲也がそこを見てみると、「五番街のマリー」という昔ペドロ&カプリシャスと言うバンドが歌っていた歌の歌詞がかかれていた。

「わたしこのウタすきです。テツヤは知っていますか?きょうオミセでイッショにうたいませんか?」

「こんな歌うたえるの?すごいねえ。いいよ、歌おう。でも何でこんな歌知ってるの?」

「ワタシのなまえホントウはマリーです。オーはニックネームでしょう。だからこのウタはワタシのウタです」

「ああそうだったの。そんなこと初めて聞いたな。でもその名前はタイ人の名前らしくないな」

「そうですね。でもホントウですヨ」 オーは嬉しそうにそういった。

「オーはやっぱりファランの血が混ざっているんじゃないの?」

 哲也は前からオーの顔はタイ人らしくないと思っていたのでそう聞いてみた。

「まざってないです。おとうさんもおかあさんもタイ人です」

「そうかなあ。じゃあおじいさん、おばあさんはどう?」 哲也はひつっこくまた聞いた。

「おじいさんはチュウゴク人です。デモは、おばあさんはタイ人です。フランスじゃないですヨ」

 オーは前から、ファランのことを何故かフランスという。まあファランの語源はフランスのことらしいから間違いではないのだが。

「デモは、フランスとよくいわれます」

 「デモ」という言葉のうしろに「は」をつけるのはオーだけではなく、タニヤに勤めるタイ人の女の特徴のようだ。

 哲也はオー以外の別の女からもそれは聞いたことがある。そうではないよと訂正してやってもいいのだが、なんとなく可愛いので哲也はそのままにしていた。

「そうだろうな。多分おじいさんよりもっと前にファランの血が混ざってるんだと思うよ」

 確かにオーの顔はタイ人とも違うし、だからと言って日本人や中国人とも少し違う。白人の血が少し入っているように見える。

 その上にタイ語を殆ど喋らないから、哲也はタイ人の女と付き合っているような実感がない。

 それがあえて言えばオーのちょっと物足りないところかもしれない。

 しかし哲也は自分がタイ語を喋れないのだから、そんなことはないものねだりの贅沢な要求だと言うことも良くわかっていた。

 それに店などで他の女の子と喋る時は、オーも当然のことながら流暢で早口なタイ語で喋るので、オーもやっぱりタイ人なんだとちょっと不思議な感じがするほどだ。

「そうかもしれないです」

 オーのその一言でその話題は一応終わった。そんな話をしているうちに料理が来たので二人は食事を始めた。

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2008年4月 5日 (土)

「イミテーション・ラブ」-10

2 佐野の家庭

「山口さんが今日から会社に来てくれたのでちょっと安心したよ」

 佐野はその晩家に帰って夕食を食べながら、哲也のことを自分の妻のレックに話した。

 レックはまだ哲也に会ったことは無いが、話は佐野からいつも聞かされていたので名前だけはよく知っていた。

「そう、よかったわね。ヤマグチさんはいい人なんでしょう」

「ああ、あの人が来てくれればかなり安心だ。今日は社長にも紹介したし、社長も喜んでくれていたよ」

 佐野はそうレックには言ったものの、まだひとつだけ気懸かりなことがあった。それは今度のプロジェクトは大きすぎるので、いかに哲也でも一人では無理だろうと言うことだ。

 ノムという優秀なタイ人のデザイナーがいるものの、最低もう一人くらいは日本人デザイナーが必要なのではないだろうかと佐野は考えている。しかし適当な日本人が見つからない。

 前から何人かの日本にいる知り合いを通じてそういう人を探してはいるのだが、みんな今やっている仕事があるので抜けられないとか、外国で仕事をするのは嫌だとか言ってなかなか来てくれない。

 それに助っ人が二人になると、助っ人同士の相性というものもある。

 相性が良くないとお互いフリーなだけに簡単にバラバラになってしまう可能性がある。

 バラバラになってしまうとプロジェクトと言うのは簡単に崩壊するというのは佐野には充分分かっていた。

 これはやっぱり山口さんに直接相談を持ちかけた方がいいかも知れないな、近いうちにその辺を山口さんに話してみようと佐野は思った。

 佐野はバンコクに来て今年でちょうど十年になる。早いものだ。あの時はまさかこんなに長くこの国にいるとは考えてもいなかった。

 十年前佐野はまだ独身で、哲也と同じ内装会社の社員だったのだが、バンコク支店にそれまでいたゼネラルマネージャーが突然会社を辞めるというので、その後釜として転勤を命ぜられたのだ。

