「イミテーション・ラブ」-35
5 ジェーン
翌朝哲也は八時くらいに起き、シャワーだけして会社に出て行った。
部屋を出て行くときに「PLEASE DO NOT DISTURVE」という札をドアのノブに付けておくのだけは忘れなかった。
ここはサービス・アパートなので毎日メイ・バーンが掃除をしに部屋に入ってくる為、そのときにオーがいてはまずいと思ったからだ。
哲也を送り出した後、オーは又ベッドに潜り込み昼近くまでそこで寝た。
自分のアパートに帰ってもエアコンはないので、それがあるここの方が気持ちよく眠れるからだ。
特に今の季節は暑さになれたタイ人のオーでもちょっと我慢できないほど暑い。
オーはベッドの中で哲也のことを考えた。
テツヤはジェーンのことを少しは気づいているだろうか、と思った。
しかしお店のお客さんのことでは何か感じてはいるようだが、そこまで気づいているようには見えない。
ゲェがこの前言っていたように、このことはわざわざ言わない方が良いだろう。
哲也が気づかないことをわざわざ言った所で何のメリットもないだろう。
秘密を作ることはあんまり気持ちのいいものではないけれど、事が事だけにこんな事は知らないに越したことはない。
それにしてもジェーンはまたこの頃、何処に泊まっているのか帰ってこない事が多い。
どうせ又何処かの女と浮気でもしているのだろう。
浮気癖の付いた男というのは何処まで行ってもその癖は治らないとお母さんがよく言っていたけど、その話はやっぱり正しかったのかもしれない。
アリサのためだと思って一旦は家に入れたけれど、それはやっぱり間違いだったかもしれない。
オーがそんなことを考えていたら哲也から電話が入った。
「もしもし、今はまだ俺のアパートにいるの?」
「そうです。今起きたところです」
「そうか。まあゆっくりしたら良いよ。もしお腹が空いたら、台所の上の戸棚の中にインスタント・ラーメンが入っているからそれを食べても良いよ」
「ありがとう。そうします。テツヤはまだお仕事ですか。おそくなりますか?」
「今は昼休みだけど、今日も遅くなりそうだ。だから待たなくて良いから適当な時間に帰って良いからね」
「わかりました。じゃあそうします。それじゃあお仕事がんばってくださいね」
「ありがとう。じゃあまた電話するから」
電話の後オーはシャワーを浴び哲也のアパートを出、ラムカムヘンにある自分のアパートに帰った。
アパートに帰ると昔の夫のジェーンが三日振りに帰っていてベッドで寝ていた。オーがこんな時間に帰ってきたのを見て
「今頃お帰りかよ。結構な身分だね。例の日本人の所に行ってたんだろ?」
ジェーンはベッドから身を起こしながらニヤニヤ笑って皮肉っぽくそんなことを言った。
「どういうこと?それは私を非難してるの?あんたにそんなこと言う資格が少しでもあると思ってるの?私が何時に帰ろうが、何処で何をしようがあんたには関係ないでしょう。
あんたこそこの頃何してるのよ。仕事をするってあんなに言ってたくせにどうなったのよ?私にはあんたを食べさせるお金なんてこれっぽっちもないんだからね。自分の分くらいは自分で稼いでよ。わかってる?」
ジェーンの言い方にむかっ腹をたてたオーは厳しい表情で反撃した。
「わかってるよ。仕事は探してるがなかなか見つからなくて困ってるんだ。そのうち見つかるさ。
そうなったらお前もあんな日本人なんかと付き合わなくても良いようになるさ。何だ日本人なんて、少しお金があるからと偉そうにして。俺は日本人は好きじゃない」
「なにさ、偉そうなこと言って。日本人のおかげでこうやって私とアリサもなんとか今まで生活してこれたんじゃない。
あんたが一体私達のために何をしてくれたっていうのよ。偉そうなことを言うのもほどほどにしたらどう。口ばっかりで何も出来ないくせして」
オーの言葉は苛立ちで次第にきつくなっていく。
「わかったよ。もう何も言わないよ。ところで少しお金くれないか。もうタバコを買う金もないんだよ」
「収入もないくせに、タバコなんて止めなさい。なに考えてるの?家がどういう状態か、そして私がどんなに苦労して今までアリサを育てて来たか、あなたは少しでも分かっているの?」
オーは喋っているうちに次第に腹が立ってきて、いつの間にかえらい剣幕になっていた。
オーのその剣幕に押されてジェーンはベッドの上でたじろいだ。
「わかった、わかった。わかったからもうそんなに怒らないでくれよ。な、とにかく千バーツだけくれないか。もう絶対にそれ以上くれとは言わないから、な、頼むよ。これで最後だから」
「千バーツなんてあるわけないでしょう!出て行って」
「じゃあ、五百バーツでいい。それをくれれば出て行くから」
オーは黙ってバッグから百バーツ札を五枚抜き取りベッドに投げつけた。
ジェーンはそれをポケットの中にねじ込んで部屋を出ようとした。それを見てオーが叫んだ。
「待って。部屋の鍵を返して!もう二度と帰ってこないで!」
ジェーンはポケットの中を探って合鍵を取り出し、それをオーに渡し、そそくさと逃げるように部屋を出て行った。
ジェーンが部屋を出て行った後、オーは情けなくって涙が出てきた。(第五章おわり 最終章につづく)


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