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「イミテーション・ラブ」最終章

2008年5月 7日 (水)

「イミテーション・ラブ」-42

最終話 別れの日

 いよいよバンコク最後の夜が来た。

 日曜日の夕方哲也はいつものようにタニヤ・プラザの前でオーと待ち合わせ、一緒にシーロム通りにあるセントラル・デパートに行った。

 オーに買い物をしてやるためだ。

 オーはそこでラコステのショルダー・バッグと、サンダル式のハイ・ヒールを買った。

 ハイ・ヒールは店で使うもので、バッグは普段使うものだと言った。両方で四千バーツもしなかったが、それでもオーは充分満足そうだった。

 その後、パッポン・ツーのシーロムから入ってすぐの所にあるお洒落なシーフードの店に行き食事をした後、九時過ぎに《ピカソ》に入った。

 またバンコクには来るにしても、今回はこれで最後だ。哲也は何か感慨深いものを感じた。

 《ピカソ》でゆっくり過ごした後、十一時半過ぎに店を出、最後の日くらいは少しましなホテルに泊まろうと予め予約していたスクムビット通りにあるホテルに向かった。

 ホテルについてチェック・インを済ませ、一旦部屋に入って荷物をおいた後、そのホテルの地下にあるライブハウスに入った。

 この店は以前に二度ほど来た事があり、結構気に入っていた。客は殆どがファランで、たまに日本人らしき人も見かける程度だ。

 この日も日本人の姿は見えなかったが、席は結構埋まっていた。

 哲也とオーはステージからかなり離れた場所に並んで座った。

 注文を聞きに来たウェイトレスにジャック・ダニエルのロックとバカルディを注文したあと、二人はステージの方に注目した。

 ステージでは三人の若い女性ボーカルが踊りながら歌っている。バンドも三十歳を少し超えたくらいの若いメンバーの五人編成だ。

 ラテン系の音楽の現代版という感じで哲也には聞きなれない音楽だったが、聴いていると結構ノリのある音楽だ。

 そのうち飲み物が来たので改めて二人で静かに乾杯した後、二人はまたステージの方に目を向けた。

 明日はいよいよ別れだと言う意識が何か二人から言葉を奪ってしまったかのように、このホテルに着いた頃から二人は次第に寡黙になっていくようだった。

 オーは哲也の横にいて静かに哲也の手を握っている。哲也もじっとステージの方に視線をやってはいるが、頭は別のことを考えているようだった。

 所詮お金で繋がった関係だったとは言え、半年も付き合っているとやはり情も移ってくる。本当の恋愛に近い感情も絡んでくる。

「帰ろうか?」

 店に入って三十分ほどたったとき、哲也が言うとオーは素直に頷いた。

 部屋に戻っても何か胸にこみ上げてくるものがあり二人ともいつものように陽気にはなれない。

「そのバッグ、気に入った?」

 哲也は冷蔵庫から缶ビールを取りながらオーに話しかけた。オーは今、夕方買ったバッグを紙袋から取り出し、改めて見直しているところだった。

「きにいりました。これ前からほしかったです。これを見るたびにテツヤのことをおもいだします」

「本当かな。俺が日本に帰ったらすぐ又何処かの男に新しいのを買ってもらうんじゃあないの?」

「そんなことしませんです。だいじにつかいます」

「そうか。だったらいいけどさ」

 哲也はそう言いながら缶ビールを持ってオーが座っているソファに近づいて行った。そしてオーの横に座り、缶ビールを飲みながら何時になく真剣な面持ちで話しかけた。

「オー、これから俺が言う話をよく聞いて欲しいんだけどさ、俺が日本に帰ったら俺に義理立てする必要はもうないからね。もしいい男が現れたら、その男と一緒になってもいいんだよ」

「わたしがほかのオトコにだかれてもテツヤはいいですか?」

「ああ構わない。悲しいけれどその男がオーのことをきちっと愛してくれる男なら構わない。オーもその男を愛せるなら構わない」

「あいしてなくても、おカネのためだけではダメですか?」

 オーに聞かれて哲也は言葉につまった。

「それは正直言って俺にはわからない。オーにはそんな事はして欲しくない。でもどうしてもお金が必要なら神様もそれを許してくれるかもしれない。それは俺には何も言えない・・・」

 哲也がそこまで言ったとき、オーは哲也のそれ以上の言葉をさいぎるように、哲也の唇に自分の唇を押し付けてきた。

 二人はそのままソファの上で抱き合い、むさぼるように長いキスをした。

 オーのつむっている目からは大粒の涙があふれ、それが哲也の頬を伝わって下に流れた。

 哲也も胸の奥底からこみ上げて来るものに突き動かされて、目の奥に熱いものを感じずに入られなかった。

〈イミテーション・ラブ・ゲームのはずだったのに・・・〉 哲也は唇を重ねながらもそんな思いが頭の中をちょっと掠めた。

 明くる朝、二人は七時に起き一階のレストランで朝食を済ませた後、哲也のアパートまで戻り、すでに荷造りを済ませてある荷物を持ってタクシーで空港に向かった。

 オーはどうしても空港まで送っていくといって聞かないので哲也もそれを許した。

 十一時半出発の飛行機だったので、あまりゆっくりもしていられないため、カウンターで搭乗手続きを済ませると、身を引き裂かれるような気持ちで哲也はオーと別れた。

 別れる寸前にオーは一枚の紙切れを哲也に渡した。そして涙を一杯ためた目で哲也の顔を見て

「ナカに入ってから見てください」と言った。そしてオーは逃げるようにして人ごみの中に消えていった。

 イミグレを抜け、免税店のある所まで来てそこにあるソファに座ってから、哲也はオーから貰った紙切れをズボンのポケットから取り出して開いて見た。

 そこには子供が書いたひらがなのような字で

《いままでありがとう。いつもあなたのことをおもっています。あなたもわたしのことをわすれないでください。さようなら》

と書かれてあった。(完)

