フォト

「イミテーション・ラブ」第四章

2008年4月25日 (金)

「イミテーション・ラブ」-30

7 衝撃の事実

 設計の締め切りを二ヵ月後に控えて、哲也たちの仕事も佳境に入ってきた。毎日遅くまで残業が続いた。

タイ人スタッフ達もよく頑張ってくれる。残業もあらかじめ言っておけば嫌がることなくやってくれるし、休日出勤だって厭わずにやってくれる。

 それにはノムのリーダーシップの功績も大きいが、この事務所全体の仕事に取り組む姿勢、雰囲気が前向きなのがやはり一番大きく影響しているのだろう。

 毎日早くて夜中の九時。十一時になることもしょっちゅうだった。

 哲也も柴田も時にはノムに任せて早めに帰るときもあるが、殆どは彼らと行動をともにした。

 そう言う事が彼らの志気に大きく影響することは哲也も充分理解していたので、柴田とも相談しながら出来るだけ彼らと同じ時間をともに過ごそうと勤めたのだ。

 哲也はその忙しさの中で、オーに対する疑念は少し薄らいでいた。と言うよりもそんなことを考えている精神的な余裕を失くしていた。

 七月に入って最初の水曜日の夕方、珍しく佐野が哲也の席に来て、久し振りに一緒に食事をしませんかと誘ってきた。

 この日も忙しくて、とても夕方に帰れるような状態ではなく、その日も残業する予定だった。

 しかしここのところ佐野とも久しくゆっくり話す機会もなかったので、哲也は柴田に相談して佐野に付き合うことにした。

「どうぞどうぞ。私が残りますから、山口さんは心配なく佐野さんに付き合ってあげてください」 柴田は気持ちよく言ってくれた。

 哲也と佐野は七時に連れ立って会社を出、タクシーでスクムビット二十六にある居酒屋に行った。

「山口さんとこうやって一緒に飲むのもなんか久し振りの感じですよね」

 生ビールで軽く乾杯した後佐野が切り出した。

「そうだね。ここ暫くはばたばたしていたから、私自身こうやってこんな時間から飲むのは久し振りだよ」

「すみませんねえ。本当に。毎日遅くまで仕事やってもらって。でもお蔭様でだいぶ先が見えてきた感じになりましたね」

「まあこれが私の仕事だからどうってことはないよ。あとは時間が解決してくれると思う。後二ヶ月かな」

「そうですね。もう少しなのでお願いしますね。ところで山口さん、まだ《ピエロ》のオーさんとは付き合っていらっしゃるんですよね」

 佐野はいきなり話題を変えてきた。

「付き合ってはいるけど、このところ忙しいからなかなか会う機会もないけどね。それがどうかしたの」

「いえいえ、別にどうもしないんですけど、ちょっと気になることがあったもんですから」

 佐野は言いにくそうに言った。

「なんだよ、そこまで言ったら気になるじゃない。ちゃんと最後まで話してよ」

「そうですよね。こんな言い方をしたら気になりますよね。わかりました。じゃあちゃんとお話します。

 実は先週の日曜日、女房と一緒に《ザ・モール》のスーパーに買い物に行ったとき、オーさんを偶然みたんですよ」

「うん、それで?」 哲也が相槌を打った。

「かなり近くで見たので恐らくオーさんに間違いはないと思うのですが、話したわけでもないのでひょっとしたら人違いだったかもしれません。オーさんは何処に住んでるんでしたっけ?」

「ラムカムヘンだ」

「だったらやっぱり間違いではないでしょうね。その時オーさんは独りじゃなくて、三人一緒でした」

「三人?」

「そうです。三人でした。一人は中学生くらいの女の子。もう一人は男でした」

「男?だれだろう。女の子は多分娘だと思う。男っていうのはどんな奴だった?」

「そうですねえ、背の高い四十歳位のわりといい男でした。ちょっとファラン(白人)の血が混ざったようなハンサムな男でしたよ」

 哲也はそれを聞いて一瞬ぎくっとした。

「ええーっ、ほんと。それで向こうの方は君に気がついたの?」

「多分気がつかなかったと思います。いかにも家族と言う感じで、こちらもなんとなく入っていけないような雰囲気でしたから、あえて声もかけなかったんですが、山口さんはオーさんに旦那と子供がいるってことはご存知でしたか?」

「十二歳の娘がいるって事は前から聞かされていたんで知っていた。しかし旦那の方は確か子供が生まれる前に交通事故にあって死んだ、と言う話だった。それが本当は生きていたというのは驚きだなあ」

「なぜそう思われるんですか?だって別の男かもしれないじゃあないですか」

「いや、多分その男に間違いはないだろう。オーの話によると旦那はファランとのハーフで自分より十歳以上年上だ、と言っていたから。

 だからその男に間違いないと思うね。しかしびっくりだなあ。旦那が生きていたとは」

 哲也は本当に心底から驚いた様子だった。

「そうなんですか。だったら間違いなさそうですね。ちょうどそんな感じでしたから。しかし私は余計なことを言ってしまいましたかね」

 佐野は哲也の気持ちを想像してそう訊ねた。

「いやいや、言ってくれて感謝してるよ。実はこのところずっと少し変だと思っていたんだよ。どうもおかしいなと、もやもやしていたんで、かえってこれですっきりした感じだ。どうもありがとう」