 佐野が三十二歳の時だった。独身と言うこともあり、タイ語が少しできるというのでその話はすんなりと決まった。

 佐野は大学を卒業してから二年ほどバンコクに住んだ経験があるから、少しだがタイ語が話せたのだ。

 バンコク支店とはいっても、日本人は佐野ともう一人福田という二十代後半の男で現地採用のデザイナーがいるだけで、あとはタイ人の女性事務員とメイバーンのおばさんと運転手が一人いるだけの総勢五人の小世帯だった。

 佐野がバンコクに来て三ヵ月後、たまたま日本レストランの内装仕事の依頼が、ある日本人を通してあった。

 普段の小さい仕事なら福田がこなすか、タイの別の日系の業者に頼んだりするのだが、その仕事はちょっと難しい仕事だったので東京の本社にデザイナーの依頼をしたら哲也がやって来たのだ。

 佐野はそれまで哲也の顔は知っていたが、一緒に仕事をする機会はなかったので殆ど話をしたこともなかった。しかし話してみると結構気さくで面白い人だったので意気投合した。

 哲也はテキパキと仕事をこなし、そのレストランは殆ど問題なく予定通りオープンすることが出来た。

 施主にも喜んでもらえたし、仲介に立った日本人にも感謝された。利益も予想以上に出すことができた。そのおかげで佐野は本社でもそこそこ評価される存在になった。

 哲也はその時三ヶ月ばかりバンコクにいたが、そのプロジェクトが終わった後は日本に帰ってしまった。

 佐野はその仕事の後、少し暇になったのでスクムビットにある日本人向けのタイ語学校に通った。

 佐野はタイ語が少し喋れるとはいえ、それで仕事をしようとすると自分のタイ語ではまだまだ不充分だとその頃痛切に感じていたからだ。

 そのタイ語学校で事務をしていたのが今佐野の妻になっているレックだ。

 レックはその当時まだ大学生だった。大学で日本語を勉強していて、たまたまその日本語学校でアルバイトをしていたのだ。

 その年のクリスマスパーティで二人は親しくなり、話はとんとん拍子で進み翌年の五月に結婚した。

 佐野の両親はタイ人と結婚することに少し戸惑ったが、あえて反対するほどではなかった。

 レックの両親も同じで自分の娘が外国人と結婚するのを少し心配したが、佐野の真面目で熱心な態度を見て娘の意志に任せた。

 結婚式と披露宴はレックの田舎のチョンブリで行い、その後二人で新婚旅行を兼ね日本に帰り、ついでに学生時代の友達などを呼び横浜のホテルで披露宴もした。

 その時佐野は哲也も招待したが、哲也は仕事の都合でどうしても来られなかった。哲也はその時九州のある百貨店の改装で長期出張をしていたからだ。

 佐野はそれから二年後今の会社に移った。

 東京の本社の雲行きが怪しくなってきて、バンコク支店を閉めるから、東京に帰ってこいという話になったのだ。

 佐野は迷ったが前の年に子供も生まれていたし、レックのことも考えると、日本には帰りたくなかった。

 迷った末佐野はタイに残る道を選んだ。

 幸い以前から仕事を通じて知っていた今いる日系の設計会社の社長が、佐野のその仕事振りを充分知った上で、営業部長として迎えるから来てくれないかと言ってくれたのでその話に乗ったのだ。

「一度機会があれば山口さんと一緒に食事でもしたいですね」

 レックは佐野にタイ語でそう言った。

「そうだね。そのうち家に招待してもいいし、何処かに食べに行ってもいいしな。是非そうしよう」

 佐野は自分自身にも言い聞かすようにそう答えた。

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2008年4月 4日 (金)