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2008年5月 6日 (火)

「イミテーション・ラブ」-41

6 打ち上げの日

 一週間たって図面のチェックが戻ってきた。

 修正は大した量ではなかった。その週のうちに全て修正を終えてしまった哲也と柴田は、その週の週末にスタッフ全員を集めて最後の打ち上げ会をすることにした。

 哲也と柴田が会社に行くのもその日が最後だったからだ。

 哲也は明くる日の日曜日までバンコクにいて、次の週の月曜日の朝の便で日本に帰る予定だ。

 柴田は同じ月曜日にカンボジアのアンコールワットに行き、二、三日ゆっくりしてから日本に帰ると言っている。

 打ち上げの場所はエカマエ通りに面したガイヤーンのおいしい店だった。

 その店にはエアコンが効くが煙草のすえない部屋と、屋根はあるが壁が無いので煙草もすえる部屋があり、みんなは壁の無い方の部屋を選んだ。

 百人くらいは充分は入れるほどのスペースがあるので、十数人では充分だった。

 今回は社長の藤川も佐野も一緒に加わった。そこで半年かかったプロジェクトがようやく終わったことを祝してみんなで乾杯をした。

 みんなの顔には、あるひとつの仕事を達成した満足感で一杯の表情が満ちあふれている。

 やっぱりこれだ。これがあるからこの仕事も止められないのだ。

 途中苦しいことも一杯あるが、そして投げ出したいと思うことも一度や二度ではなかったが、仕事を終えたときのこの達成感が何ともいえないため、哲也も今までこの仕事を続けてこれたような気がする。

 フリーになってからは暫くそう言う仕事も無かったので、余計に今回の喜びは大きいようだ。

 それは柴田も同じようで、今日はいつも以上に気持ちが昂ぶっているようだ。

 柴田は性格も気さくでおまけに若いので、スタッフからも好かれていた。

 自分は日本人だからと言って実力も無いのに偉そうにしている奴もいるが、柴田はそうではなく、スタッフたちの中に入っていって、スタッフ達の相談にのり、スタッフ達とともに悩んできたので、スタッフたちの信頼も厚かった。

 特にチーフのノムとは一緒にいる時間が長かったのもあり、すっかり良い友達になったようだ。

 柴田は若いだけにタイ語を覚えるのも早く、今では通訳も必要でないほどだ。

 現に今横の席にいるノムと通訳なしで楽しそうに喋っている。それを見て哲也は羨ましいと思った。そして彼を呼んでよかったとも思った。

 打ち上げ会はすっかり盛り上がり、酒の勢いもあって、若いスタッフ達は次はトンローにある《コロシアム》というディスコに行こうということになったようだ。

 しかし藤川や哲也はちょっと場違いな気がしたのでそれには加わらず、藤川の知っているスクムビットソイ三十三のクラブに行くことにした。

 佐野も一緒だ。柴田は《コロシアム》の方に加わるというので無理には誘わなかった。

 三人は藤川のお付の運転手の車で店の前まで行った。そしてその店に入った。

 《ピカソ》とは違って今風のシンプルなデザインになってはいるが、なかなかすっきりした良い雰囲気の店だった。ピアノの生演奏だけがある静かで落ち着いた店つくりだ。

 ホステス達も大学生が多いようで、水商売に慣れていない感じが逆に清楚で素朴な感じがして決して悪くは無かった。

 哲也に付いた女のナーも、話を聞いてみると大学生のアルバイトらしかった。

 なかなか美人でスタイルも良かったが、哲也はこういう女と接すると何故かしら照れに似た変な感情が出てきて、普通に助べえな話などが出来なくなってしまう。

 娘の由紀とダブってしまうせいかもしれない。結局この店ではナーと当たり障りの無い話をしただけで終わった。

 店にいる間にオーから電話が入った。

 音を消しバイブレーションだけにしていたので、二人には気づかれなかった。哲也はトイレに行ってその電話を受けた。

「イマどこにいますか?」 といういつもの電話だった。

「いまスクムビットの居酒屋にいる」

哲也は思わず嘘を言ってしまっている。

「そうですか。きょうはおミセにいきますか?」

「そうだなあ、まだ分からない。今社長も一緒だから後で電話する」

「そうですか。まってますね」

「わかった。じゃあね」 哲也は電話を一旦切った。

 十一時過ぎに三人はその店を出て、哲也は二人と別れた。

 別れる前、藤川は哲也に改めてねぎらいの言葉をかけ御礼を言った。

 そして又今後も何かあったらお願いしますね、とも言った。哲也も又何かあればいつでも呼んでください、と改めて頼んでおいた。

 藤川と佐野は藤川の車で夜の街に消えて行った。おそらくもう一軒位ハシゴする気なのだろうと哲也は思った。哲也にもそこまで乗りますかと誘われたが少し歩きたいからといって断った。