「お礼を言われても困るんですが、本当に良かったんですかねえ。こんなことをお話して。大丈夫ですか?」

「うん、まあ死んでいると思っていた奴が実は生きていたとまでは私も想像していなかったんで、そう言う意味ではちょっと意外で驚いたけど、別に大丈夫だよ。

 もともと最後まであいつの面倒を見てやれるわけでもないわけだし、どこかで別れが来るわけだから、あいつだってそれなりにいろんなことを考えて計算はしているだろうから」

「そうでしょうね。で、山口さんはこれでオーさんとはもう別れるつもりですか?」

「いやいや、それはまだ分からないな。しかし私とすればあいつに男がいようがいまいがある意味では関係のないことだ。まあいないほうが嬉しいことは確かだけどね。

 私にだって妻はいるわけだから、相手にだけにそれを求めるというのも身勝手だと思うよ。だからたとえ男がいたとしても私をうまく騙してくれさえすればそれでいいと思っている。

 そうすれば私はあいつを追及するつもりもないし、知らない振りをするつもりだ。所詮こんなものはラブゲームにすぎないんだからさ」

「そんなもんですかねえ。私にはちょっとわかりにくい話ですが」

「そうかい。でもそんなもんだよ、こういうことは」

 哲也はそう言って出来るだけ冷静さを装った。

純文学小説 - 小説ブログ村

2008年4月24日 (木)

「イミテーション・ラブ」-29

6 オーの秘密

 いつものように店が終わったあと、オーはゲェと一緒にタニヤの中ほどにある屋台にいた。

「この間テツヤと逢った時、あのひと私が浮気しているんじゃないかと冗談ぽく言ってたけど、本当は結構疑っているみたいなのよ。どうも本気で疑っているような気がするわ。

 私がおじいちゃんのお客さんと同伴しただけよ、と説明したら、一応納得はしたみたいだけど、本当に納得したかどうかはちょっと疑問ね」

「何か感づいているのかしらね?」

「そうかもしれない。五月の始めの頃は吉村さんの事もあって、あの頃大分ほったらかしていたからね。でもまさか彼が生きていて、今一緒に住んでいるとまでは思ってないでしょうね」

「彼は自動車事故で死んだということになっているんでしょ?」

「そう。そう言っておいたほうが安心するでしょ。それにあの頃は本当に死んだみたいなものだったんだから。子供をつくるだけつくって何処かに行ったきり、何の連絡もなく十年以上も音信普通だったんだから、死んだも同然でしょ?」

「そりゃあそうね」 ゲェが相槌を打った。

 一応ゲェには何日か前に、彼が帰ってきたと言う話だけはそれとなくしてあったのだ。しかし詳しい話をするのは今日が初めてだった。

「だからアリサにだってずっとお父さんは事故で死んだと言ってあったんだから。それがまさか十何年もたってから急に現れてくるなんて、私にも予想できなかったわ」

「ひどい話ね、それって。それで、あなたは彼を許したの?」

「初めは絶対許せないと思ったわ。三月の初め頃だったかしら。突然電話がかかってきて一度会いたいと言って来たの。でも絶対に会わなかった。

 それでもひつっこくかかってくるので、本当に一回だけだったらということで一度会ったの。それが四月の終わり頃だったかしら。そしたら今度は娘にひと目でも良いから会わせてくれと言い出してきたの。

 でもあなたは死んだことになっているから駄目と断ったんだけど、何回も何回も頭を下げて頼まれているうちにだんだん可哀想になってきて、じゃあ一回だけよという気持ちになってしまったの。でも娘にどう言ったらいいか分からずに暫く悩んだわ」

「それでどう言ったの?」

「さんざん悩んだ末に、やっぱり正直に話すのが一番いいと思って、ある日正直に話したの。それを聞いて娘は泣いたわ。泣いて泣いて涙が枯れるほど泣いた後、会いたいと言ったの」

 少し間をおいてからオーはまた話し続けた。

「難しい年頃だからね。そして三日後に彼と会った。会ったときアリサは思い切り彼の胸をたたいてまた泣いた後、しっかりと抱き合った。彼もアリサを抱きながら泣いていた。そして本当に詫びていた」

「それで一緒に住むようになったわけ?」

「ううん。その時は一旦帰ったわ。でもまた一週間したら現れた。アリサもやっぱり寂しかったのかもしれないわね。お父さんが生きていると分かったら、やっぱり一緒に住みたいと思い始めたのかもしれない」

「で、あなたはどうなのよ。もう許す気になったの?」

 ゲェはさらに突っ込んでたずねた。

「さっきも言ったけど、初めは絶対に許せないと思った。でもアリサのことを考えるとやっぱりあんな父親でもいてくれたほうがいいかしらと思い始めたの」

「彼はこの十年間何処で何をしてたの?」

「バンコクに働きに来ていたチェンマイの女と一緒にチェンマイに帰り、向こうで暮らしていたらしい」

「子供はいたの?」

「いなかったらしいわ」

「その女とは本当に別れたの?」

「そう言ってた」

「彼はそれで今何してるの?仕事はしてるの?」

「ううん、まだ何もしてない。でもするとは言っている」

「それじゃあヒモと同じじゃない。そんなのやめた方が良いよ。又何時いなくなるかわかったもんじゃないよ。もうタイ人の男なんてこりごりだって言ってたのはあなたじゃなかったの?

