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「あの白く乾いた季節」序章

2008年5月15日 (木)

「あの白く乾いた季節」-1

                どんなものでも、
                      よりその物にふさわしいような
                         別の名前が見つからないほど
                           自分の名前に深く結びついてはいない
                                                〈ルネ・マグリッド

序章 二〇〇一年早春

  二十一世紀になった。千年という途方もない時間の流れの中のひとつの大きな節目に私の人生がたまたま重なった。

 それは単なる偶然であり、私の人生にとっては何の意味もないことではあるが、その大きな節目に偶然にしろ遭遇出来たことは少なからず私を感動させてくれたものだった。

 その二十一世紀になって最初の年の、春の兆しが見え始めた暖かい日曜日の朝、私は近所にあるパチンコホールでパチンコ台に向かって座っていた。

 その店は私が住んでいる私鉄沿線の駅前にあり、会社の帰りや休日などによく利用する店で、この街の中では一番好きな店だった。

 外観は一見したところパチンコホールには見えず、何かファッションビルのような印象を与えてくれるのも私には気に入っていた。

 入り口を入ると三メートル以上あると思われる大理石貼りのメイン通路があり、天井は高くアーチ型に掘りあげられていて、間接照明の柔らかな光がメイン通路の上に奥まで続いている。

 これなどもデパートやホテルのデザインを取り込んでいるとしか思えない様な造りだ。

 いやラスベガスのカジノホテルのデザインを意識していると言ったほうがふさわしいのかもしれない。

 この店はそういった内装、外装の造りの良さだけではなく、換金率も良く、尚且つよく出るということで、何時行ってもお客さんで一杯だった。特に土曜日、日曜日などは、朝の開店前には裏口に五十メートルくらいの行列ができるほどだ。

 何事にせよ行列に並ぶほど嫌いなことのない私は、今日も並びこそはしなかったが十時の開店直後に来て、何とか前から目をつけていた機種に座ることができた。

 その機種は最近出てきた〈天才バガボン〉と言う新機種で、夜会社からの帰りに見たことがあり、一度やりたいと思っていたが何時もお客さんでいっぱいでこれまでは座れなかったのだ。

 しかし今日はその台に何とか座ることが出来た。私の胸はワクワクしていた。

 前から想っていた片想いの女性と始めてデートができる日の朝のように・・・。

 私は地方都市に住む五十一歳のサラリーマン。

 いわゆる団塊の世代と言われる世代で、会社に入ってから知り合って結婚した三歳年下の妻との間に生まれた、二十二歳と二十歳の二人の娘がいる。

 娘は二人とも私立の大学に通っており、そのお金を捻出するために妻も週に三度パートに行っているくらいだから、家の中は火の車だ。おまけに私の勤めている小さな広告代理店も不況の波をまともにかぶっていて、何時倒産してもおかしくない状況だ。

 暢気にパチンコなどしているような状況では決してないのだが、私は若いときからどうもどんな厳しい状況になっても、何かしら現実感がなく深刻になれない癖があり、それは今も変わらないしこれからも変わりそうにない。

 妻もそんな私をとっくの昔に諦めてしまったのか、小遣いの範囲内で遊ぶ分には何も言わないでいる。

 座って千円、二千円やっているうちになんとなくこの機種の法則は解ってきたものの、なかなか大当たりが来そうにない。私は釣り人が静かに魚がかかるのを待つような心境で、右手をハンドルに固定したまま大当たりのチャンスを待っていた。

 そういえばパチンコと言うのは釣りと似ているのかもしれない。場所が悪ければ移動するところも同じだし、「来た、来た!」とか、「かかった!」とか言う言葉も同じだ。

 こんなことを言うと、釣りを趣味にしている人からは「釣りをパチンコと同じにしてくれるな」 とお叱りを受けそうだが、精神的には良く似ているのではないかと私は思っている。

 まあそれはとにかくとして、五千円、六千円とつぎ込んでも一向に大当たりが来る気配はない。

 私は次第にあせってきた。

 今日の予算は二万円しかない。何とかそれまでに大当たりを一回でも当てなければ、と心の中はあせってはいたが表向きはあくまで平静さを装っていた。

 十一時少し前、液晶画面の中で突然見慣れないものが出てきたのになんとなく気がついた。穴の中からいつもは黒いウナギイヌしか出てこないのに、今回はシロウナギイヌが出てきたのだ。〈何これ?〉と言う感じだった。

「やっときましたね」

 隣で打っていた私と同世代と思われる男が話しかけてきた。

「そうなんですか?」

 私は男のほうを振り向きそう尋ねた。

「さっき白いやつが出たでしょう。あれが出ればほぼ大丈夫ですよ。たまに外れることもあるみたいですがね」

「そうですか、それは良かった」

 私はそうは言ったものの、外れることがあるとも聞いたので気が気でなかったが、あっさりと③で大当たりになった。

 しかも確立変動だから次の大当たりも約束されている。

 〈やったぞ、やったぞ、これで暫くは遊べるぞ〉と思い、取り敢えず胸を撫ぜ下ろした。

 せっかくの日曜日で時間はたっぷりとあると言うのに、一時間や二時間で金切れのために帰らなければならなくなってしまうのはやはり残念だからだ。

 その時店内に流れる音楽が、それまでのうるさいロック音楽から静かな曲に変わった。

 よく聞くと井上陽水の〈花の首飾り〉だった。

 この曲は1960年代に一世を風靡したザ、タイガースが歌って大ヒットした曲だが、彼らとはまた違った陽水独特の甘くて退廃的な匂いさえ感じる歌い方が妙に私の耳には残っていた。

 最近テレビのコマーシャルで陽水が自ら出演してコマーシャルのバックに流れているのを聴いたことがある。何のコマーシャルだったかは忘れてしまったが・・・。

  花咲く娘たちは 花咲く森で 
  ひな菊の花の首飾り 優しく編んでいた
  おお愛のしるし 花の首飾り

 井上陽水は1970年代の初め頃、〈傘がない〉と言う曲をヒットさせたことがある。それは確かこんな歌詞だったように記憶している。

  都会では自殺する若者が増えている
  今朝来た新聞に書いている
  けれども問題は今日の雨 傘がない
  行かなくちゃ 君に会いに行かなくちゃ

 この歌詞は革命に挫折した当時の若者達のしらけた心をうまく代弁しているように思えた。

 〈もう社会のことなんかどうなったってかまわない。それよりも彼女のことの方が大事だ。俺はもうこれから彼女の事だけを考えて生きていく〉

 激しく熱い政治の季節が終焉に向かって収束して行ったその頃の私には、この歌はそんな風に聞こえたものだった。

 そんな一種のニヒリズムのようなものが、当時の私たちの少し傷ついた心には心地よく響いたのかもしれない。

 それにしてもこの二十一世紀になった初めの年に、今打っているパチンコの〈天才バガボン〉といい、〈花の首飾り〉といい、三十年も前に流行ったものがまた蘇生してくるというのはどういうことなのだろう。

 私の右手はハンドルにしっかりと固定されてはいるものの、私の意識はその音楽に誘われるように三十年前の記憶の世界に戻っていった・・・・。(つづく)

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