 そして改めて藤川に御礼を言った後、二人と別れてスクムビット通りまで独りで歩きながら、これからどうしようかと哲也は迷った。

 《ピカソ》に行くか、それともこのままアパートに帰るか。

 しかし哲也が迷った末に選んだのは、意外なことにソイカウボーイだった。

 日本に帰る前にもう一度あのヌンという女に逢いたいと思ったのだ。それは自分でも意外な結論だった。

 哲也はソイカウボーイに行くまでにタクシーの中からオーに電話を入れ、今からみんなでディスコに行くので今日は《ピカソ》には行かないと言った。

 オーは残念がったが明日行くからという哲也の話しに何とか納得した。

 哲也はソイ二十三でタクシーを下りるとそのままヌンのいる店に行った。

 ソイカウボーイは週末ということもあって、客達で結構賑わっていた。

 店に入ってステージを見るとヌンは丁度踊っている最中だった。店は客であふれていたが、何とか後ろの方に空き席があったので座る事が出来た。

 ヌンはすぐ哲也を見つけたようでこぼれるような笑顔を哲也に送ってきた。哲也も手を振ってそれに答えた。

 すぐに注文を聞きにきたウェイトレスにハイネッケンを注文してから哲也はヌンの踊る姿に見入っていた。

 前回来た時は酔いつぶれていたので、殆ど何も憶えていない。ましてヌンが踊っている姿など見た憶えも無い。

 しかしこうやって改めてヌンの水着姿を見ると、周りの女と比べて飛びぬけて良い女に見えるのはやはりひいき目なのだろうか。

 十分ほどしてヌンは踊りが終わり、ニコニコした表情で哲也の席にやってきた。

「サワディー・カー」

 ヌンはワイをしながら挨拶をした。哲也は手招きで横に座らせた。

 ヌンに逢うのはあのスクムビットのカフェ以来だから約一ヵ月ぶりだ。

 ヌンは相変わらずぼんやりとした感じだが、それが哲也の何かを刺激するのだろう。ヌンと一緒にいると何故か妙に落ち着いてしまうのだ。

 哲也はコーラを一杯奢ってやって暫く喋ったが、明後日日本に帰るなどと言う話はしなかった。

 ハイネッケン一本を飲み終わった哲也がチェックビンしてくれと言うと、ヌンはええっ、もう帰るの?というような表情をした後、

「今日はペイバーしてくれないの?」 と意外そうな表情でそう言った。

「ああ、今日はしない。君の顔がちょっと見たかっただけだ。だから今度ね」

 哲也はタイ語でそうは言ったが、もう二度とこの店には来ないだろう。だからヌンとももう二度と逢うことはないかもしれないと心の中で思った。

 哲也は二百バーツのチップをヌンに渡してその店を出、そのままアパートに帰った。(つづく)

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2008年5月 5日 (月)

「イミテーション・ラブ」-40

5 ベッドの中でのふたりの会話

 その夜四人は十二時半くらいまで店にいて一緒に店を出た。

 それからタニヤの中の《ラーメン亭》で軽く腹ごしらえをしてから、揃ってアパートに帰り、二組それぞれの部屋に別れた。

 オーが哲也の部屋を訪ずれるのは久し振りだった。しかしオーもかなり酔っ払っていたのだろうか。

 部屋に入るなり安心したのか、ショルダー・バッグをベッドの上に投げ出したかと思うと、ハイヒールを穿いたまま自分もバタリとベッドの上に仰向けになって眠ろうとしている。

「おいおい、駄目だよ。靴ぐらい脱げよ」

 哲也がそう言っても全然反応が無いので、哲也はオーの足元に行きサンダル式のハイヒールを脱がせた。

 それにしてもそれほど飲んでいるようにも思えなかったのだが、この酔い方からするとそこそこ飲んでいたのかもしれない。

 オーが少しの酒で酔っ払ってしまうのは前から何回か経験していたので充分分かってはいたが、こんなに酔っ払ってしまうとは思ってもいなかった。

 哲也はハイヒールを脱がせた後、ついでにオーの足の指を一本一本丁寧にマッサージし、それから足の裏の土踏まずの所を両手の親指を使ってゆっくり押さえながら揉みほぐしてやった。