 あなたも人がいいのもほどほどにしておかないと本当に大変なことになるわよ。私だったら絶対に許さないと思うわ」

 そう言ってゲェは強く反対した。

「分かってる。それはわたしも充分分かってるつもりよ。でもどうしても別れられない。頭では分かっていてもアリサのことを思うと何処かに消えてとはとても言えないの。だから別れられない」

 オーは泣きそうな顔でそう言った。

「馬鹿ねえ。あなたって、本当にどうしようもない人ねえ・・・・それでテツヤはどうするつもり?」

「どうしたらいいと思う?私もそれで悩んでいるの。あの人もいい人だけど、日本には奥さんもいるし子供もいる。

 私のことを本気で一生面倒見ようと思うってくれているわけでもなさそうだし。でもだからと言ってあの人の援助がなかったら今や私も生活できない。アリサもいるし彼もいる。私はどうしたら良いか分からない」

「まあ当分の間はそのままにしておくしかないわね。彼が本気で働き始めるか見極めてから結論出しても遅くはないんじゃないの。それまではなんとかテツヤにはごまかし続けるしかないと思うわ」

「やっぱりそうかしら。取りあえずはそうするしかないのかなあ」

 ゲェのその言葉でこの件に関しては、なんとなくそのあたりに落ち着いてしまったようだ。

「ところであなたはどうなのよ。柴田さんとは上手くいってるんでしょ?」

 今度はオーがゲェに聞く番だ。

「そうねえ、今の所は順調よ。彼はまだ独身だし、私彼と結婚してもいいかなと思ってるの。そうすれば日本にもいけるし、お金持ちにもなれる。どう?」

「どうって、大体彼はそんな気あるの?」

「まだ何もそんな話はしたことないわ。でもうまくいけばそういうことも考えられるでしょう」

「まあね。でもあなた西野君とも付き合ってるんじゃないの。それに宮崎さんだっけ、あのおじいさん。あの人達からもサラリーもらってるんでしょ。どうするつもりよ。あの人たち」

「柴田さんが結婚してくれるなら、あんな人たちは別にどうだって構わないわ。もうサラリーも貰わなくてもいいし。日本から家族に仕送りをしてあげれば家族も喜ぶだろうし」

「でもそんなに上手くいくかなあ。それに仮に柴田さんと上手くいったとしても、日本に行けば行ったで、結構大変みたいよ」

 オーはさらに続けた。

「私の知り合いで日本人と結婚して日本に住んでいる人もいるけど、近所付き合いも大変みたいだし、それに日本人はタイ人の女をちょっと低く見ているらしいから、結構辛い目もしているらしいよ。特に日本人の女はタイ人の女をそういう目でみるらしいからね」

「そうね、その話はよく聞くわね。やっぱり結婚なんて考えないで、タイにいて適当に皆からサラリー貰っている方がいいかしら」

「その方がいいと思うよ」

 二人の女の話はこのあたりでなんとなくまとまったようだった。

純文学小説 - 小説ブログ村

2008年4月23日 (水)

「イミテーション・ラブ」-28

5 柴田の場合

「ところでどう。タイの生活はだいぶ慣れてきたとは思うけど、その後ゲェとはうまく行ってるの?」

 五月末のある日、エカマエ通りに面したタイメシ屋で、いつものように柴田とぶっ掛けご飯の昼食をとりながら、仕事の話が一段落した後哲也は柴田に尋ねた。

 いつもは一緒の杉山がその日はいなかったのでそういう話もしやすかったのだ。

「そうですね。まあ今の所はうまく行っていると思いますよ。週末にはいろいろ映画に行ったり、ボーリングに行ったりして結構楽しませてもらっていますよ。この間なんかあの娘の車でアユタヤまで行ってきました」

 柴田は飯をほおばりながらそう答えた。

「ああそう。それはよかったな。私もまだアユタヤには行ってないのに、先を越されてしまったな。でも長期だとやっぱり誰かそういう女がいないとつまんないからな。お風呂屋さんに行って処理するだけじゃあちょっと空しいだけだしな。良かったじゃない、いい娘が見つかって」