「イミテーション・ラブ」-9

第二章 契約

1 仕事始まる

 翌朝哲也は七時半に起き、昨日《フジスーパー》で買っておいたサンドウィッチと牛乳で簡単な食事を済ませた後、タクシーを拾ってエカマエ通りにある佐野の会社に向かった。

 佐野にあらかじめ簡単な地図を描いてもらっていたので会社はすぐ見つかった。

 エカマエ通りに面した近代的なビルの中の五階にその事務所はあった。

 入り口の受付で女の子に名前を名乗ると佐野がすぐ出てきた。佐野はそのまま奥の社長室に哲也を連れて行き、社長に哲也を紹介した。

 社長は哲也より幾分年上の日本人で、感じのいいスマートな紳士だった。

「始めまして。よくきていただきました。藤川です。よろしくお願いします」

 藤川はそう言って哲也のほうに右手を差し出してきて握手を求めた。

「始めまして、山口です。こちらこそよろしくお願いします」

 哲也もそう挨拶を返して藤川と握手に応じた。

 藤川は応接セットに哲也を座るように手で合図をした後、自分もソファに座り取りあえずという感じでタバコに火をつけながら

「佐野君の話によると、山口さんはタイにはこれまで何回かこられているらしいですね」 と聞いてきた。

「そうですね。七、八回目という所ですね」

「そうですか。それではタイ語は結構大丈夫ですか」

「いえいえ、喋れるなんてもんじゃないです。単語をいくらか知っているという程度で会話なんてもんじゃないです」

「ははは、そうですか。まあそれに関しては通訳もいますので安心してください。私もタイにはもう二十年近く住んでいますが、まだ充分には喋れませんね」

 そんなとりとめもない話をした後、今回日本から哲也を呼ぶきっかけになったプロジェクトの大まかな説明をひと通り藤川から受けてから哲也と佐野は社長室を出た。

 そして佐野の案内で哲也がこれから仕事をする部屋にいった。

 百へーべくらいの部屋に十人分くらいの机が並んでおり、それぞれの机に男女半々くらいの割合でタイ人スタッフが座って仕事を始めていた。

 みんな二十代から三十代前半くらいの若いスタッフばかりだ。

 佐野はその中を通り一番奥の窓側の席に哲也を連れて行き、

「ここが山口さんの席です」 と教えてくれた。

 タイ人スタッフを管理するような位置にそれはあった。

 大きな机とその横にパソコンを置いたテーブルもL字型に並んでいた。次に佐野はその横の席に座っている日本人らしき若い男の前に哲也を連れて行き、哲也を紹介した。

「杉山君、この人が日本から応援に来てくださった山口さんだ。山口さん、彼が通訳の杉山君です。」

「杉山です。よろしくお願いします」

 杉山は少し緊張した面持ちで席から立ち上がり哲也に向かって挨拶した。ひょろっと背の高い三十前の人のよさそうなタイプだ。

「山口です。よろしくお願いしますね」 哲也もそう言って挨拶を返した。

「彼は一応通訳ですが、雑用でも何でもいいですからこき使ってもらって結構です」 佐野がそう言ったので

「そうです。何でも言ってください。お願いします」 杉山も哲也に向かって深く頭を下げた。

「君の席は何処にあるの?」 哲也は佐野のほうに向かってたずねた。

「私の席はあちらにあります」

 佐野はそう言って哲也をパーテーションで区切られた奥の別室に案内した。

 その部屋にはドアはなく、十畳くらいの広さで机が二つあり、ひとつは佐野の席らしく、もうひとつの席には佐野の秘書のようなタイ人の若い女性が一人座っていた。

 佐野はその女性にも哲也を紹介した後、又哲也の席に戻り、タイ人スタッフをみんな集め哲也を紹介した。

 そして最後にスタッフの中では比較的年長らしいタイ人を特別に紹介した。

「彼が設計のチーフのノム君です。山口さんは彼に指示を流してくれれば、彼がスタッフに伝えてくれますし、上がってきた図面もチェックしますから」

 佐野はそうノムを紹介した。ノムは三十そこそこの感じで、いかにも仕事が出来そうなしっかりした表情をしている。笑顔でワイをして哲也に挨拶をした。

「じゃあ、私は全て彼に何でも言えばいいんですね」

「そういうことです。彼はしっかりしていますからきっと山口さんの片腕になるでしょう」

「そうか、それは助かるな」

「それではまあ今日は一日目ですから、ゆっくり図面でも眺めていてくださいよ」

 佐野はその言葉を残して自分の席に戻っていった。

 哲也も自分の席に付き、与えられたA3サイズに縮小した図面をゆっくり見始めた。

 図面を眺めながら哲也はいよいよタイでの仕事が始まったのを実感した。

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