 オーがこうされるのを好きな事も哲也は前から知っていたからだ。

「ああ、きもちいい」

 寝ているはずのオーがそう言うので哲也はちょっと驚いたが、反面オーが喜ぶのに気をよくして暫くそれを続けた。

 左足をやった後は右足という感じで交互にそれを続けた。

 オーの足の裏はよく手入れが行き届いているのか、角質が少なくやわらかい。

 赤ん坊の足の裏とまでは行かないにしてもそれに近いものがある。それを触っているうちに哲也はなんとなくムラムラして来た。

 たまらなくなってベッドの上に這い上がろうとした時、機を同じくしてオーが上半身を起こしてベッドから下りようとした。

「どうしたの?」 哲也がちょっと驚いて聞くと

「ちょっとまってください。はきそうです」

 オーはそう言って、洗面所のほうに早足で行った。すぐに洗面所の中から「オェッ」という呻き声が聞こえて来る。

 その声を聞いて哲也はまた少し心配になり、後に続いて洗面所に入ってみると、便器の前にかがみ込んでオーは苦しそうに吐こうしている。

 それを見て哲也は今度オーの背中をさすり始めた。背中をさすりながら哲也は〈俺は一体何やってるのかな〉と、少し情けない気分になった。

 哲也に背中をさすられたオーは「オェッ」「オェッ」を何度か繰り返しながら、いくらかの嘔吐物を吐いた。

 少し吐くたびにオーは水栓でそれを流した。それでも甘酸っぱい胃液の臭いが哲也の鼻にもツーンと匂ってくる。

 何度かそれを繰り返した後、オーは立ち上がり

「もうだいじょうぶです。ごめんなさい」

 と言って洗面所で丁寧にうがいをしてから部屋に戻った。

 おかげで哲也のさっきの興奮はすっかり冷めてしまった。オーの方も完全に気持ちが良くなったわけではなさそうで、まだ少し辛そうだった。

 部屋に戻ったオーは、今度は服をすっかり脱いでパンティーだけになり、シーツの中に入ってしまった。

 それを見て哲也もパンツ姿になり、部屋の電気を消した後シーツにもぐり込んだが、とてもこんなオーを攻めるわけにはいかないと諦めて、オーの横で寝ることにした。

 翌朝はいつものように七時過ぎに哲也は目が覚めた。

 バンコクに来てから毎日の習慣なので、よほど前夜酔いつぶれてしまわない限りはこの時間に目が覚めてしまう。ある意味では勤め人の悲しい習性だ。

 朝の淡い光がカーテンを通して部屋の中に入って来ている。

 哲也は左横で眠っているオーの方を見ると、哲也に背中を向けてよく眠っているようだ。

 哲也はもう少し眠ろうと思ったが、一度目がさめてしまうと眠ることが出来ない。

 暫くボーとしていたがつまらないので、哲也はオーの方に向き左手を首の下に差し入れ、オーの背中に自分の胸をくっつけた。

 そして空いた右手を腰から下腹の辺りに廻した。これで二人の身体はぴったりとくっつく格好になった。

 それでもオーはまだよく眠っているようだ。裸同士の身体がふれあい心地が良い。哲也はその格好になると何故か心が落ち着いてそのまま又眠った。

 それから一時間くらい眠っただろうか。オーの首の下に廻していた左手がだるくなってきて目が覚めた。右腕もオーの柔らかい下腹部に置かれたままだった。

 オーの柔らかい下腹の感触がいいので、哲也は寝ぼけた頭でそこをゆっくり撫ぜているうちに、次第に又欲望が高まってきてその手を少し下の方に下げた。

 そして薄いパンティーの中に手をすべりこませて、オーの中心をごそごそと探り始めた。

 暫くそうしているうちにオーも目覚めたようだ。オーは右手を哲也の頭の後ろに廻してきて、顔を哲也のほうに向けた。

 そして二人は唇を合わせた。

 長い接吻の末オーは身をひねらせてきたので、二人は正面から抱き合う形になった。

 ・・・・・・・・・・・

「テツヤはもうすぐニホンにかえります。オーはさみしいです」

 一戦を終えた後、オーはベッドの中で哲也の胸に顔を乗せた状態でそう言った。

「それは俺も同じだよ。寂しい。別れたくない。しかししょうがないな、これは。俺には家族もいる。だからずっとバンコクにいるわけにもいかない。それは分かっているだろ?」