「そうですね。山口さんにはいいとこ紹介してもらって感謝してますよ。ほんとに」

「いやいや、そう言うつもりで言った訳じゃあないんだけどさ。ところで君は日本には彼女いなかったの?」

「結婚しようかと思っていた娘が一人いたんですけど、半年ほど前に振られちゃいまして、これでも結構落ち込んでたんですよ。もう女なんてこりごりだと思っていたんですが、お蔭様で何とか立ち直れましたよ」

 その話は哲也にとっても初めて聞く話だったが、あまり深く聞くのもどうかと思い哲也は話を変えた。

「そうだったの。ところでさあ、ゲェはどう?他に男はいそうにないか?タイの女というのはなかなかしたたかだからさ、あんまり安心しない方が良いよ。何人もの男を掛け持ちしている女も多いと聞くからな。ゲェなんて結構美人だし、愛想も良いからファンも多いんじゃあないの?」

「そうですかねえ。そんなこと言われたらちょっと心配になっちゃいますよ。山口さんの方はどうですか。彼女だって相当な美人ですよ」

「アハハ、あいつはもうおばあちゃんだからあんまり売れないと思うよ」

「そうですかねえ。僕はもてると思いますよ。それにゲェとは歳はひとつしか変わらないそうじゃないですか」

「えーっ、そうなの?じゃあゲェももう三十なのか?全然そうは見えないけどな」

「そうですよね。見えないですよね。僕もそれを聞いて驚いちゃいましたよ。でもオーだって見えないですよ。まして十二歳の娘がいるなんて誰も思わないですよ。だから山口さんだって、あんまり安心してちゃいけないんじゃないですか」

 柴田に言われるまでもなく、哲也もそのことでこのところちょっと頭を悩ましていたのだが、そんなことを柴田に言うのも情けないので黙っていた。

「そうだな。他人のことよりも自分のことを心配したほうがいいかもな」

純文学小説 - 小説ブログ村

2008年4月22日 (火)

「イミテーション・ラブ」-27

4 浮気旅行

 ゴールデン・ウィークは日本人観光客で一時的に賑わった《ピエロ》も、また元の暇な店に戻った。

 お客さんと言えば、チー・ママにハッパをかけられて女が電話を掛け捲ってなんとか同伴でつれてくる人ばかりで、それでも一日十人いればいいほうだった。

 だから毎日リクエストも、チー・ママの紹介も無く、コーラの無い日が幾日も続いた。

 店に出てきてもただ何もせずにお客さんを待っているだけの毎日は、オーにとってもつまらない毎日だった。

 二十人くらいの女が二階のソファで、おしゃべりをしながら何時来るかわからないお客さんをただ待っているだけの毎日だ。
 オーはゴールデン・ウィークの時の賑やかさを思い出して、もう一度あんなふうになってくれないかなと思った。

 あの時は、オーがこの店に来た年から毎年この時期に日本から遊びに来て店にも来てくれて、店に来ると必ずオーを指名してくれる人がいた。

 今年も一ヶ月も前から電話で予約をしてきて、その約束通り来てくれたので断る事も出来ず、哲也には悪いけれど、その人にずっと付き合っていたのだ。

 その人は歳は五十九歳で来年には会社を定年になると言っていた。名前は吉村と言いう。

 日本では結構大きな製薬会社の部長をしていると言う事で、普段はなかなか仕事を休む事は出来なくて、バンコクに来るのは一年に一回、いつもゴールデン・ウィークの時だけだ。

