「イミテーション・ラブ」-30
7 衝撃の事実
設計の締め切りを二ヵ月後に控えて、哲也たちの仕事も佳境に入ってきた。毎日遅くまで残業が続いた。
タイ人スタッフ達もよく頑張ってくれる。残業もあらかじめ言っておけば嫌がることなくやってくれるし、休日出勤だって厭わずにやってくれる。
それにはノムのリーダーシップの功績も大きいが、この事務所全体の仕事に取り組む姿勢、雰囲気が前向きなのがやはり一番大きく影響しているのだろう。
毎日早くて夜中の九時。十一時になることもしょっちゅうだった。
哲也も柴田も時にはノムに任せて早めに帰るときもあるが、殆どは彼らと行動をともにした。
そう言う事が彼らの志気に大きく影響することは哲也も充分理解していたので、柴田とも相談しながら出来るだけ彼らと同じ時間をともに過ごそうと勤めたのだ。
哲也はその忙しさの中で、オーに対する疑念は少し薄らいでいた。と言うよりもそんなことを考えている精神的な余裕を失くしていた。
七月に入って最初の水曜日の夕方、珍しく佐野が哲也の席に来て、久し振りに一緒に食事をしませんかと誘ってきた。
この日も忙しくて、とても夕方に帰れるような状態ではなく、その日も残業する予定だった。
しかしここのところ佐野とも久しくゆっくり話す機会もなかったので、哲也は柴田に相談して佐野に付き合うことにした。
「どうぞどうぞ。私が残りますから、山口さんは心配なく佐野さんに付き合ってあげてください」 柴田は気持ちよく言ってくれた。
哲也と佐野は七時に連れ立って会社を出、タクシーでスクムビット二十六にある居酒屋に行った。
「山口さんとこうやって一緒に飲むのもなんか久し振りの感じですよね」
生ビールで軽く乾杯した後佐野が切り出した。
「そうだね。ここ暫くはばたばたしていたから、私自身こうやってこんな時間から飲むのは久し振りだよ」
「すみませんねえ。本当に。毎日遅くまで仕事やってもらって。でもお蔭様でだいぶ先が見えてきた感じになりましたね」
「まあこれが私の仕事だからどうってことはないよ。あとは時間が解決してくれると思う。後二ヶ月かな」
「そうですね。もう少しなのでお願いしますね。ところで山口さん、まだ《ピエロ》のオーさんとは付き合っていらっしゃるんですよね」
佐野はいきなり話題を変えてきた。
「付き合ってはいるけど、このところ忙しいからなかなか会う機会もないけどね。それがどうかしたの」
「いえいえ、別にどうもしないんですけど、ちょっと気になることがあったもんですから」
佐野は言いにくそうに言った。
「なんだよ、そこまで言ったら気になるじゃない。ちゃんと最後まで話してよ」
「そうですよね。こんな言い方をしたら気になりますよね。わかりました。じゃあちゃんとお話します。
実は先週の日曜日、女房と一緒に《ザ・モール》のスーパーに買い物に行ったとき、オーさんを偶然みたんですよ」
「うん、それで?」 哲也が相槌を打った。
「かなり近くで見たので恐らくオーさんに間違いはないと思うのですが、話したわけでもないのでひょっとしたら人違いだったかもしれません。オーさんは何処に住んでるんでしたっけ?」
「ラムカムヘンだ」
「だったらやっぱり間違いではないでしょうね。その時オーさんは独りじゃなくて、三人一緒でした」
「三人?」
「そうです。三人でした。一人は中学生くらいの女の子。もう一人は男でした」
「男?だれだろう。女の子は多分娘だと思う。男っていうのはどんな奴だった?」
「そうですねえ、背の高い四十歳位のわりといい男でした。ちょっとファラン(白人)の血が混ざったようなハンサムな男でしたよ」
哲也はそれを聞いて一瞬ぎくっとした。
「ええーっ、ほんと。それで向こうの方は君に気がついたの?」
「多分気がつかなかったと思います。いかにも家族と言う感じで、こちらもなんとなく入っていけないような雰囲気でしたから、あえて声もかけなかったんですが、山口さんはオーさんに旦那と子供がいるってことはご存知でしたか?」
「十二歳の娘がいるって事は前から聞かされていたんで知っていた。しかし旦那の方は確か子供が生まれる前に交通事故にあって死んだ、と言う話だった。それが本当は生きていたというのは驚きだなあ」
「なぜそう思われるんですか?だって別の男かもしれないじゃあないですか」
「いや、多分その男に間違いはないだろう。オーの話によると旦那はファランとのハーフで自分より十歳以上年上だ、と言っていたから。
だからその男に間違いないと思うね。しかしびっくりだなあ。旦那が生きていたとは」
哲也は本当に心底から驚いた様子だった。
「そうなんですか。だったら間違いなさそうですね。ちょうどそんな感じでしたから。しかし私は余計なことを言ってしまいましたかね」
佐野は哲也の気持ちを想像してそう訊ねた。
「いやいや、言ってくれて感謝してるよ。実はこのところずっと少し変だと思っていたんだよ。どうもおかしいなと、もやもやしていたんで、かえってこれですっきりした感じだ。どうもありがとう」
「お礼を言われても困るんですが、本当に良かったんですかねえ。こんなことをお話して。大丈夫ですか?」
「うん、まあ死んでいると思っていた奴が実は生きていたとまでは私も想像していなかったんで、そう言う意味ではちょっと意外で驚いたけど、別に大丈夫だよ。
もともと最後まであいつの面倒を見てやれるわけでもないわけだし、どこかで別れが来るわけだから、あいつだってそれなりにいろんなことを考えて計算はしているだろうから」
「そうでしょうね。で、山口さんはこれでオーさんとはもう別れるつもりですか?」
「いやいや、それはまだ分からないな。しかし私とすればあいつに男がいようがいまいがある意味では関係のないことだ。まあいないほうが嬉しいことは確かだけどね。
私にだって妻はいるわけだから、相手にだけにそれを求めるというのも身勝手だと思うよ。だからたとえ男がいたとしても私をうまく騙してくれさえすればそれでいいと思っている。
そうすれば私はあいつを追及するつもりもないし、知らない振りをするつもりだ。所詮こんなものはラブゲームにすぎないんだからさ」
「そんなもんですかねえ。私にはちょっとわかりにくい話ですが」
「そうかい。でもそんなもんだよ、こういうことは」
哲也はそう言って出来るだけ冷静さを装った。


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