「分かっています。デモはさみしいです。わたしはどうすればいいですか。あたらしいおとこつくっていいですか?」

「ははは、作って欲しくはないけど、しょうがないな。俺には作ったら駄目だと言う権利は無いよ」

「ジョウダンです。オーはこころかわらないです。テツヤがまたくるのをずっとまっています」

「ありがとう。そう言ってくれると嘘でも嬉しい」

 哲也はオーの首の下に廻した左手にぐっと力を込めた。オーは哲也の胸に乗せた左手をさっきからゆっくりと上下させている。

「デモは、テツヤがいなくなったらオーはおカネ足りないです」

 〈ああ、いよいよその話か〉、と哲也は思った。

「そうだね。どうするつもりだ、オーは?」

 哲也は逆に質問する手に出た。

「わからないです。こまります。テツヤはわたしのためになにしてくれますか?」

 今度は哲也が答える番だ。

「困ったねえ。どうすればいいだろう。まあ考えておくよ、ねっ」

「テツヤはずるいです。テツヤはオーをアイしていませんか?」

「もちろん愛してるよ」

 哲也はそう言った瞬間本当にそうだろうかとは思ったが、突然の質問に自動的にそう答えてしまっていた。

「でしょ?だったらもっとかんがえてください。オーがかわいそうでしょ?」

 オーは今にも泣き出しそうに言った。

 哲也はこの事は最後まで言わないでおこうと今までは思っていたが、こうなると言わざるを得ないなと思い、思い切って言うことにした。

「分かった、分かった。いくらかお金を残していくよ」

「いくらですか?」

 オーは必要に食い下がってくる。さすがにしたたかとしか言いようが無い。

「五万バーツ。俺に出来るのはそれしかない」

 その瞬間オーは少し安心したようだった。

「ありがとう。じゃあやくそくですよ」

「わかった。約束する」

 これで何とか収まったかなと思ったら、

「テツヤはニホンにかえったら、ニホンのオクサンとエッチしますか?」

 と今度は話題を変えてきた。

「しないよ。もう十年くらいしてない」

 哲也がぶっきら棒に答えると

「どうしてしないですか?スキじゃないですか?」

 オーはまたしても執拗に食い下がってくる。

「そうじゃないけどさ。もうおばあちゃんだから、そんなことはしないよ」

「そうですか。ホントウですか。じゃあほかのオンナともしませんか?」

「しない。セックスするのはオーだけだ」

「ホントウかなー。しんじられませんねえ。デモはガマンできますか?ガマンできない時はどうしますか?センズリですか?」

 センズリと聞いて哲也は思わず笑ってしまった。

「ははは、よく知ってるね。そうそうセンズリだよ。オーのこと思い出しながらね」

「それはウソでしょ。VCDのエッチビデオをみてします、でしょ?」

「なんでそこまで知ってるの。まいったなあ」

「でしょ、オーはみんなわかります」

オーはククッと笑った。今度はそれほど真剣でもないな、と哲也は思った。

「じゃあ、オーはどうするの。マンズリか?」

「そうです。マンズリです。すごくきもちいいですねえ」

「バーカ」

「ジョウダンです。ひとりでやってもきもちよくないです」

 二人はそんな会話を交わしながらベッドの中でぐずぐずとしていた。そしていつの間にか又眠っていた。(つづく)

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2008年5月 4日 (日)

「イミテーション・ラブ」-39

4 五番街のマリー

 日本が盆まえの八月十日、全ての図面が出来上がった。

 何回かに分けて提出した図面の最終のセットを明日提出すれば、後は客側のチェックがあり、それを直してしまえばこのプロジェクトの仕事は全て終わりだ。

 その客側のチェックが戻ってくるのが一週間後なので、哲也も柴田も暫くの間暇になる。取りあえず明日は二人とも休むことにした。

 出来上がった図面は佐野が客先に届けることになっていたからだ。

 哲也はその夜柴田を誘って《ピカソ》に行くことにした。勿論その前に居酒屋で腹ごしらえをした後でだが。

 だから《ピカソ》に行ったのは十時少し前だった。

 いつものようにチーママとマネージャーがドアの前で迎えてくれた。

 中に入ってソファに座っているとすぐにオーとゲェがやってきた。

 勿論店に来る前に今からいくと言う電話は入れておいたので、二人とも他の客には付かないで空けておいてくれたのだ。

 二人の女はいつものようにワイをして男たちに挨拶をした。

 客は最近にしては珍しく多かった。恐らく日本が盆休みに入るので、早い客はその前の土曜日くらいから連休を取ってバンコクに遊びに来ているのだろう。

 そういう客が今日は多いのかもしれない。だからあちこちでホステス達の笑う黄色い声が聞こえてくる。

 哲也がオーに逢うのは月初めの日曜日以来だから約十日振りだ。久し振りに逢うとやはり嬉しくなる。

「おひさしぶりですねえ。げんきでしたか」

 オーもお絞りを渡しながらにこやかに聞いてきた。

「ああ元気、元気。仕事も今日でひと段落したから、今日は思いっきり飲むぞーッ。ねえ、柴田君」

 哲也は柴田にもそう言った。

「そうですね。どんどん行きましょう」

「おー、いいですねえ。どんどんのんでください。そしてどんどんおカネをつかってください」

 オーがそう言ったので四人で大笑いした。

 前のステージではいつものフィリピンバンドのトリオをバックに、中年の女性歌手がビートルズの「サムシング」をジャズっぽく歌っている。

 その曲を歌い終わると、客のリクエストがあり、その男がステージに出てきて歌い始めた。

 曲は「思い出のサンフランシスコ」という古い曲だが、それを英語で歌い始めた。

 その客についていたホステスが一緒に出てきて、客の飲んでいたウイスキーを持ってステージの下で立って客の方を向いてじっと待っている。

 この店には色んな外国を転々として来て、最後にバンコクに流れ着いたような駐在員が何人かいるようで、そう言う客は英語の歌を歌うことが多い。

 その男もその部類なのだろう。この店で何回か見たことのある顔だ。

 英語にはかなり馴れたような感じで、歳は六十歳少し前の感じだ。歌はなかなか上手くはあるが、哲也は何かきざな感じがして、いまいちそう言う男は好きになれない。

 勿論敵意を感じるほどではないが。

 その歌を聞きながらオーが

「テツヤもナニかうたいますか」 と聞いてくるので

「歌おうかな。他人の歌を聞いていても面白くないからな。そうだオーの歌を歌うか?」

「ゴバンガイのマリーですか。いいですねー。いっしょにうたいますか?」

「ああ、一緒に歌おう」

「じゃあチョッと待ってください」

 オーはソファーから立ち上がり、ステージの方に行き、女性歌手にリクエストをして戻ってきた。

 柴田とゲェは向こう側の席で二人寄り添って何やら親しげに喋っている。

 英語の歌を歌う男が二曲目に「マイウェイ」を歌い始めたので、なかなか哲也の番が廻ってこない。

 暫くして終わったのでいよいよ出番かなと思って立ち上がりかけた。

 しかしまだ次の男の予約があったようで、女性歌手は別の名前を呼んで、その男がするするとステージの方へ行ったので、また待たされることになり、ずっこけそうな振りをした。