 吉村は白髪の上品な紳士だった。他の男のように助べえな話は一切せず、そのくせ面白い事を言ってみんなを笑わせるのが得意な人だった。

 金払いもよく、何時も何か買い物をしてくれるし、帰る時には千バーツのチップも弾んでくれる。だからオーにとっては一年に一回のお客さんとはいえ、貴重な固定客だった。

 過去二回はもう一人の友達と一緒だったが、今年は何故か一人で来た。

 今まではただ食事をしたり、買い物をしたりしてそのあとは店に同伴してもらったりしただけだったが、今年は少し違っていた。

 日本からの電話の時に、今回はどうしても一度フォアヒンに行ってみたいので一緒に行ってくれないかと執拗に口説かれた。

 一緒に行ってくれれば二万バーツのチップをあげる吉村は言った。

 二万バーツはオーにとっては大きなお金だった。それに断れば貴重なお客さんを一人失くす事にもなる。

 オーは迷ったが、その時は一晩考えさせてくださいと答えを保留した。吉村はすんなりと了解してくれた。

「いい返事を待ってるからね」 吉村はその時そう言って電話を切った。

 オーはその夜、考えに考えた。

 吉村はオーにとっては決して嫌な人でもないし、何と言っても二万バーツがおおきな魅力だった。

 たった二晩我慢すれば二万バーツが手に入るのだ。普通だったら二晩だったら良くてもせいぜい一万バーツだろう。

 哲也には悪いが、何か適当な嘘を言ってごまかせばいいのではないか、とオーは考えた。

 しかしそれはオーにしてみれば大きな賭けである事は間違いが無かった。もし万が一哲也にばれるような事があれば、哲也はもうサラリーはくれなくなるだろう。

 そうなると二万バーツどころの話ではなくなってしまう。

 オーはその夜迷いに迷ったが、やはり吉村の要求に答えることにした。

 オーは翌日もう一度電話をかけてきた吉村に、一緒に行きますと答えた。

「それじゃあホテルを予約しておくからね」 吉村は機嫌よく電話を切った。

 四月の末の夕方吉村はバンコクにやってきた。

 バンコクに着くなり吉村はオーの携帯に電話をしてきた。

 そしてその夜と次の日の夜は、いつものように食事をしたり買い物をしたりした後《ピカソ》に行き、二晩とも吉村は大人しくホテルに帰った。

 三日目の朝、オーは吉村とホテルのロビーで待ち合わせをした後タクシーをチャーターしてフォアヒンに向かった。

 フォアヒンでは超一流のホテルが予約してあった。オーはその夜吉村に抱かれた。それは覚悟の上の事だった。

 フォアヒンではオーは携帯の音を消していた。哲也からの電話があると、哲也にもまずいし、吉村にもまずいからだ。それでも時々吉村の眼を盗んで履歴を確認した。

 一日目の夜は哲也からの電話は無かった。しかし二日目の夜は何回も電話があったようだ。しかしその夜はなかなか電話をかけるチャンスが無かった。

 三日目のお昼前、ホテルをチェックアウトする前に吉村がシャワーをしている隙を見て、オーはベランダに出て哲也に電話を入れた。

 案の定哲也は少し疑っている風だった。しかし何とかごまかす事ができたので、哲也も少し安心したようだった。

 吉村はその日の夜、バンコクにもう一泊して、また一緒に《ピカソ》に同伴してくれて、その夜は大人しく一人でホテルに帰り、次の日の昼間の便で上機嫌のまま日本に帰っていった。

 だからオーはその夜アパートに帰ったが、翌朝またホテルまで迎えに行き、吉村を空港まで送った。

 それで吉村に関しては何とか無事に哲也にもばれずに済んだが、オーには少し哲也に対する罪の意識が残った。

 しかしオーにはそれだけではないもうひとつの秘密が残っており、そちらの方がどちらかと言うと気になっていた。

純文学小説 - 小説ブログ村

2008年4月21日 (月)

「イミテーション・ラブ」-26

3 空回り

「もしもし、オゲンキですか?イマどこですか」

「アパートだよ。オーこそ何処にいるの?」

「いまアリサとビューティサロンにきています」

「そうか?アパートの近くか?」

「そうですよ」

「ラムカムヘンは雨じゃないの?こちらはすごい雨だけど」

「そう?雨ふっていますか?こちらはふってないですね」

「そうなんだ。同じバンコクなのにちがうんだね。ところでどうしたの?何か用かい?」

「ベツにないですよ。テツヤのこえがききたかっただけです。今日おミセにいきますか?」

「そうだなあ、久し振りだから行ってもいいかな」

「そうですか。うれしいですね。じゃあいつものところでいいですか?」

「ああいいよ。じゃあいつものところで七時。それでいいかい?」

「いいですよ。それじゃあね。待ってますね」

 オーは電話を切った。

 七時少し前にタニヤプラザに着いたら、いつものようにオーは先に来て待っていた。

 二人はタニヤプラザの二階にある〈煉瓦亭〉という焼肉屋に入ることにした。

 席について改めてオーの髪形をみると確かにいくぶんか髪が短くなっている。いつもより首筋の辺りがすっきりしている感じだ。

「少し髪が短くなったね。すっきりした感じで良くなったよ」

「そうですか。テツヤに気に入ってもらってヨーカッタです」

 哲也は取りあえず、オーが今日ビューティサロンに行ったという話しは信じようと思った。

「この頃オーはあまり付き合ってくれないけど、忙しいの」

 哲也は気になっていることを短刀直入に聞いてみることにした。

「そんなにツキアイわるいですか?テツヤはさみしいですか?」

「さみしいよ。もう二週間もほったらかされてるんだからさ」

「そうですか。ごめんなさいネ。センシュウは日本からのお客さんブッキングでした。キンヨウビ、ドヨウビ、ニチヨウビ、まいにちドウハンしました」

「三日間も同伴して何してたの?まさかお客さんとパタヤかなんかに遊びに行ったんじゃないだろうね」

 哲也は冗談ぽく言ってみた。

「それはワルイ考えですね。キキワケがワルイですね。お客さんはおじいちゃんです。そんなところにはいきません。それに六人イッショです。ショクジ、イッショ。マッサー、イッショ。それだけです」

 その断定的な言い方を聞いて、哲也は少し安心した。

 〈またしても空振りか〉健二はそう思って、心の中にあった霧がスーッと晴れていくのを感じた。

「ほんと?ならいいけどさ。浮気でもしてるんじゃないかと思って心配でしょうがないよ」

「シットですか?だったらうれしいですネ。デモは、ショウガナイでしょ。しごとですから」

「分かってるよ。仕事だからね。でも男はみんなスケベーなんだからさ、本当に気をつけたほうがいいよ」

「わかっていますヨ。でもスケベーはテツヤがいちばんですね」

「ははは、そうか。俺が一番か?」

「そうです。テツヤこそウワキしていませんか?」 今度は反撃にあってしまった。

「オーにあんまりほったらかされると本当に浮気するかもしれないぞ」

 哲也はそう適当にごまかしたが、実は内心どきりとした。

 というのはオーにほったらかされた先週の日曜日、あんまり面白くないので久し振りにペプリ通りにあるお風呂屋さんに行ったからだ。

「わかりました。これからは気をつけます」

 お互いの浮気話はそれで一応取りあえず終わった。

その夜オーは哲也のアパートに来たが、やはりアリサが独りだと寂しがるからと言って夜中の三時頃自分のアパートに戻って行った。

 それに気のせいかも知れないが、オーのその時の反応も以前と比べると少し鈍いように哲也には思われた。

 だから健二の心の中のモヤモヤはまたしてもすっきりとは晴れなかった。

ブログランキング 純文学小説

2008年4月20日 (日)

「イミテーション・ラブ」-25

2 疑惑の芽生え

 空が張り裂けるのではないかと思えるほどの激しい雷が先程から断続的に続いている。

 日本の雷と違ってすぐ傍の何処かに落雷したのではないかと思えるほどの激しく大きな爆裂音だ。

 それに続いて雨も激しくなってきた。雨季に入った六月初めのある土曜休みの午後三時過ぎだった。

 哲也がアパートのベッドに横たわり、エルトン・ジョンの昔の音楽を聞いているときだった。

 激しい稲妻と雷の音に続いて、バケツをひっくり返したような激しい雨が降り始めた。いわゆるスコールと呼ばれる雨だ。男性的で激しい熱帯特有の雨だ。

 日本では絶対に観ることの出来ないほどの雨量だ。これほどの雨が空のどこにあるのだろうと思えるほどすごい雨だ。

 それにしてもあまりにも大きな雷の音に、近くの何処かに雷が落ちたのではないかと、哲也は思わず窓を開けベランダに出てみたが、何処にもそのような様子は無かったのでひとまず安心して部屋に戻った。

 ひょっとしたらバイヨーク・タワーの避雷針にでも雷は落ちたのかもしれないな。

 部屋に戻った哲也はベッドに仰向けになり、またエルトン・ジョン音楽に耳を傾けながらそう思った。

 哲也にはこの頃オーのことで少し気になる事があった。

 それは以前なら週末になると必ず哲也が誘えば逢ってくれたのに、この頃はお客さんの予約があるからとか田舎に帰るとか言って、二週間に一度も逢ってくれない事が何回か続いているからだ。

 その感じはソンクランが終わった四月の終わり頃から始まっていた。

 四月の終わりから五月にかけて今度は日本のゴールデン・ウィークが始まり、日本からの観光客が続々とバンコクを中心にしたタイにやってきたようだ。

 あれほど閑古鳥が鳴いていた《ピカソ》もそこそこ客が多くなったらしく、オーも連日同伴の予約でスケジュールは埋まっていると哲也との電話で話した。

「前から知っているお客さんなの?」 と言う哲也の問いにたいして

「シャチョウさんのショウカイのお客さんです。ふたりだけじゃないですよ。みんなで六人デス」

 オーはそう説明した。

 だから四月末から五月の初めにかけてのメーデーを含めたタイの三連休中も、忙しいからと言ってオーは哲也には付き合ってくれなかった。

 その連休が終わったすぐ後も、オーは従兄弟だか誰だかの葬式のために田舎に帰らなければいけないと言って、日本のゴールデン・ウィークはまだ続いていてお客さんも多いにもかかわらず、いつになく二日ほど休みを取りバンコクを離れてサラブリに帰ってしまった。

 哲也はオーが田舎に帰ったという次の夜に、どうしても気になり何度かオーの携帯に電話を入れてみたが、呼び出し音は鳴るものの、オーは出なかったし、その後向こうからも電話はかかってこなかった。 

 そんな事はそれまで一度も無かったので、哲也の疑惑は益々深まり、その夜哲也はあらぬ妄想でなかなか眠付けなかった程だった。

 しかし哲也のその疑惑はその翌日のオーの電話によりあっさりと否定された。

「何バカなこといっていますか。それはワルイかんがえです。わたしはいまサラブリです。ほんとうにいそがしくてケイタイ見ていませんでした。お客さんいっぱいでつかれました。明日バンコクに帰ります。またデンワしてくださいね」

 オーはそう言って電話を切ったので、健二はその時は自分の空回りかと思い、それなりにかなりホッとして、自分の女々しい考えを恥じ、少し心が軽くなるのを感じた。

 しかしその頃を境に娘が家で待っているからと言う理由で、哲也のアパートに泊まることもなくなってしまったし、相変わらずお客さんと同伴の予約があると言ってなかなか哲也の相手をしてくれない事が何回か続いたので、哲也の疑惑はまた復活した。