 その様子を見てオーは口を押さえてクスクスと笑っていた。哲也は仕方なくウイスキーをグイッと飲んだ。

 間をおかずオーが爪楊枝でスイカを小さなボール状にしたものをひとつつまんで哲也の口元に持ってきたので、それを食べた。

 次の男は純粋の歌謡曲で「居酒屋」を歌い始めた。

 仕方がないので、哲也はステージの方を見ながらオーの露出した背中を撫ぜていた。

 相変わらずオーの背中の感触がいい。オーは背筋をきちっと伸ばして、哲也にされるがままに任せていた。

 やっと前の男の歌が終わり、女性歌手が今度は哲也の名前を呼んだので、哲也とオーはそろって立って、ステージに向かった。

 そして二人そろってステージに上がった。二人でこの歌を歌うのは今回バンコクに来てからこれで三回目だ。

 ピアノの演奏が始まったら柴田とゲェが激しく拍手を送ってきた。

 哲也は譜面台に置かれた歌詞カードを見ながら歌い始めた。オーも柴田の横に寄り添って一緒に歌った。

   五番街に行ったならばマリーの家に行き
   どんな暮らししているのか見てきて欲しい

 歌はそんな風にして始まる。三十年くらい昔ペドロ&カプリシャスというグループが歌って流行った曲だ。

 哲也はまだ中学生か高校生くらいだったかもしれない。オーは歌詞を全て憶えているのでカードを見る必要はない。もっとも見ても漢字は読めないのだが。

 三番まで二人は腕を組んだままで歌い終わった。オーは楽しそうだった。

 また柴田とゲェが拍手をしてくれた。女性歌手もお愛想に拍手してくれた。しかしほかの客は勿論知らん顔だ。

「山口さん、渋い曲をうたいますねえ」

 席に戻ったら柴田がそんな風に言ってきた。

「良い歌だろ?こんな歌知ってるかい?」

「勿論知ってますよ。有名な歌ですから」

「ああそうなの?君たちの世代でも知ってるんだ。実はね、この歌はオーの歌なんだよ」
「ええっ、どうしてですか?」

「オーの本名はマリーって言うんだよ、ねえ」

 哲也は相槌を求めるようにオーの方を向いた。

「そうです。わたしのホントウのナマエはマリーです」

 オーはいかにも嬉しそうな表情をした。

「そうなんだ。それは初めて聞いたな。だからオーちゃんもこの歌知ってるんだ。なるほどね」

「まあそれほど感心するほどのことでもないんだけどね」

「ははは、それはそうなんですけど」

「ところで君も一曲くらい歌ったらどう?」

「勘弁してくださいよ。ボクはひどい音痴なんですから。ボクなんかが歌ったらお客さん皆帰っちゃいますよ」

「そうかい、それも面白いじゃない。そんな事言われると余計に聞きたくなっちゃうな」

「ほんとう、聞きたいですね」 オーも横から助勢する。

「本当に駄目ですから。こればっかりは本当に駄目なんですから」

 柴田は真剣な顔で、後ずさりするようにソファの奥に身を引きながら右手を左右に激しく振った。

 その様子がおかしくて他の三人は大笑いした。(つづく)

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2008年5月 3日 (土)