 哲也はオーにはやっぱり新しい男が出来たのではないだろうか、とかなり疑い始めていた。

 この日も哲也は(あいつも娘がバンコクに出てきたので、お金がかさむようになったのは間違いないだろう) とベッドで仰向けになり、エルトン・ジョンの歌に耳を傾けながらそう思った。

 哲也は毎月の初めに一万五千バーツをオーに渡している。それは為替レートで換算すれば四万五千円くらいに過ぎないが、タイ人の生活感覚からすれば、十五万円くらいの価値があるはずだ。

 それと店からもらうお金があれば、普通のタイ人だったら充分とは言えないにしても、そこそこの生活はできるはずだ、と哲也はそれまで思っていた。

 しかしもしかしたらそれではやっていけなくて、オーも時には男に身を売って臨時収入を得ているのではないだろうか、とこの頃哲也は疑い始めている。

 しかしそんなことを直接オーに聞くわけにもいかないし、例え聞いたところで正直なことを言うはずもない。

 そうであって欲しくないとは思うものの、もしかしたらという思いを打ち消すこともまた出来ず、哲也はこのところずっとモヤモヤとした日々を過ごしていた。

 仕事中も事あるごとにその想念が頭をよぎり、何か仕事に熱中できないでいた。

 オーだって普通のタイ人の女だ。お金のためなら簡単に身体を売ることはそれほど不思議なことでもないだろう。

 タイ人の女の言うことなんて簡単に信用しない方がいい、と言うのは少しタイを知っている日本人の男なら誰だって口にすることだ。

 オーの勤めているあの店は確かに連れ出し禁止の店だが、殆どの男はそれが目当てで店に通っていることは明らかだ。

 少しまとまったお金をちらつかされれば殆どの女は堕ちるに決まっている。

 しかしオーが他の男に抱かれていることを想像することは、哲也にとってはあまり愉快な想像ではない。だがそんなことも充分ありえる話しだと哲也は思っていた。

 哲也はオーと一生供に過ごしたいと思うほどオーに入れ込んでいるわけでもない、と自分では思っている。

 妻と子供を棄ててまでオーを愛しているとも思っていない。あくまで行きずりのラブゲームだと言う感覚はある。

 だからオーが例え他の男に買われても、とやかく言う資格は自分にはないと思っている。

 それ程のお金をオーに与えているわけでもないからだ。

 それにそもそもそんな事はありえる話として、最初から分かった上でオーとも付き合いだしたはずだ、とも哲也は思った。

 しかし一方ではそんな理屈とは別に、オーが他の男に抱かれている事を想像することは何か非常に辛いと感じている自分があることも哲也は気がついていた。

 〈この感情は一体何なのだろう?〉 健二がそんなことをモヤモヤと考えていたら携帯電話が鳴った。出てみると正にそのオーからだった。

ブログランキング 純文学小説

2008年4月19日 (土)

「イミテーション・ラブ」-24

第四章 疑惑

1 サキソフォンパブ

 五月半ばの夕方、シーロムに事務所のあるオーナー方の設計会社で打ち合わせをした後、哲也と佐野は設計会社の責任者二人を誘って六時半頃からタニヤの日本レストランで食事をした。

 相手は設計の管理をするオーストラリア人だった。

 その後哲也も佐野からクラブに誘われたが、ミーティングで疲れたこともあり、あまり気持も乗らないので、ちょっと都合が悪いからと言って断り、独りでBTS(高架鉄道)のサラディン駅までやって来た。

 金曜日の夜だったので、そのままオーの店に行くことも出来たのだが、都合が悪いと佐野に断った手前、タニヤ周辺でうろうろしている所をもし佐野に見られたりしてもまずいと思い、また金曜の夜は道も渋滞しているので、タクシーで帰るよりはBTSの方が早いと判断したのだ。