「イミテーション・ラブ」-38

3 ヌンとの再会

 哲也はその女が一ヶ月ほど前、ソイカウボーイで出逢ったあのヌンであることをすぐ思い出した。

「おお、久し振りだね。元気だった?」

 哲也は日本語でそう言ったがヌンには通じていないようだった。

 ヌンはただにこにこ笑っているだけで何も返事をしなかった。

 恐らく雨を避けてカフェの軒先に避難していた人々の中にヌンもまぎれていたのだろう。

 そしてその中で哲也の姿を見つけ、暫く本当に哲也かどうか見定めていたのかもしれない。

 哲也は場所を変わりたいと思った。ここはあまりにも人が多すぎるから、ゆっくり話が出来ない。

 しかし直ぐに雨は少し小降りになってきた。これくらいなら少しくらいの移動は可能だ。現に店先に避難していた人たちも今では少しずついなくなっている。

 ヌンはどうやら一人らしい。あとは都合が良いか悪いかを聞くだけでいい。

 哲也はタイ語でそれを聞いた。

「ダーイ・カー」

 ヌンはそう答えたので哲也は店を変わることにした。

 すぐ近くにある例の《ロビンフッド》だ。そこならこの時間でもビールが飲めると分かっていたからだ。

 歩いて三十メートルくらいの所にその店はあった。

 《ロビンフッド》は最初に来たときに結構気に入った店だったので、哲也はその後も一人の時に何回か来た事があるが、女と一緒に来るのは今回が初めてだ。

 例の愛想の良いウェイトレスが今日もいて、哲也が女と一緒に入ってきたのを見てにっこり笑い、からかうような視線を哲也に送ってきた。

 二人はドアを入って右側のスクムビット通り側のソファに並んで席を取った。

 すぐにそのウェイトレスが来て注文を聞いたので、生ビールを二杯注文した。

 まだ時間が早いせいか店内にお客の姿は数人しか見えない。皆ファラン(白人)の客ばかりだ。

「良く俺のことを憶えていてくれたね」

 哲也はタイ語で何とかそのようなことを言った。

「私は一度寝た人はわすれません」

 ヌンは笑いながらそう言ったので、それを聞いた哲也も「なるほど」と言って笑った。

 ヌンは胸のあたりにシルバーの刺繍模様が付いた黒のTシャツにブラックジーンズという格好だった。

 すぐに生ビールが来たので二人で乾杯した。

 それにしても考えてみれば危ない所だった。

 ヌンに会った時、もし約束通りオーがあの店に来ていたらえらい事になっていたかもしれない。オーの娘のアリサには申し訳ないが感謝したい気持ちだ。

「あの時は私は本当に酔っ払っていただろ?」

 哲也はヌンに始めてあった日のことをタイ語で聞いてみた。

「そうですね。キーマオでした。あなたは憶えていますか?」

「全然憶えてないよ。気がついたら朝で、横に君が寝ていた」

「えーっ、そんなに憶えてないの?そこまでには見えなかったわ」

 ヌンは驚いた様子だった。

「ところで今日は何をしにここにきたの?」

 ビールを飲みながら哲也はヌンに訊ねた。

「ビューティサロンに行ってきて、これから買い物に行くつもりです」

「買い物は何処に行くの?」

「MBKです。四時に友達と待ち合わせしています。あなたも一緒に行きますか?」

「いや、今日は止めとくよ。少し用事があるから。今度にしよう」

「そうですか」

 哲也は別に予定は無かったのだが、友達と待ち合わせしていると聞いたので、やめておくことにした。ヌンもしつこくは誘わなかった。

 このあとも二人はビールを飲みながら暫く話をした。

 哲也はヌンに決まった男はいるのかと訪ねると、本当かどうかは分からないがそんな男はいないとはっきり答えた。

 そんな男がいたら今頃こんな所にはいないと言う。確かにそうかもしれないな、と哲也も思った。

 ビールを一杯分飲み終わったところでヌンの約束の時間も迫っていたので二人は一緒に店を出、ヌンをBTSのプロンポン駅まで送って行き、そこの改札口で別れた。

 別れた後ヌンの後姿を見送りながら、なんとなくぼんやりしているが、なかなか良い女だな、と哲也は心の中でつぶやいた。

 哲也はその後ヌンに逢う前に考えていたようにポーマッサージに行き、そこで二時間過ごした後夕方になってアパートに帰った。(つづく)

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2008年5月 2日 (金)

「イミテーション・ラブ」-37

2 オーの計算

 アリサがモーターサイで怪我をしたと言うのは嘘ではなかった。

 今日は日曜日だったので、朝の遅い時間に起きたオーは、テレビゲームに興じているアリサに朝食を近くの屋台まで買いに行ってくれるように頼んだ。

 アリサは素直に母親の依頼にこたえてアパートを出て行った。

 ところがなかなかアリサが帰ってこないので心配していたら、約三十分後に病院から電話があり、オーは驚いてその病院まで駆けつけたと言うわけだ。

 幸い怪我はたいした事はなかったが、いろいろ検査をするので時間を取られてしまった。
 その混乱の中でオーはすっかり哲也との約束を忘れてしまっていた。

 気がついた時には約束の時間を十五分くらい過ぎていたと言うわけだ。

 アリサの検査を待っている間にオーはいろんなことを考えた。

 元夫のジェーンはあの日家を出て行ったきり帰ってこない。どこで何をしているのか知らないが、今度こそはもう家には入れないつもりだ。

 アリサは寂しがってはいるがもうこれ以上は許せない。アリサにもそれは説得するつもりだ。

 オーはテツヤのことも考えた。

 テツヤもあと一ヵ月すれば日本に帰ってしまうだろう。そうすれば私はどうすればいいのだろう。

 テツヤの援助がなくなれば経済的にはかなり苦しくなってしまう。

 前はアリサが田舎にいたので何とかやってこられたが、今は事情が違う。とても店の収入だけではやっていけないのは明らかだ。

 それでも月に何人かの男に体を売れば何とかなるだろうがそれだけは何とか避けたい。

 せめてテツヤのように決まった男をみつけて援助してもらえるならまだましだが。

 オーには前から声を掛けてくれる男が一人いるにはいた。その男はバンコクにもう二年近く住んでいる。

 三年バンコク勤務と言っていたから後一年位はいるらしい。

 テツヤより五、六歳年上だが優しそうな人だ。あまり好みのタイプではないがそんな贅沢なことも言っていられない。

 あの人はバンコクの北のパトゥンタニーという所に住んでいる人で、月に二回くらいのペースで週末に店にやってくる。

 今度やってきた時には何気なくそんな話をして気持ちを探ってみようとオーは思った。

 恐らくあの人なら私の要求を断りはしないだろう。

 これまで援助してくれたテツヤには悪いがこれも生活のためだ。ただし本格的に付き合うのは勿論テツヤが日本に帰ってからだが。

 オーがそんなことを考えているうちにアリサの検査も終わり、怪我をした脚の治療も終わったので二人でアパートに帰った。(つづく)

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2008年5月 1日 (木)

「イミテーション・ラブ」-36

第六章 結末

1 スクムビットの休日

 哲也はスクムビットのエムポリアムの向かいにある《ピーターパン》というオープン・カフェで、アメリカン・コーヒーを飲んでいた。

 コーヒーを飲みながら煙草がすえるところというのは、こういうオープンな所しかないので、どうしてもこういうところについつい入ってしまう。

 またここの床は通りから少し高くなっているので、通りを歩く人をちょっと上から眺めながらぼんやりしていられるというのも、哲也は結構気に入っていた。

 だからスクムビットに出てくると必ず一度はここで一服することにしている。

 スクムビット通りをはさんで向こう側には公園もあり、そこの樹木が見えるのもなんとなく心が落ち着く。

 七月最後の日曜日で仕事も休みだ。後一ヶ月足らずで哲也のタイでの生活も終わるはずだ。

 哲也はアパートから直接タクシーでこの店に来た。

 昨夜は夜中の十一時まで仕事をしていたので、週末にもかかわらず《ピカソ》には行かず、まっすぐにアパートに帰って寝た。

 だからオーにも逢っていない。しかしそのオーがもうそろそろ現れるはずだ。

 哲也はタバコを吸いながら道行く人々の姿を眺めるともなく眺めていた。

 この通りには日本人の姿も多い。近くに日本人が住んでいるアパートが多いせいだろう。子供づれの若い主婦、中年の男など。

 またファラン(白人)の姿も数多く見かける。ファランは老夫婦が多いように思える。

 そして勿論タイ人。中でも腰の部分が短くてお尻の割れ目まで見えそうなパンツを穿いた若い女性が多い。

 しかし色が黒いためか哲也にはそれほどセクシーには感じられない。

 哲也はさっきからオーのことを考えていた。

 これから先オーとどういう風に付き合っていけばいいのだろうか、と考えていた。

 自分が日本に帰ってしまったら、もうオーには援助してあげられなくなる。そうするとオーはたちまち困るに違いない。

 自分の代わりの男でもすぐ見つけてくれればいいが、オーの性格ではそんなに簡単ではなさそうだ。そうなるとあいつはどうするつもりだろう。

 そんなこと考えなくてもあいつはあいつなりにどうやってでも生きていくのかもしれないし、現に今まで生きてきたわけだから、取り越し苦労なのかもしれない。

 だがどうしてもそのあたりの事が気になってしまう。

 とにかく日本に帰るときにはいくらかのまとまったお金くらいは置いていってやろうと思った。

 哲也がそんなことを考えているうちに、急に外の様子がおかしくなってきた。

 さっきまできれいに晴れていた空が急に暗くなり、おまけに風まで出てきた。

 これはスコールかなと思ったら大粒の雨がパラパラと降り出し、あっという間にそれが大雨にかわった。

 雨は道にしぶきが上がるほど強くなった。道を歩いていた人たちは頭を抱えた状態で屋根のある所を求めて走り始めた。

 哲也がいるカフェにも何人かの男女が避難してきて入り口に立ち始めた。この店はオープンなので彼らには寄り付きやすいのだ。

 そのために一瞬のうちに哲也の席から通りは見えなくなった。

 オーはまだ来ない。どこかで立ち往生しているのかもしれない。人々の壁で風通しが悪くなった店内はむっとしてきた。

 哲也もどこかに移動したくなってきたが、この雨では移動すら出来ない。

 哲也は携帯電話でオーに電話をした。呼び出し音はするがオーは出ない。哲也は仕方なく電話を切りまた煙草に火をつけた。

 今度は日本にいる家族のことを考える。皆どうしているのだろう。

 哲也は二週間に一度くらいのペースで家には電話をするようにしている。殆どは久美が出るがたまに娘が出ることもある。息子が出る事は殆どない。

 息子は高い学費を親に払ってもらっていることに後ろめたさを感じているのか、せめて自分の小遣いや交通費位は自分で稼ごうと思っているらしい。

 だからアルバイトに精を出しているみたいで、家にいる事は殆どないと久美は言っていた。

 娘の由紀は彼氏が出来て毎日楽しそうに青春を満喫しているようだ。

 久美は最近腰を痛めたようで仕事に行くのが辛いと言っていた。

 仕事など止めればいいと哲也は言うのだが、まだまだ止めるわけにはいかないといって聞かない。

 後一ヵ月もすればそんな家族にも会える。早く会いたいと哲也は思う。しかし一方ではオーと逢えなくなる寂しさもある。

 この二つの相反する感情の中で哲也の心は揺れ動いていた。

 それにしてもオーはどうしたのだろう。約束の時間をもう十五分くらいオーバーしている。

 時間には几帳面なオーにしては珍しいなと哲也は思った。

 その時オーから電話が入った。

「もしもしテツヤ、ごめんなさい。いまビョウインです。アリサがアクシデントしました」

「えっ?どうしたの」

「モーター・サイでたおれて少しケガしました。デモはだいじょうぶです。しんぱいないです」

「そう?本当に大丈夫か?」

「だいじょうぶです。デモはきょうはそちらにいけません。ごめんなさい」

「分かった。それは大丈夫だ。気にしなくていい。それよりもアリサの傍にいてやったほうがいいよ」

「ありがとう。じゃあ」 オーはそう言って電話を切った。

 哲也は少しアリサの事が心配になったが、大したケガではないと言うオーの言葉を信じてあまり心配しないでおこうと思った。

 さてそうなるとこれから何をすればいいのだろう。オーと二人なら映画でも見に行こうと思っていたが、一人では行く気にもならない。

 夜にはまだまだ早いし、だったらマッサージにでも行くしか仕様がない。雨がやめばポーマッサージにでも久し振りに行ってみようと思った。

「テツヤ」

 突然自分の名を呼ぶ女の声に驚いて上を向くと、そこに見覚えのある若い女が一人立っていた。(つづく)

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