 しかしBTSに乗ってしまうと、もう少し酒を飲みたいなと例の酒の虫が騒ぎ始めた。

 このままアパートに帰ってしまうのはちょっともったいないなと思ったのだ。腕時計を見るとまだ八時にもなっていない。それに明日は久々の土曜休暇だ。

 BTSのサイアム・スクェアに着いて乗り換えの時、アパートに帰るには、普通はオンヌット方面に乗り、プロンポン駅で降りるのが一番いい。

 しかし哲也は逆のモーチット方面の電車に乗り替えた。

 なんとなくジャズが聞きたい気分で、それならアヌサワリにある《サキソフォン・パブ》に行きたいと思ったからだ。

 アヌサワリに着くと以前一度だけ来たことがある勘だけを頼りに、高架の遊歩道を降りた。そしてその勘が当たっていて、意外と簡単にその店にたどり着くことができた。

 店に入ってみると、まだ時間が早いためか広い店内に客はまばらで少なかった。

 店員に案内されて哲也はライブステージのある真ん前のカウンターに座り、ジャック・ダニエルのロックをオーダーした。

 ステージではタイ人らしくない顔をした結構ハンサムで知的な顔をした男が一人、アコースティックギターで昔のフォーク・ソングをやっていた。

 ジャズを聴きたいと思ってきた店ではあったが、哲也はその店がうまくジャズをやっているかどうかについては来る前から自信がなかった。

 前に来たときも、最初の方こそジャズをやってはいたが、途中からはラテン系の音楽に変わったからだ。

 南の国なのでラテン系の音楽も、それはそれで結構ぴったり来るところもあるので、そのときの哲也は、それはそれでいいと思った記憶がある。

 だから今日こんな早い時間にフォークをやっていても哲也からすればそれほど不満ではなかったし、これもまたいいじゃないかと思えた。

 ロックのようにうるさくもないし、演奏している曲自体も哲也が昔聞いたことのある曲ばかりだったので、結構いいと思った。

 そのフォーク・シンガーを真近くで見ながら、哲也はジャック・ダニエルのロックを二杯飲んだ。

 そして結構いい気分になったところで、そろそろ帰ろうと思い、近くにいるウェイトレスを手をあげて呼び、

「チェックビン・カップ(精算して)」と言った。

 ウェイトレスは素直にうなずいてどこかに消えてしまったのだが、なかなか戻ってこない。

 そのうちに次のグループがステージに現れ、演奏の用意をし始めた。

 哲也はまだコップに残っているウイスキーをちびりちびりと飲みながら請求書が来るのを待った。

 しかしなかなかこないので、周りを見渡して見たが、さっき声をかけたウェイトレスの姿が見当たらない。仕方がないので又ステージの方に目をやった。

 ステージでは五人のバンドマンが音あわせなどしていたが、ほぼ演奏の準備が整いつつあった。

 哲也が見る限り、タイ人と黒人のハーフであろうと思われるような色の黒いスキン・ヘッドで体格のいい男がリード・ギターで、これもパキスタン系とタイ人のハーフであろうと思われる男がベース・ギター、マレーシア系の顔をした男がエレクトーン、中華系の男がサイド・ギター、そして日本人らしき顔をした男がドラムの男ばかり五人編成だった。

 年恰好からしてもとてもジャズをやるようにも見えなかったので、哲也はそろそろ帰ろうかなと言う気になっていたのだ。

 しかし何時まで経っても女の子は伝票をもってこない。

 哲也が少しいらだち始めたら、新しいグループの演奏が始まる直前に、哲也の横から突然ウェイトレスの手がすっと伸びてきた。

 そして新しいジャック・ダニエルのロックを当たり前のようにテーブルの上にポンと置いた。さっきのウェイトレスだ。

 「ええ・・・?」 と言う感じで哲也はそれを持ってきたウェイトレスの方をふりかえったが、その時にはその娘はもうすでに少しはなれたところに行ってしまっていた。

 哲也はその瞬間「何だよ、これは・・・?」 と言う気にもなったが、あまりにも自然に新しいコップが置かれたものだから、わざわざこれは間違いだと言うのも何か野暮なような気がして、〈ここはタイだから・・・まあいいか〉と言う気持ちになった。

 そうしているうちに新しいバンドの演奏が始まった。始まったらすぐに彼らの演奏はブルースだということがわかった。

 哲也はブルースも嫌いではない。と言うよりもむしろ好きな分野だといってもいいほどだ。

 先ほどのアコースティック・ギターとは全然違う迫力があるし、それよりもなによりもすごくうまい。 

 哲也は次第にその演奏に引きずりこまれていった。その音楽にあわせて自然に体が動いていくのをどうすることも出来ない。

 〈いいじゃない!〉 哲也は心の中でそう叫んだ。

 さっきの女の子が間違ってくれたおかげでこんないいものが聴ける。

 ある意味では良かった。これも何かの縁かもしれない。哲也はそう思った。

 そのうちリードギターの男のボーカルが始まった。これもまたうまい。

 黒人独特の鼻にかかったようなしわがれ声ではないのが、哲也には少し不満だったが、それ以外は申し分がないほどいい感じだ。

 こうやって改めてブルースと言うものを生で聴いてみると、哲也の頭の中では、これまでブルースはジャズと比べて一歩低いところにある音楽だと言う認識があったが、ひょっとしたらそれはとんでもない間違った認識だったのかもしれないと思い始めた。

 哲也の中にはこれまでブルースと言うものはある一定のイメージしかなかったが、こうやって生で聴いてみると、音にも物凄いバラエティーがあるし、技術的にも奥深いものが一杯あることがわかった。

 それと比べるとジャズは、敢えて極端な言い方をすれば格好つけているだけの音楽かもしれないとさえ思った程だ。まあそれは極端だが・・・。

 ひょっとしたらブルースの方が自然で息の長い音楽なのかもしれないな、と思えるほど哲也はその時改めてブルースの良さを認識しなおした。

 哲也はすっかりいい気分になって、もう一杯ジャックを注文してしまった。

 結局哲也は四杯のロックを飲んですっかりいい気持ちで家路に着いた。

ブログランキング 純文学小説

2008年7月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31    

最近のトラックバック